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「いつも思うんだけど、ヨウコには幸せになってほしいんだ」

 時計の針を一時間ほど回して、午後の十六時。

 部屋で売れない作家よろしくA4用紙に立ち向かっていたはずのカズヤは、いつのまにか紙飛行機メーカーに転身していた。

 最初はうまく飛ばなかった。

 精魂込めて一枚一枚手折りして、壁から壁へ到達するまで改良を続けたころ、


「ハ――ッ」


 と我に返った。

 殴り書きのようなメモで塗装された紙飛行機は、夢を実現しきれなかった残骸となって部屋に紙くずの山を作っていた。

 翼や胴体には『波乱の予感』とか『十年越しの恋』とか『非恋から一転笑いアリ!』だとか、統一性のない言葉が垣間見える。


「いかんいかん――また貴重な人生を無駄にしてしまった」


 ゼップは軽音部。リッピは陸上部。ヨウコは部活見学。

 ――こうしている間にも他の人間は有意義な時間を送っている!

 自分は損をしている!

 そう思うと居てもたっても居られないのがカズヤだった。


「でも自分が張り切るより他人の足引っ張る方が楽なんだよなぁ……」


 楽に手抜きしようとするのもカズヤだった。

 得意技はカンニングだった。

 座右の銘は楽して得取れ、である。


「人間は皆、天使とアクマを内側に飼う奴隷なのだった、まる」


 と書かれた紙がこの世に生まれて、五分後に紙飛行機に転生していた。

 そして床に軟着陸した。

 墜落したとも言う。


「うがーっ! いかん! なんだか落ち着かん!」


 カズヤは床に散乱した紙飛行機を両手でズババババ、と集めてグシャグシャグシャと

握り潰してゴミ袋へポイ、と放り込む。

 かくして彼の青春の一部はゴミを増やすだけで終わった。


(うーんうーん……)


 カズヤは椅子に座ってそわそわと身体を揺らし、つま先をパタパタと上下させる。


(……人間の行動には全て理由が付属する。泣くのも喜ぶのも、全部全部……だっけ)


 とあるひとからの受け売りだ。

 正確には『人間』ではないのだが。


「会いに行ってみっかなぁ……」


 カズヤは鞄の中にA4用紙の束を突っ込んで部屋を出る。

 寮の廊下は木の匂いに満ちていた。

 カズヤが十三歳から――すなわち住みはじめてから五年目に突入する寮は木造の

オンボロ寮なのだが、まったく嫌悪感が沸かないのはゼップたちと過ごした思い出と、

古臭くも優しい木の香りのおかげだろう。

 誰かが歩く度に安い音を鳴らす床も、ゼップがたまに部屋で奏でるギターの音を一切

防がない壁も、慣れてしまえば苦ではない。

 寮は左右対称の造りになっていて左側が男子、右側は女子といった具合に部屋が

割り振られている。

 建物は三階建てで、カズヤの部屋は二階にある。同じ寮が学内に合計五棟ある。

 階段を降りて下駄箱が並ぶ昇降口で靴を履き替える。


 カズヤが目指したのはリッピが掃除していた礼拝堂だった。

 正面に構えている両開きの重厚な扉をぐっ、と押し開くと歌が聞こえてくる。

 賛美歌である。細く長く紡がれた金糸のような高音の歌声だった。

 礼拝者はいなかった。誰かが居れば彼女は歌わない。

 だから扉を開けた瞬間、歌声は止んでしまった。

 バサリ、と羽根を撃つ音がした。

 ステンドグラスと、ステンドグラスの手前に掲げられた巨大な十字架。

 そこから差し込む光が、翼から抜けて床へ落ちていく一枚の羽根を照らしている。

 羽毛の一本一本が綿のようだった。

 歌声を捧げていた彼女は純白の翼をにわかに羽ばたかせながらカズヤに振り返る。


「――――まぁ」


 彼女はそう言ったきり、何も言わなかった。

 代わりにニコリ、としとやかに微笑んだ。

 名をアリア=ベル(=天使・♀)と言う。

 年齢は教えてもらえないのでカズヤも知らない。


「こんちは」

「えぇ、こんにちは」


 カズヤが声をかけると間髪入れずに言葉が返ってくる。

 だがそれっきり彼女は黙ってしまう。


「小説、煮詰まっちゃってさ。ここで話しながらやっていい?」

「もちろんです。私で話し相手になるのでしたら、是非」


 笑みを絶やさない彼女はステンドグラスの光を浴びている。

 腰ほどまである長い黒髪が、色のついたガラスの光を受けて飴色に変じていた。

 彼女が着ている純白のローブが彩色の濃淡を際立たせ、とても綺麗である。

 カズヤは二人ぼっちの礼拝堂の通路を歩いて最前列の椅子に座った。

 椅子の前には長机があって、礼拝堂というよりは教室のような装いだった。

 選択した単位によってはここで授業を受ける場合もある。

 カズヤはそういった授業を受講していないが、天使教の宣教師アリア=ベルが

ボランティアで行っている歴史や種族学の講演には参加した経験がある。

 その縁あって、アリア=ベルと知り合った。

 机の上にA4用紙と筆箱を広げたカズヤは最初の十分間だけ真面目に考えた。

 彼は二、三文書いて、それ以上は書かなかった。

 鼻と口の間にペンを挟んで動かなくなってしまったカズヤの隣。

 席を一つ離して座ったアリアは無言のまま彼の言葉を待っていた。


「むーっ、今日はだめだ。やっぱりだめだ」

「だめなんですか」


 カズヤが何か言えば、アリアはすぐに反応する。


「なんかさ、落ち着かなくってさ」

「そんな日もあります」

「うん。でもさ、こんなんじゃ困るじゃん。アリアさん、前に言ってた。普通ではない

何かになりたいなら普通じゃだめだ。他の人よりがんばるひとにならなきゃ、って」

「えぇ、確かに言いました。でも流れに乗れない日もあります」

「んでもさ、人間がそうなっちゃうにはなんか理由があるんだ、って前の前の前くらいに言ってた」

「えぇ、言いましたとも」

「……なぁんで、落ち着かないのかなぁ」


 問われたアリア=ベルはクスリと――最初からずっと笑っているのだがこのときはより嬉しそうに――上品な笑みをこぼしていた。


「何かあったんではないですか? 何もないのにそんな状態にはならないでしょう?」

「うーん……あったっちゃ、あったのかなぁ」

「何があったんです?」

「えーと、ゼップに文章をバカにされて、ヨウコに妄想による妄想のための独り言を盗み聞きされて、リッピにお前は小説家になんかなれない出直しておいで豚野郎、って罵られた」

「あらあら。ひどい子たちですね」

「そうなんだよひどい奴らなんだよ! 小説の主人公にありがちな最恐のトラウマを押し付けられたよ! 今まで受けた愛がオセロの石みたいにくるん、て憎しみに裏返った気分だ!」

「悪い友人には神の鉄槌が下るでしょう。――さて、どこからどこまでが本当ですか?」

「……はい、すいません、嘘つきました。すっごく良い奴らです。俺にはもったいないくらい基本的には良い奴らです。言われた内容に嘘はないんだけど、事実を言葉にするときにちょっと、ほんのちょっと被害妄想入ったかも。ほら俺、想像力豊かじゃないと夢叶えられないからさ。言われたことに嘘はないんだよ、感受性豊かな子なんだよ」

「いじめられたわけではないけど、他人が一から五十を感じるところをカズヤさんは一のことから百ほど感じてしまう、といったところですか」

「そうそう。…………。うん」


 不意に言葉を切って、カズヤが指の上でペンを回す。


「大したことじゃないんだ。落ち着かないのはきっと、ちょっと、心配事があるんだ」

「お友達のことですか?」

「……ん、ヨウコがさ、部活見に行ってるんだ」

「いいことじゃないですか」

「ん――そうなんだけど、さ」

「遠くに行ってしまうのが怖いですか?」

「いやいやいや! まさかそんな! そんなんじゃないんだ」

「では何故?」

「…………。たぶん、かっこよさげな男に誘われたんだと思うんだよな。そういうときの顔してた。俺はいいんだけど」


 ……でもあいつが傷つくかもしれない。

 そんなことを、カズヤは言った。


「いつも思うんだけど、ヨウコには幸せになってほしいんだ」

「まだ傷ついたわけじゃないでしょう。仮に何かあったとしても、傷つかない人生なんてありませんよ。制御できる心なんて少ないのです。他人のことも自分のことも、みんなままならないことばかりです」

「わかってる。余計なお世話だってわかってても、俺がヨウコを心配するのを止めることができてないわけだし」

「えぇ。それが人間やアクマ、そして天使の心です。心配しても楽しんでも同じ時間が過ぎるなら、元気を出した方がいいんじゃないでしょうか」

「ん、そうだね」


 会話が途切れた。

 時間を持て余したカズヤは手の上でくるり、くるり、くるくるり、とペンを器用に回す。

 こういうどうでもいい才能だけを存分に発揮するのが、カズヤ=アサクラという少年だった。


「……さっきさ、天使もアクマも人間もおんなじ心みたいなことを言ってたけどさ、アリアさんはちょっと、違う感じがするんだよね」

「そうでしょうね。私たち天使はカズヤさんたちよりも理を深く受け入れている。役割に徹するのに長けている種族です。……それに私は羽根持ちですから。殊更にその傾向が強いです」


 羽根持ちというのは、ピュアロゴスと呼称される天使たちの種族名だ。

 天使がアクマや人間と交わる前。

 神話の時代からひたすらに天使だけで血を受け継いできた、血の濃度が高い天使の

ことを指す。

 学園に天使の生徒は多くいるが、羽根を持っている者は一人もいない。

 学園にはアリアだけなのだ。

 世界にも全人口の数パーセントしか存在していない。

 天使の中の天使。純白の希少種。

 優れた知性と病的なまでの優しさを持つ、自己犠牲と自己の感情を殺すことを

厭わない完璧主義者である。

 その生き様は徹底している。

 たとえば、アリア=ベルはカズヤが彼女に言語を発しない限り言葉を使わない。

 彼女からカズヤに挨拶をしたことは一度もない。

 カズヤがどれだけ悩んでいようとも彼女から心中を尋ねることはしない。

 邪魔になる可能性があるからだ。

 全ての人が声をかけられることを望んでいるとは限らない。

 全ての人が挨拶をされることを望んでいるとは限らない。

 全ての人が干渉を望んでいるとは限らない。

 故にピュアロゴスは、誰かから望まれない限り何もしない。

 しかし来る者を拒むことはない。去る者も追わない。

 そして誰に対しても平等に分け隔てなく接する。

 他人が幸せになれるなら平気で嘘をつく。

 必要があると判断すれば――あくまで相手から言葉を求められればだが――平気で他人を叱る。

 自分の幸せを減らして他人の幸せが増えるなら、自分が憎まれても他人が成長する

なら、平気でその道を選ぶ。

 選んできた、と歴史の教科書は語っている。

 程度の差はあれど、ピュアロゴス以外の天使も似たような生き方をしている。


 ――アリアさんのことは嫌いじゃないけど、

   天使のそういうとこは正直理解できないんだよね。


 とはリッピ=ムラサメの言葉であり、ゼップ=ムラサメもこれに同調していた。

 アクマは己の気の向くままに生き、天使は感情を忍ばせることを美学と信じ、両者の

ハーフである人間には清濁を飲み込む柔軟さがある。

 みんな一緒のようで少し違う。

 それが世界のカタチだ。


「俺ってアクマ寄り、天使寄りどっちなのかな」

「どちらでもカズヤさんはカズヤさんですよ。他人と同じになる必要はないはずです」

「……確かに。生産性のない質問だったね」

「いいえ。無駄なことなどありません。悩むことも迷うことも、きっと実を結びます」


 アリアの言葉に、カズヤはあまりいい顔をしなかった。

 抽象的な言葉だったからだ。

 全てに意味は存在する。

 これは本やテレビでよく聞く、天使教が好む方向性の言葉だった。


「…………。俺、今さ、新しいの書いてるじゃん」

「小説ですか?」

「うん。紙の上の世界だけどさ、そこではみんなが人間なんだ。役割とか種族とか関係なくて、みんなみんな、好き勝手に生きているんだ。そんな世界だったらさ、アリアさんも俺からの言葉を待たなくても喋れてさ、天使教の受け売りじゃなくてアリアさん自身の言葉で喋れてさ、アリアさんが何気なく思ってる愚痴も聞けるかもしれないんだよね」

「そうなんですか、是非完成させてほしいですね。でも私、愚痴なんてありませんよ」


 アリア=ベルはふっ、と短く息を吐いてから言う。


「年下のかわいい男の子が私目当てでここに来てくれるんだもん。幸せだよ」


 と、言葉を崩してカズヤに発言した。


「お、そうなんだ。やべえなー俺がアリアさんを幸せにしちゃってるわけかぁ!」

「うん、そうそう」

「別のひとにも言ってねーですよね? リップサービスじゃないよね?」

「さぁ、どうかな?」

「ぎゃーっ! 弄ばれた! ひどい! 返して! 俺の黄金色のトキメキを返金して!」


 アリア=ベルはアハハ、と声を出して笑った。

 それはまるで『嘘』のように明るい、たおやかな笑顔だった。

 法に基づき、規律を重んじ、自制を志す天使には不相応な顔だった。

 だがアリア=ベルの美しき相貌を更なる高みへ誘う、神が与えたもう『人』の顔でも

あった。


 ――穿った見方をすれば、カズヤの要望にいつものように応えただけの顔だった。

 ――さて神様。彼女は一体、どこからどこまでが本当ですか?


(……なんて意地悪で卑屈めいたことは、言わないけどね)


「どうされました、カズヤさん」

「んにゃ、なんでもない。よしっ、ちょっと元気出た!」

「それは何より、です」

「うん! じゃあ部屋に戻るっかなー」

「――あら。せっかくだから、ここで作業していけばよろしいのに」

「え? えー、あー、いや、元気も出たし部屋の方がはかどるかなー……なんて」

「…………」


 繰り返しになるが、ピュアロゴスは他人が求める範囲でしか干渉しない。

 その分、何も言わないで、無言で相手に何かを訴えるのがうまい――のかも

しれない。

 

 ゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴ、と礼拝堂が揺れていた。

 カズヤには、そのように思えた。


「……ここでちゃんと今日やると決めた分を書いてから帰ります、美人のお姉さん」

「まぁ。正直者でお利口さんだこと。そういうひと、好きですよ」


 カズヤ日記 九五三年 四月一二日

 俺は今日、ピュアロゴスの笑みにアクマの殺意を見たのだった!


ありがとうございます。しばらくお試しで0時更新を心がけます。お気に召しましたら、是非。

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