「……あの、ずっと、好きでいてくれますか?」
0時定期更新の予定でしたが、導入部分である一章が終わるまで1時間ごとに更新していきます。(7月13日)方針が二転三転してしまって申し訳ないです。
ムラサメ学園の寮生たちが夕飯を決まった時間に摂るのは既に説明したが、風呂場も
順番で使う。
寮ごとに大浴場があって女湯と男湯に別れている。掃除当番は学生が交代で担当して
いる。
階ごとに順番が回ってくるので、ゼップとカズヤは一緒に入る。
ゼップが脱衣場に入ると空気が硬くなったりもするが、昼間の女子ほどではない。
学園理事長の親族、というのはなかなか面倒な称号である。
リッピほど天真爛漫であるなら問題はないのだろうが、彼の場合、孤高を好むうえに
風呂にまでギターを持ち込もうとした前科のある変人なので(これはカズヤがどうにか
止めたので、ギターはいつも脱衣場で彼を待っている)しょうがないことだった。
とは言っても風呂場で場所がない、ということはない。
同じ時間に同じメンバーで入るのだ。
各々の定位置は決定している。
「で、今日は全力で弾いたのか?」
「あぁ。いい汗をかいた。ライブハウスの変態営業者は相変わらずだったが」
「……ははは」
ゼップの演奏については、いずれ語ろう。
「あぢー」
部屋に戻ったカズヤは窓を全開にして、窓の縁に腰を下ろして足も乗せた。
いい風が吹いていた。
気温が高いので、風鈴でもぶら下げて彼が浴衣でも着ていればさぞかし絵になったことだろう。
穏やかな瞬間だった。
隣の部屋からゼップのギターがやかましく鳴っているが、いつものことだ。
(今日は楽しかったなー)
カズヤは考える。
独りを好むと言いながら誘えば断らないゼップを連れて行けなかったのは失敗だったが、リッピとヨウコは楽しんでいたはずだ。
二人もたぶん今ごろ、風呂から上がったころだろう。
リッピはぬいぐるみを抱いて悦に入っているかもしれない。
ヨウコは――。
「……メモだったよなぁ、あれ」
今ごろ、エレルと会っているのかもしれない。
逢引の約束である確証もないし今日会っているかどうかもわからないのだが、カズヤはなんだか落ち着かない。
「――出かけたよ」
「んあ?」
声がした。
ついでにバサッ、と羽根を撃つ音がした。
カズヤの頭上だ。
翼が見える。
(アリアさんか?)
雲の多い星空をくり貫き、月を切り抜き、羽根と尻尾を広げたシルエットがカズヤの
座る窓辺に寄る。
「……ジャージかよ」
がくり、とカズヤが脱力した。
「キャミソールとかの方がいい?」
リッピだった。
「ややややっ、やり直しができるなら是非! テイク2を!」
「バカ。それより、早く行かないの?」
「うん?」
「ヨッコ。出かけたよ」
「なんで?」
「廊下でバッタリ会って、行き先訊いてもはぐらかされたから、センパイ絡みだと思う。そういう顔してたし」
「んー。そうか」
「…………」
ばさっ、ばさっ、とリッピの羽根が忙しく動く。
羽根を持たないカズヤには縁のない話だが、空中での高度維持は重労働である。
底無し沼で立ち泳ぎをし続けるようなものだ。
羽根を持つアクマは多いが、身体能力に長けているものにしか飛翔は許されない。
その疲れる行為をあえて続けて、リッピはカズヤの顔をじっと見ていた。
「カズっちのそゆ、臆病なとこ――あたし、嫌だな」
「そっか。……ごめん、万能じゃなくて」
でも怖いんだ、とカズヤは言った。
「覗き見になるじゃん」
「それでも、嫌だな」
「……嫌われたら責任とって、リッピが俺をもっと好きになってくれる?」
「それは無理。あたしの中でカズっちの友好度はマックスです」
「えっ、俺のこと好きなの?」
「その問いに答えるには好感度が足りません」
「マックスじゃなかったのかよ!」
「愛情は別カウントなのだ。……それはさておき、怖がらなくていいってことなのです」
リッピの目には力があった。
色は真紅だ。
血のように、などではない。
ルビーのようだった。覗かれた者が魅入られて石になるような瞳だ。
「てゆーかさ、正直ね――リッピちゃんとしてはカズちんがどう思ってようが、どうでもいいんだよね。ただあたしが嫌だから、ヨッコのとこ連れて行こうとしてるだけなんだよね」
たとえカズヤが望んでいなくても。
「ほらあたし、アクマだからさ。強引で自分勝手で自己チューなの」
彼女は手を差し伸べる。
「いこ?」
「…………」
――ああ、本当にとんでもない奴だ。
――俺を惑わせて、何か大事な感覚を狂わせようとしている。
カズヤはそう思った。
「期待してるんだ、あたし」
それは誘惑のための魔法の殺し文句だった。
黒い骨子に薄紅の薄膜が張られたリッピのアクマの羽根。
そこから星光と月光、あるいは想いが透けて見える。
カズヤ=アサクラという人間は臆病で、気弱で、先のことばかり考えてその場で腰が
重くて、期待されると尻込みしてしまう男ではあるが、
「……しょうがねっか」
期待されると、失敗するよりも期待を裏切るのが怖くて、期待に乗っかってしまう男
だった。
「でもお前、俺持って飛べるの?」
「あ、ごめん無理。先に門で待ってるからダッシュして!」
リッピは、ぴゅーっ、と飛んでいってしまう。
「……なんだそりゃ」
悪態をついても状況は変わらないので、カズヤはいそいそと窓から降りる。
「あーあ……今日はいい日だと思っていたのによぅ……」
――南無三。
部屋を出るとゼップが待っていた。
「話しているのが聞こえた。だから、俺も行く」
孤高を好むと公言するゼップは、身内と決めた人間に対しては優しい矛盾の人物だった。
そしてやはり彼も自分が世界の中心だから、妹と同様の理由で、カズヤを夜へ連れ出すのだ。
***
裏庭というのは寮の裏のことではなく、校舎の裏のことを指す。
美術の写生に使うため、樹木や草花を生けた小規模の箱庭のことだ。
溜め池もあるので作り物にしてはなかなかの庭園だった。
手入れする庭師も雇っている。
ベンチも多く設置されているので昼休み等々になると学生も集まる。
弁当を広げる輩もいる。
エレル(=人間・♂・齢十七)はそこに望遠鏡を設置して彼女を待っていた。
彼は望遠鏡越しではなく、肉眼で星を見上げていた。
春といえど夜の風はやや冷たい。
春だからこそ冷たく感じるのかもしれない。
待ち人を想い、体温が上がってしまっている今のエレルにはちょうどいいのかもしれない。
明かりの下で待てば落ち着きなくそわそわしているのを見咎められたはずだ。
幸い、夜だった。
その夜闇を切り裂く、一条の光が見えた。
懐中電灯の明かりだった。
「エレルさん?」
「こっちだよ」
エレルの声は、なんとか裏返らずに済んでいた。
「よかったです、すぐ見つかって」
ヨウコが柔和な笑みを浮かべてくれたのを、エレルは雰囲気で察した。
たったそれだけのことがエレルの頬を緩ませる。
「来てくれてよかった。……来ないかも、って考えてたから」
「そんな、せっかく誘ってくれたのに」
羞恥のせいか、ヨウコの声が先細っていく。
不安なのだ。彼女も。
空気を通して伝わる実感がエレルを普段より勇敢にさせた。
「今日は雲が多いから星が見えにくいんだけど――座らない? 色々、話がしたいんだ」
「――はい」
「じゃあ、こっち」
とエレルが彼女の手を握る。
「あ」と蚊の泣くような、静かな夜に点を落とすような小声が聞こえたが、ヨウコは付き従った。
手のひらは春の湿気のせいか互いの微熱のせいか、じとりと湿っていた。
ベンチに並んで座る。
二人が最初にしたのは天気の話だった。
次は好きな音楽の話。
学校の話。
友達の話。
当たり障りのない類の話題が尽きて、示し合わせたように沈黙が落ちた。
そこで、
「そういえばさ、返事――聞かせてもらえないかな」
エレルは前準備をたっぷり済ませたつもりで、一番訊きたかったことを口にした。
「入部の方じゃないです、よね?」
「うん。そっちじゃない方」
急かしてしまっている、とはエレル自身もわかっている。
「焦っちゃっているのは、なんか格好悪いってわかってるんだけど、……ごめん、それくらい、好きだってわかってほしい」
「その気持ちはとっても嬉しいんですけど、なんで私なんですか? そんなに知りもしないはずなのに……」
「実はけっこう前から知ってるんだ」
ヨウコが目を見張る。
「カズヤくんと同じクラスだったとき、ずっと見ていた。たまに彼に会いに来てただろ?そのとき、キミから感じた空気とか雰囲気とか喋り方とか、そういうの見てて、いいな、って思った。ろくに話してないのにすごくドキドキしてたんだ」
エレルは息継ぎもそこそこに、一気に言葉を繋いでいた。
そうでもしないと弱気の虫や強欲の翼が暴れ出して倒れそうだった。
「だから、がっついちゃってるみたいで、悪いんだけど、――?」
ぎゅ、と手を強く握られる感触にエレルは口を開けたまま、止まった。
喉がカラカラだった。
手を握るヨウコが強く、視線を縫い付けてきていた。
カラカラだった喉が焼けてしまいそうだった。
「……あの、ずっと、好きでいてくれますか?」
ヨウコの言葉は質問でありながら要求だった。
それは制約であり、契約だった。
「も、もちろん!」
「何があっても放さないでくれますか?」
エレルの唾液が喉を通る。
「誓う!」
「嫌いになったりしませんか?」
「するもんか!」
エレルは心の底から言葉を搾り出した。
安いと思うなかれ。
エレルにとっては彼女の言葉に同意することが最大限の誠意だった。
「…………」
そこはかとなく怯えを宿していたヨウコの瞳が潤み、星の色を反射させる。
「じゃあ――」
ヨウコの目の奥。底光りしている怯えがさらに色を増した。
……妙な話だった。
この展開で、この話の流れで、何故憂いが深まる?
「私と、結婚してくれますか?」
「え――?」
「だめですか?」
戸惑ったのは確かだったが、強く握ってくる手と強く射抜いてくる目と強い語調が、
エレルの首を縦に振らせた。
「だったら今すぐ、してくれますか?」
「すぐ……?」
エレルの手を握っていたヨウコの手が、彼の腕を掴んでいた。
「でも、学校は、」
「そんなの、いいです――」
「でも、お金が、」
「なくてもいいです。一緒にいて放さないでいてくれるならそれで幸せなんです」
エレルの返答の言葉が即答から質問に変わっていた。
「私はそれが一番、いいんです」
「…………」
エレルはついに何も言えなくなった。
「だって言ったじゃないですか――好きだって」
そのときの彼の感情を端的に表すなら。
怖い。
自分から求めたはずなのに、エレルはそう思ってしまっていた。
「――どうして?」
「え?」
「どうして、逃げるんですか」
「え、あ、う……」
彼はただただ狼狽するしかなかった。
「だって好きだって――そう言ったじゃないですか――だったらッ!」
「ヨウコ」
カサ、と茂みの草が動いた。
「ヨッコ」
「へ――?」
カズヤとリッピと、ゼップだった。
ヨウコは、どうしてここに? と言いたげにしている。
逢瀬を邪魔されたエレルは、何も言えなかった。
何か考えているはずなのに、何も思うことができていなかった。
「よく見ろ」
と、カズヤが気の毒そうな視線を送っている。
「困っちゃってる」
「……………………あ」
カズヤの指摘で、夢が醒めたようだった。
呪縛が落ちたように、彼女はハッとした様子でエレルから離れて、何かに気づいた。
「あれ――わた、わたし……また?」
何かを確かめるように自身の掌に目を落として、何かから逃げるように顔を両手で
覆った。
その指の隙間から見えるヨウコの瞳は――憂いに満ちていた瞳の色が真紅に変わって
いた。
血に濡れているような色だった。
長髪とも短髪とも取れる中途半端な長さの髪が、月の光を浴びて変色していた。
光の加減でそうなっているのか、それとも髪の毛の色自体がそうなってしまっているのか、判別が難しかった。
「ヨッコ」
リッピが肩に手を置いて、そのままヨウコを抱き寄せた。
「あ、ああ……うあああっ!」
泣き喚くヨウコを呆然と見つめる目が二つ。
立ち尽くすしかない足が二本。掴む場所を失くした腕が二本。
「エレル」
動けなくなった彼にカズヤが呼びかける。
「大丈夫か?」
「あ、いや――」
「大丈夫じゃねぇよな。……いやでもな、お前が悪いんじゃないんだ。でも、わかってやってほしいんだ。――ヨウコも悪くないんだって」
カズヤは小さな声でボソボソと話していた。
ヨウコの泣く声で自分の声が隠れるように、彼女に聞こえないような声量で話しているのだ。
「俺は二人を送っていく」
ゼップがカズヤに言って、カズヤが「ああ」と答えた。
「俺はちょい、エレルと話してくよ」
ゼップが無言で頷いて、リッピとヨウコを連れて去っていく。
「ごめんなさ――ごめんなさい」
ヨウコはリッピにもたれかかって、肩を抱かれたまま泣いていた。
アクマと人間のはずなのに、本当の姉妹のようだった。
「――さてと、何から話そかな」
と、カズヤは抑揚の乏しい調子で言って、エレルをベンチに座らせた。




