まるであとがきのような終わり
――九五三年 五月一五日 午後一八時一五分
慰神祭のフィナーレを華々しく飾るのはグラウンドに設置されるキャンプファイアであり、校庭で行われるフォークダンスだった。
校庭に組まれた木材の周囲にひとが集まっている。
周囲以外にもひとが集まっている。
天使もアクマも人間も、子供も学生も大人も老人も、学園に集まった人々が大勢いる。
空は日没を終えて、既に暗くなっている。
トーチを掲げるムラサメ学園・理事長に注目が集まり――点火と共に拍手と歓声が重なった。
スピーカーから音楽が流れ、みんなが踊りはじめる。
その光景をひとり、高みから望む男がいた。
校舎の屋上だ。
古ぼけたエレキギターを持って、勝手に持ち込んだパイプ椅子に座っている。
『……ムぅー』
ギターから発現している紫色の蛇娘。ストラト・ヴァリ子がつまらなさそうに唸っていた。
「締まらない曲だ、と思っているのか?」
こくこくこく、とヴァリ子の首が縦に動く。
「祭りの終わりにはちょうどいい具合だろう?」
『ムぅーぅーぅー』
不満げに唸るヴァリ子にゼップが穏やかな目を向ける。
思考を読もうとする、あの目だ。
「ゆったりしてるのは構わないけど聴いてて退屈だ、か。俺に任せろ。お前好みの曲は俺が演ってやるさ」
言いながら、ゼップは指を弦の上で滑らせる。
『ムぅ~~~~♪』
独特なリズムとテンポ、独特な和音にヴァリ子が心地よさそうに身体を揺らす。
軽く弾いているようだがゼップの手元は忙しい。
曲調自体はゆったりしているのだが、技術の面で言えば圧倒的だった。
いつもヨウコのために弾いていた曲である。
彼女がカズヤの部屋を訪れるときに弾こうと決めた、彼女のための曲だ。
「ヨウコとカズヤは、うまくいったかな」
『ムぅー…………』
「そうか。お前も心配か」
事前にゼップはカズヤから話は聞いていた。
「今日の俺は一味違うぜ!」
相談というよりは、もうやると決めたことを報告してきただけだったのでゼップは、そうか、とだけ返事をしておいた。
「お前が俺以外を心配するのは珍しいな」
『ムぅー』
「そうだな。お前すら認める、俺にとって大事な友達だからな』
ゼップは何気なく視線を下向かせる。
眼下のグラウンドに大勢いる人々。ゼップがゼップを忘れる前に関わった者もいるかもしれない群集を見下ろす。
二人で踊る者もいればグループで踊っている者もいた。
ゼップはカズヤとヨウコがいないか探してみた。
その行為を勘違いしたのだろう。
『…………ムぅぅ?』
ヴァリ子が問いかけてきた。
「ん? 踊っている連中が羨ましいか、って? そういうわけではないぞ」
『ムぅぅ』
「最近やけに確認が多いな。何か不安なのか? 心配しなくても俺はお前が一番だ」
『……ムぅ♪』
ヴァリ子がゼップの背中に張り付いて、背後から彼の首に両腕を巻きつける。
『…………♪』
ヴァリ子の唇が、ゼップの頬に近づいて――。
「あーっ、やっと見つけたっす!」
けたたましく開いたドアの音に邪魔された。
メフィーだった。
「ゼップさん、さがしてたんすよーっ!」
「そうなのか?」
「そうっすよーっ! 一緒に踊ろうと思って探してたですよ!」
「踊る? 俺と?」
「はいーっ。せっかくのお祭りです! こんなとこいないで踊りましょうよ! きっとその方がおもしろいっす!」
メフィーの腕がゼップの腕に巻きつく。
「えぇと、だな」
ゼップが考え込む。
「お前、俺のことを知っているか?」
「当たり前です」
「俺のギターのことも知っているか?」
「有名っすね。妖精憑き妖物ギターだそうで?」
「なら話は早いな。お前には見えないだろうが、ヴァリ子がお前の目の前で、お前を噛みつきそうな勢いで睨んでいる」
「関係ないっす! だって見えねーっすもん!」
『ムぅぅぅぅぅ……ッッッ!』
ヴァリ子が嫉妬に燃えていた。
「お前からしたらそうだろうが、俺にはこいつが一番だ。お前とは踊れない」
「えーっ……そうですか。あ、じゃあじゃあ、ここでギター弾き続けるんですか?」
「そのつもりだ」
「横で聴いてていいですか?」
「できれば遠慮してほしいが」
「アクマの辞書に遠慮はないっすーっ!」
メフィーがゼップの片腕に身体を密着させる。
『ムぅッッッ!』
ベベベベベベベベベ、とギターがおどろおどろしい音を奏でた。
「わわっ」
びっくりしたメフィーがゼップから離れる。
「やれやれ」
ゼップが弦をおさえてギターケースにヴァリ子を放り込んだ。
さらに持ち込んだパイプ椅子を畳んで、ため息混じりに片付ける。
そして、
「じゃあな」
ゼップが助走に入る。転落防止用の柵に向けての助走だった。
「えっ? えっ、ちょっと? ちょっとぉぉ?」
柵の手前で跳躍し、柵の上に着地して、力強く足を踏み切った。
「ちょっとォォォ、ここ屋上ォォォオオ!」
メフィーの叫びを背中に受けながらゼップは翼を広げる。
黒い骨子に薄紅色の膜。
ギターケースを背負って片手にパイプ椅子を持っても飛翔に影響はなく、ゼップはそのままどこかへ飛んで行ってしまった。
「おー…………って、あれ? 逃げられた?」
風が吹いた。
季節外れの木枯らしを含んだ冷たい、細い音の鳴る風だった。
「あーうーっ! 諦めないっすよ! アクマ娘の恋は燃焼系っす! 逃げられれば逃げられるほど、障害があればあるほど燃え上がるんすーっ!」
メフィーは拳を握り込み、夜空へ吼える。
「あんな面白そうな男、放っておいてたまるかってんだーっ!」
一方、上空のゼップ。
「ところでヴァリ子、あいつだれだっけ?」
『…………』
ヴァリ子はぷいっ、とゼップから顔を背けてしまう。
メフィーの春は、来る気配がない。
***
――九五三年 五月一五日 午後一八時二〇分
学園内の大半が校庭に集まる中、聞こえてくるフォークソングから離れている人物がゼップの他にもうひとりいた。
リッピ=ムラサメである。
場所は校舎の裏側だ。
校庭に反して人気のない裏庭に、ひとり立ち尽くしている。
服装は午前の体育祭に出場したジャージ姿から制服に戻っていた。
両手は後ろ手に組んで、足元では小石をちまちま転がして、彼女はノアを待っていた。
会う約束をしているわけではない。
でも二人で会うときはいつもこの場所で落ち合っていた。
彼女にとっては思い出深い場所だ。
――あたしねぇ、せんせのこと好きなんだよねー。
とリッピがノアに伝えたのもこの場所であれば、強引にキスをしたのもこの場所だ。
だから、ここだった。
ここしかなかった。
約束もせず、心の距離も離れてしまった今、彼が自分を探して足を運んでくれるかもしれない場所はここしかなかった。
一緒に校内を回っていた家族と別れた時間から逆算すると、待ち始めてかれこれ一時間は経っただろうか。
彼女や彼女の同級生が好む大衆漫画のような展開を期待してみたが、待ち人は来ない。
(……あーあ)
吹き抜けていく風が運んでくる間延びした曲調のフォークソングが、心の隙間を広げていく。
なんだかつまらなかった。
とんでもなくつまらなかった。そして不安だった。
(あれぇ、おかしいなぁ……)
少し前までは風が吹いただけでも笑っていられるくらい楽しかったはずなのに、ひとつうまくいかなくなっただけだというのに。
(あたしって、こんなにうすっぺらな子だったかなぁ……)
考えてみるが答えは出ない。
上空は星も月も出ている晴れ模様だが、リッピは曇っていた。
***
――そんな彼女を、校舎の陰から見つめている影が一つ。
ノア=レベストは眉間に縦皺を刻んで、唇を結んで彼女の様子を見ていた。
(早く帰ればいいものを……)
と、彼は思いながら、
(……俺もさっさと立ち去ればいいものを)
と、自嘲した。
ここが彼女にとっての思い出の場所なら、彼にとってもここがそうに違いなかった。
彼女が親愛の態度を示した場所だから、というのも大きな理由のひとつなのだが、もう一つ、ノアにとって忘れられない出来事がある。
「陸上を真剣にやらないか」
と、彼がリッピに声をかけたのは二年前のことだ。
「ん? 陸上?」
リッピは昼食中だった。
右手にあんパン、左手に三角パックの牛乳を持つリッピは食べながら返答した。
「お前の身体能力があればきっと世界で一番になれる」
「悪いけど興味ないなぁ。だって学園内でもうあたしより速く走れるひと、いないもん。陸上って相手より速く走れるかどうかでしょ? 強い相手いないのにやったってつまんないじゃん。この前の授業だって、せんせよりあたしの方が速かったじゃん?」
「相手より強くなるだけがスポーツじゃない。挑むべきは自分自身だ」
「精神論ってやつ?」
「違う。昨日の自分より速くなるのを目指すだけだ。俺は学生時代から今日に至るまで毎日、自分のタイムを計っている」
「ふぅん……」
「せっかくの才能なんだ。持て余して退屈するより、自分はがんばった、と思える何かを残してみないか?」
「んーまぁ、確かに、暇だしね。美男子と名高いノアせんせと青春してみるのも悪くないかも」
今思えば、裏も表もない彼女らしい理由ではじまった師弟関係だった。
素のままでも類稀な記録を連発した彼女にノアが長年磨いてきた走法を伝授して、彼女はどんどん速くなった。
昔は楽しかった。
速くなって速くなって、もうノアでは追いすがれないほど速くなって――――いつだったか、心中で何かが引っかかるようになった。
それが嫉妬なのだとノアが気づいたのは、たぶん、あのときだ。
「あたしねぇ、せんせのこと好きなんだよねー。……あ、いっとくけど、ほんきだよ?」
リッピのことを憎からず思っていたのは確かなのだが。
確かなはずだったのだが、何故か、ノアは彼女の想いを素直に受け止めることができなかった。
(…………)
ノアはそっと、音を立てないように反転して、その場を去ろうとした。
そしてすぐに足を止めた。
(……どうして、ここに)
いつの間にいたのか、ノアの背後にアリア=ベルが立っていた。
『さっきリッピさんがあなたの場所を尋ねに来たので、様子を見に来たのです。そうしたら、あなたを見かけました。……やはり会うのは辛いですか?』
(……何を言えばいいのやら、といったところです)
『深く考えすぎなのではないでしょうか』
二人は言葉を発していない。
アリア=ベルの奇蹟による通信が無言の会話を可能にしていた。
(たとえそうだと思っていても深く思考せずにはいられない。それが天使でしょう)
『そうですね……自分にも心当たりがあります』
彼女は薄く、儚く笑った。
『恋心とはままならないものですね。彼女も、あなたも』
(……そして、あなたもか?)
アリア=ベルは二秒間、もったいつけてから言った。
『えぇ』
(うまくいくように祈っています)
『私はいいです。皆が幸せになる方が大事ですから』
(そうですか。――では、さっそくひとつ、頼まれてやってもらえますか)
『なんでしょう』
(あの娘を――リッピのことを、少し気にしてやってほしいのです。あんなに落ち込んでいる彼女を見るのは初めてです)
『……本当はあなたがその役目を担うべきだと思いますが、それができるなら、こんなことになっていないでしょうね』
ノアは首肯する。
(私が彼女を頼めば、貴方から干渉できるのでしょう?)
『えぇ。――わかりました。貴方の願いは聞き届けました。この羽根に懸けて誓いましょう』
ピュアロゴスにとって最も重い宣言を聞いたノアはすっ、と彼女の横をすり抜けるように、その場を去っていった。
(……貴方が彼女に近づけば、彼女はきっと幸せになる。でも貴方は自分の本心を隠しながら生きるから、貴方は不幸せになる)
一増えて、一が減る。
(貴方が去れば貴方の幸せは増減せず、彼女の幸せは減り続ける)
彼は零のままで、彼女は減り続ける。
幸せを単純な足し引きで計算するアリア=ベルは、状況を整理して結論を出した。
(彼女の幸せを補完するのが、私の役目ですね)
――九五三年 五月一五日 午後一八時三〇分
「リッピさん」
「うん?」
場所は、やはり裏庭である。
ノアを待ったまま、一歩も動かず、どこへも行けなくなってしまったリッピにアリアが声をかけた。
「アリアさんか、こんばわ」
「こんばんわ。だれか、お待ちですか?」
「うん。でも、やっぱり来ないや。約束してるわけじゃないし、当たり前なんだけどさ」
リッピはアリアから目を切って、代わり映えのしない夜空を見上げる。
「カズヤさんとヨウコさんのところには行かないんですか?」
「ん? なんで?」
「二人に会えば元気になれるかなと思うんです」
「んー、そっか。……そっかそっか」
「会いに行ってあげてください。リッピさんやゼップさんが見たくて止まなかった、お二人の姿が見れるかもしれません」
「うん? ……カズちん、やっと観念したの?」
「一歩前進、といったところでしょうか」
「ふーん――アリアさんもなかなか残酷だね。今のリッピちゃんに二人の幸せを見せちゃうか」
「今の貴女だからこそ、かもしれません」
「どして?」
「想いは無駄になりません。カズヤさんヨウコさんもお互い色々、辛かったみたいです。最初からうまくいく心なんて、どこにもないのかもしれませんよ」
「……難しいことはよくわかんないや。もっとみんな、単純でいいのにな。あたしがバカなのかな」
「うまくいかない時期だってある――それだけのことだと思います。自分の力だけではどうにもならないことだってあります。立ち直れないときだってあります」
「それは結局、弱いってことにならない? あたしもっと強くなりたいんだよね」
「そんなに難しく考えなくたって、寂しいときは誰かに頼ればいいじゃないですか。適当でいいじゃないですか。もっとみんな、単純の方がいいんでしょう?」
「…………」
リッピは少し、バツが悪そうに口を尖らせた。
「……アリアさんてさ、実は意地悪だって言われたりしない?」
「年の功です」
嘘吐きアリアは、堂々と言い放った。
「……じゃあ、そんな年上のお姉さんに質問です」
「なんでしょう」
「ノアせんせってさ、あたしのこと、好きだと思う?」
「きっと。実は大好きなんだと思いますよ」
「……うん。なのに、一緒にはいられない理由が、何かあるんだよね?」
まるでアリアが全部知っているのを知っているかのように、リッピは尋ねてくる。
「もしそうだとして、貴女はどうするのが一番いいと思うんでしょうか」
「……無理矢理つかまえにいくしかないじゃん。好きなのは止められないもん。だったら向こうが同じくらい好きになってくれるまで、こっちが追いかけなきゃだめじゃん。振り向いてくれるまで走り続けることくらいしかできないのが悔しいけどさ。……それしかないじゃん」
「…………。だったら、自信を持って追いかけてあげてください」
「そっか。アリアさんがそう言うなら、やっぱりそれが一番なのかな」
はふ、とリッピが肩を落とす。
「でも今日は――一緒にいたかった……かなぁ」
幸せ補完計画は未だ、完遂されず。
「ま、みんなのとこ、いってくる」
リッピはアリアに頼りなく、軽く微笑みかけて、校庭の方へ立ち去った。
***
――九五三年 五月一五日 午後一八時四〇分
「で、結局現状維持なのかい?」
礼拝堂の片付けを終えたエレルとカズヤが、校庭で話していた。
「あぁ」
「……なんともなぁ。キミたちらしいと言えば、キミたちらしいのだけども」
「言っとくけど、今回は俺じゃねぇからな。ヨウコが言ったんだからな!」
「わかってるよ。彼女が言うならしょうがない」
「ちぇっ……なんだよ、俺のときはみんな散々言ったくせに、ヨウコのときばっかりさー」
「人徳だね。諦めた方がいい」
二人がいるのは校庭の中心部ではなく、外れだ。
体育祭で使われたトラックの白線の外側に立って、中央で輝く炎を遠巻きに見つめている。
セツナ=アサクラも先ほどまで一緒にいたが、もう帰ってしまった。
「これからうまくいくんだろうね?」
「当たり前だ。……たぶん、きっと」
「情けないな。そんなだと誰かに取られてしまうぞ?」
「お前とか?」
「いや、僕はもういい。馬に蹴られたくない」
「――変な奴だな。なんだって好きな女を他人に譲れるかね」
「キミが言うことか?」
「あー、あー、聞こえねぇ」
「……子供か、キミは」
「お前が大人すぎるんじゃねぇか。……やっぱ、天使の血ってのはすげぇのかな」
「半分、流れてるからね」
「……俺はさ、お前みたいに、ヨウコのことが好きだ、って言う奴のことはどこかで嫌だったよ。あいつには幸せになってほしいのは変わらないけど、誰かに取られるのは嫌だった。その点、お前は本心からそう思ってる気がするんだよなぁ」
「本心だからね」
「俺には理解できん」
「キミは人間だからね」
「お前もだろうが」
「半分は天使だ」
「お前の本心は俺とヨウコにとって都合が良すぎる。ご都合主義はもう流行らねぇよ」
「いいじゃないか、キミにとっては結局、プラスに働いたんだから」
「まぁなぁ」
「……がんばれよ。キミが不甲斐なく彼女を泣かせたら、僕以外の誰かがまた現れるかもしれないし」
「んげぇー」
舌を出して嫌がるひょうきんなカズヤの素振りにエレルが笑う。
「おっ、来たぞ」
カズヤがエレルの指差す方向に目を向ける。
女学生がひとり、手を振りながら駆け寄ってくる。
「遅いぞー」
着替えを終えたヨウコと、彼女を好きになった二人が合流する。
……だんだん集まってきた。
***
――九五三年 五月一五日 午後一八時五〇分
リッピ=ムラサメは、競技モードの彼女からは考えられないほどの重い足取りで校庭を歩いていた。
今の彼女なら牛と競争しても負けそうだった。
カズヤたちを探しに来たはずなのに、ふらふらと当てもなく歩いているように見えた。
校庭には彼女の知り合いもいたが、みんな誰かと一緒にいてリッピには気づかなかった。
というより、気づくことができなかった。
リッピのまとっているどんよりとした空気が彼女を人目から遠ざけていた。
「せんせーっ」
聞こえた声にリッピが身体を引きつらせて反応する。
「どうした?」
「あのねーっ、くつひもがほどけたのー」
祭りに来ていた、小さな女の子と青年の組み合わせだった。
「リッピ」
「うぃっ?」
息つく間もなく、リッピの肩が叩かれる。
ゼップだった。
「どうした、ぼぅっとして」
「……なんだ、兄ちゃんか」
「なんだ、は余計だ。カズヤたちを探しているのか?」
「まぁ、そんなとこ。兄ちゃんは?」
「俺もだ。空を飛んでいたらカズヤたちを見つけた。それで降りてきた」
「へぇ。それで前髪が風圧に負けてオールバックなわけ?」
「まぁな。何かあったのか?」
「うん、まぁ、ちょっと」
「……」
「……」
「そう、か」
「……」
「何を落ち込んでいる。こっちこい」
ゼップがぐいっ、と腕を掴んでリッピを引っ張っていく。
「いたい! 痛いよ兄ちゃん!」
リッピが叫ぶが、周りも騒がしいので大きな騒ぎにはならない。
そばを通った人間だけが「何事か」と思って振り向くだけだ。
「あーっ、ゼップさーん、リッピちゃーん」
大きな声と大きなジェスチャーで、二人を呼ぶ声がした。
「見つかってよかったー」
と、喜ぶヨウコ。
「遅いぞー」
と、野次るカズヤ。
「約束してたのかい?」
「いや、全然」
「それじゃあ遅いって言うのはひどくないかい?」
エレルもいた。
「どうだ」
ゼップがリッピに威張ってみせた。
「どうって、何が?」
「みんな、一緒だ」
「……うん。てか、なんでみんな約束してないのに集まってんの?」
「おいおいおい。何言ってるんですか、リッピさん。聞き捨てならねぇなぁ」
カズヤがずいっ、と前に出た。
「友達じゃんか! 赤点とるときも留年するときも一緒だろ!」
「カズちゃん、それ違う……」
「落ちこぼれるのはお前だけだ。このスカタン」
「ゼップてめぇ、裏切ったな! って、まて、尻尾を出して脅すのはやめろ?」
じゃれ合う二人を見て、エレルとヨウコが笑っている。
「……? ヨッコ、髪の毛、どうしたの?」
リッピが気づく。ヨウコの黒髪に一部、金色のメッシュが入っていた。
「さっきから色変わっちゃって、戻らないの」
「え、えええ……それ、だいじょぶなの? やばくない?」
「うーん、そのうち戻ると思うんだけどなぁ」
「およ、嫌じゃないの?」
「――うん。前までなら嫌だったかもしれないけど、今はいいんだぁ」
ヨウコが無垢に笑う。
「全部金色になったらリッピちゃんとお揃いだね」
「え、ええと……ヨッコ、それでいいの? アクマの髪だよ?」
「いいよ、だってリッピちゃん大好きだもん。お揃いなら、いいかなって」
「――――へ?」
リッピが、呆けてしまった。
「……それとも似合ってない?」
「え、いや――そういうのじゃなくて……あれ、……あれ?」
途端にリッピの挙動が忙しくなる。
「どうしたの?」
「なんだリッピ、何かあったのか?」
カズヤも勘付いた。
「なんだよー、元気印のリッピなんだからさぁ。元気とったら何も残らないんだろうが!」
カズヤがリッピの肩に手を回す。
そして、耳元で囁いた。
(――ノアがいなくても、俺たちがいるじゃん)
リッピは、何も言わない。
(元気なくなって、なんも残ってなくても俺たちは味方だよ。それじゃ不足か?)
「…………」
(だめか?)
「……ばーか」
ドンッ、とリッピがカズヤを突き飛ばした。
「ぐえっ! 何しやがる!」
カズヤがリッピに掴みかかろうとしたときにはもう、彼女はヨウコの後ろに隠れていた。
「えぇい、ヨウコ! そこどけ!」
「わわっ、リッピちゃん!」
カズヤににじり寄られて、ヨウコが慌てるが――。
「あっ、……だめ、カズちゃん」
ヨウコはカズヤの前に両手を広げて立ち塞がった。
「ぬ?」
「こっちきちゃだめ」
「なんで?」
「なんでも」
キッ、とヨウコに睨まれて「ウッ」とカズヤが後ずさる。
「もう少し離れなさい」
「な、なんで?」
「なんでも。じゃないと嫌いになっちゃうんだから。あと一メートル」
「え――おまえ、あれ……え、あれ? ちょっとキャラ変わってない?」
リッピはヨウコの背中に張り付いて、顔を埋めている。
「……ヨッコ、ごめん、三十秒だけ――三十秒だけ……おねがい」
「うん」
小さく鼻をすすって、ヨウコ以外にはわからないように、泣いている。
わからないはずなのだが、
「よし」
と、ゼップが力強く頷いていた。底の知れない男である。
「あーっ! やっと見つけたっすよぉぉ!」
ゼップの背後。猛スピードで突っ込んできたメフィーが、タックルした。
***
――九五三年 五月一五日 午後一八時五五分
舞台は、礼拝堂へ移る。
『やっと見つけたっすよぉぉ! ひどいっすよ! 置いていくなんてあんまりっす!』
『…………』
『う? な、なんすか? メフィーの顔になんかついてるですか?』
『すまん、だれだ』
『うがーっ! ひでぇッス! 極悪ッス! どんだけ女泣かせなんすか!』
ジャララン、とギターケースから嬉々とした音が鳴っているのが聴こえる。
メフィーとゼップのやり取りに耳を立てていたアリア=ベルがクスリ、と微笑んだ。
『いつかのアクマ娘じゃねぇか』
『あ、カズヤさんどもども』
『なんだか大集合だなぁ』
『賑やかだよね』
感慨深げなカズヤの声にヨウコが反応していた。
『こりゃ遊びに行くしかないっしょーっ!』
大音量で響いたのはリッピの声だった。
『復活したな晴れ娘!』
カズヤの歓喜にアリアが口元を緩める。――よかった、と唇が動いた。
『みんなで街いこ! 街!』
『おいおい門限過ぎてるぞ』
リッピの提案にカズヤが難色を示す。
『今日は無礼講のはず! それにあたしと兄ちゃんの特権行使で、何かあれば揉み消す!』
『うげ、ついに一線越えるのか』
『いいじゃん、行こうよーっ。ね、ヨッコ』
『うん。今日くらい、いいんじゃないかな』
『意外なところから助け舟が……っ!』
『覚悟を決めるといい、カズヤ。俺は行かないが』
『え、いかねーの? なんで?』
『なんでっすか!』
カズヤとメフィーがゼップに迫る。
『お前が抜けたら奇数になっちゃうだろ!』
『む、そうか』
なんだか納得した様子のゼップ。
『僕も数に入っているのか?』
エレルが割って入った。
『おう、いこうぜ。……いいだろ、ゼップ。たまにはいつもと違う奴がいるのもありだろ?』
『お前が言うなら、しかたない』
『よっしゃー決まりっ! いくよーっ!』
完全復活したリッピが叫んでいた。
『……ほんとに、賑やかだなぁ』
ヨウコの呟きを最後に、アリア=ベルは繋いでいた意識を断線させた。
「……よかった」
白い羽根で包み込むように身体を丸めていた彼女は、安堵に胸を撫で下ろす。
カズヤのときは失敗した彼女だが、今回はうまくやった。
あくまで応急処置に過ぎないかもしれないが、ノアから託された願いはひとまず叶えることができただろう。
一般には知られていないが、ピュアロゴスの成長は他の種族や天使と比べてあまりにも早い。
十歳にもなれば身体は成熟し、成人と見なされ、聖人としての仕事を要求される。
学園に『宣教師』として配属されて六年。
最初の三年は自分のことだけで手一杯で、次の二年は周囲に目を配ることを覚え、今年は、大きな失敗をした。
ひとの心ほど、複雑怪奇で傷つきやすいものはないのだとアリアは思い知らされた。
(……感謝、ですね)
自分の力で乗り越えたわけではない。ただカズヤが彼女を赦しただけだ。
――赦してもらったのは確かである。
その証拠が今、彼女が座る礼拝堂の、最前列の席の机の上に置いてある。
A4用紙、十数枚が重なった紙の束だ。
細かな文字で文章が綴られている。
『実はさ、書いてみたんだよ』
儀式が始まる前に、カズヤが手渡してくれたものだ。
『みんながみんな、人間の世界。アリアさんに読んでほしい』
『それは構いませんが……何故、私に?』
『アリアさんなら遠慮なく導いてくれる。つまんないならつまんないって言ってくれるだろうし、どうすれば良くなるかちゃんと考えてくれそうじゃん? そんな奴、周りにいないんだよね。ヨウコだと俺に遠慮しそうだ』
『……いいんですか、私で』
『いいの!』
アリアはカズヤから、小説を押し付けるように手渡された。
『今後も、よろしく』
そうして彼は、アリアも救った。
(……私の、愛しいひと)
カズヤの小説を万感の想いで胸に抱き締める。
「うふふ」
自然とこみ上がってくる笑みを止める理由はどこにもなかった。
(きっとこれが、幸せ、という感情なのでしょうね)
己は幸せ者だ、とアリア=ベルは思う。
――たとえ、ピュアロゴスの生命が他と比べて短くても。
――血統を守るために、好きな人と一生を添い遂げることができなくとも。
それでもアリア=ベルという天使に価値はある。
この想いは、神が相手でさえも否定させはしない。
そこまで結論づけたところで、ひゅおおお、と隙間風が吹き込んできた。
「……すいません、そろそろ、時間でしたね」
カラカラカラ、と音がした。
何かが回るような音だった。
映写機のフィルムが回るような音だった。
天国の風車が回るような音でもあった。
機械の歯車が回るような音でもあった。
(ゆっくり、読ませていただきます)
彼女は立ち上がる。
アリア=ベルは礼拝堂の扉の鍵を閉めた。
さらに礼拝堂の祭壇の下。隠し扉に潜ませてある無線機の電源を入れる。
「――では。今年もごゆるりと」
時刻は九五三年 五月一五日 午後一八時五九分。
アリア=ベルは祭壇奥の通路へ移動し、通路と礼拝堂を隔てる扉を閉めて、そちらにもしっかりと鍵を閉めた。
***
九五三年 五月一五日 午後十九時。
十九という数字は、世界を導く天使教にとって特別な数字だった。
『1』と『9』は、二つを足せば『10』になり、一の位は『0』になる。
単一ではなく、二つの数字が足し合わされる結果『0』に戻るこの数字は、天使教にとって『終末から開始へ』を意味する特別な数字だ。
そして十の位は『0』から『1』へ進む。
新たなる進化を予感させる数字でもある。
他人と他人が交わり合うことではじまりに戻る。
他人と他人が交わり合うことで次へ進む。
その神秘の数字を意味する時刻・十九時――そこは、妖精たちが活動を始める時間だと帰還者たちは語る。
カラカラカラ、と音がしていた。
何かが回るような音だった。
映写機のフィルムが回るような音だった。
天国の風車が回るような音でもあった。
機械の歯車が回るような音でもあった。
その正体は、乳母車を押している音だった。
礼拝堂にどこからともなく入ってきた小人が押す、小さな乳母車の車輪が回る音だった。
妖精である。
顔はアリクイで、二足歩行で、両手は器用に乳母車の取っ手を掴んでいる。
乳母車の中では目も開いていない赤ん坊がすやすやと寝息を立てていた。
何かが駆け回るような音もしていた。
タキシードを着た子猿たちがじゃれ合いながらどんどん入ってくる。
十匹が百匹になり、さらに倍になっていく。
バイオリンを奏でるキリギリスもいる。
大石器を両手に抱えて歩く、髭面の丸眼鏡をかけた小人もいる。
タンバリンを楽しげに慣らすペンギンもいた。
静電気を迸らせる電気シマリスもいた。
傲慢な子供を懲らしめる角を生やした小人もいる。
神がいなくなった後、天罰を与える代行者としての役割を果たす者たちだ。その隣には分厚い本を持ったゾウの学者がいる。
妖精の知識を蓄える者たちだ。
妖精たちは祭壇の周囲に陣取り、膝を折る。
遠く離れた場所にいるはずの神。
その存在へ想いを届けるために催される慰神祭。
人間も、アクマも、天使も、そして妖精すらも巻き込む祭りなのだ。
祭壇に指揮棒を手にしたウサギが上がる。
すっ、と腕が上がり、サン、ハイ、の呼吸で指揮棒が振られる。
妖精たちが一斉に歌いはじめた。
歌詞はない。
乱雑でへたくそな歌が礼拝堂に響く。
各々が一年間を通して得た感情を、無線機に向かって必死に歌う。
やがて、ウサギの指揮者の周辺に蛇娘が何人か寄ってきた。
ドラムセットとベースギターとマイクを、それぞれ持ち寄った蛇娘たちだった。何故かギターはいなかった。
彼女たちが楽器を打ち鳴らすと統率の取れていなかった音に方向性が見えてくる。
楽しいリズムのときには楽しかった経験を歌い、哀愁の漂う歌声をボーカルが披露すると、妖精たちは悲しかった思い出を、無線機の向こうへ伝えるべく、必死に歌った。
校庭では人間とアクマと天使が踊る。
礼拝堂では妖精たちが歌う。
そして今、ワルツを踊り始めた。
手を取り合ってくるくると。
くるくると廻り続ける。
天使とアクマと人間が三分割でひしめく世界はどこか噛み合わないまま、
妖精たちの世界とはけっして溶け合うことなく、
刃こぼれした歯車が無理矢理回って鉄屑を落としていくように、
だがそれでも、互いにどうにか交わり合えるよう折り合いをつけながら、
時と心と共に、廻り続ける。
無線機からノイズが走っていた。
不鮮明な小さな音。
ノイズに紛れ込む、誰かが小さく微笑むような声。
伝えるつもりも笑うつもりもなかった、ひとりでにこぼれてしまった小さな微笑。
だから誰も、どの存在も気づかなかった。
それでも世界は、廻り続ける。
中心となる歯車を取り替えながら、廻り続ける。
(了)
ありがとうございました。




