「だからあたしは世界で一番、かっこよくてステキな女になる!」
翌日は晴天に恵まれ――ということはなく、とんでもない土砂降りだった。
どの程度の大雨かというと、悪天候のせいでバスが運休になったほどだ。
「こりゃ、外には出れねぇなぁ……」
カズヤは日中、久しぶりに寮でずっと過ごした。ゼップのギターを聴きながら小説家の真似事をしてみたり、サボりがちだった日記をまとめて書き連ねてみたりした。
作業にキリがついたところで、カズヤはゼップを遊びに誘った。
「ヨウコとリッピ誘って、人生ゲームでもやらない?」
「いいだろう」
カズヤの部屋に集まってゲーム開始である。
ちなみに過去の戦績は、ほぼカズヤの一人勝ちである。
「カズちゃん、こういう細かいのは強いよね」
「これに関しては才能とかじゃないと思うけどな……」
ヨウコはお金を大事に使っていく。ゼップとリッピはとにかく大勝負をしたがる。
ゼップかリッピが大勝しないかぎり、カズヤがだいたい勝つ。
「性格が出てるだけだろ」
カズヤが言っているそばからリッピがカジノに手を出していた。
「ゲームなんだから大勝負よ!」
「いやお前、ゲーム以外でも勝負師だろうが!」
「それはそれ!」
リッピは大口開けて笑っている。
――気負いとかは見受けられなかった。
(うーん……俺がそわそわしているのがバカみたいじゃないか)
「カズちゃんの番だよ」
「あー、はいはい」
くるくるくる、とルーレットが回っていく。
「どの目が出るかは結局、回してみないとわからないよなぁ……」
「うん?」
「いや、なんでもない」
ゲームはリッピの大勝、ゼップの大敗だった。
そして、夜が来る。
「今日の人生ゲームは実に有意義だったわ!」
「ちっとも有意義じゃねぇよ!」
次の晩御飯のおかずを賭けていたので、カズヤはとてもおもしろくなかった。
「男がいちいち小さいこと気にしてちゃモテないぞ?」
「うう……」
ちなみに二人はまだ部屋にいる。時間は十時前だ。
「……そろそろ、行くか?」
カズヤが出発を促した。
「うん」
「なんか、さっぱりした感じだな」
あっさり頷いたリッピにカズヤが言った。
「ビクついててもしょうがないでしょ。恋は度胸よ!」
「そっかぁ……」
カズヤには一生真似できそうになかった。
二人は寮を出て礼拝堂に向かう。まだ雨がぱらついていたので二人とも傘を差していた。
「けっこう冷えるな」
「ね」
会話はそれで途切れたが、雨音のおかげで沈黙にはならなかった。
程なくして礼拝堂が見えてくる。
「扉、開いてるな」
開けっ放しになっていた。
「うん。……カズちん、先、入っていいよ」
「ん? おう」
カズヤは傘を畳んで室内を覗く。
最前列の席に座るノアの後姿と、彼の前に立つアリアの姿が見えた。
話し声が聞こえる。
「待った」
小声でカズヤが背後のリッピを制した。
「ちょっと、何、入らないの?」
「いや……二人で話してる。礼拝中なんじゃないか」
耳を立てると、確かに二人が話しているのが微かに聞こえる。
「……夜分にいつもすみません」
「いいえ、これも勤めですから」
リッピとカズヤには気づいていない。
「……終わるまで待とうか」
「待って、黙って」
リッピがきつくカズヤを制止した。
そして二人の会話に集中しているような素振りを見せた。
「……?」
そんなに、リッピが血相を変えるような話をしているのだろうか。
「今日は礼拝ではなく、懺悔をご希望と?」
「はい」
「……よろしい。教徒ノア=レベスト。汝の告白を聞きましょう」
アリアがカズヤたちに聞かせたことのない、威厳に満ちた声色で応対していた。
「私、ノア=レベストは一人の女性の心を彼女の意にそぐわぬ言葉により、大いに傷つけました」
カズヤとリッピが潜めていた息を止める。
「彼女は私と共に過ごすことを求めました。私はそれを拒絶致しました」
「それは何故です?」
「彼女はアクマであり、私は天使です。神の意にそぐわぬ交際となりましょう」
「確かに、汝の言うように神はエヴァとアダムの婚姻を認めませんでした。ですが今日、天使とアクマは多くの愛を育んでいます。彼らの愛の結晶である人間たちも大勢います。天使教はけっして、それを否定していません」
「心得ています。ですが我が家は代々、頑なに神を支持し、原罪を悔い改めております。さらに言えば彼女は生徒であり、私は教師なのです。この事実は彼女の将来に大きな影響を及ぼすでしょう」
「……成程。それは確かに疑いようのないことでありましょう」
「さらに加えるならば、彼女は類稀な能力を持って産まれてきました。驕ることなく努力もします。生来の爛漫さも手伝ってこの先、輝かしい人生を歩むことでしょう」
「故に、彼女を拒絶したのですか? 彼女の先を守るため?」
「はい。理由を告げることなく」
「それは何故に」
それは、とノアが答えかけたときだった。
「――逃げたかったからよ」
リッピは、肩を怒らせて前に出た。
「お、おいおい、リッピ」
「ごめんカズちん、黙れ。うるさい」
「あ、はい――すいません」
ぶった切られたカズヤは震えるしかなかった。
「……さっきから黙って聞いてたら、昨日の焼き直しじゃない」
リッピはノアとの距離を詰めながら、決死の表情で言い放つ。
ノアとアリアは黙って彼女を見つめていた。
「せんせ、昨日も同じこと言ってた。俺は教師だから。俺は天使だから。お前は生徒だから。お前はアクマだから。そればっかだった」
「――お前にとって納得するのが難しいことはわかるが、事実だ」
「そんなのわかってる! 周りに認めてもらうのが難しいことくらいわかる! そんなのが聞きたいんじゃない! あたしはただ、せんせがあたしのことをどう思ってるか知りたいだけ!」
リッピの叫び声が堂内に反響する。
「……せんせ、あたしのこと、嫌い?」
ノアは答えない。
「言ってたじゃん! あたしのことかわいいって! 妹みたいだって! そばにいたら安心するって――陸上だって、お前はすごい選手になるからがんばれって言ってくれたじゃん!」
ノアは答えないし、カズヤもアリアも何も言えない。
「あたしほんとは陸上じゃなくたってよかった! でもせんせが言ってくれたから陸上に決めて、せんせが喜んでくれたから、陸上がんばってた! お前なら自分なんかよりすごい記録、たくさん作れるからって、なのに………………っ」
炎を吐き出していたリッピが唐突に、嗚咽を漏らした。
「……なのに、どうして周りがどうこう言うからって、遠ざけようとするの? 離れたいなら離れたいって、はっきり言えばいいじゃん――」
「…………」
「ちゃんとフってくれたらあたしだって考える!」
「…………」
「黙ってないで答えてよぉ!」
「――わかった、はっきり言う」
ノアが答える。
「お前のことは大切に想っている」
「……なに、それ。だったらどうして!」
「がんばってほしいんだよ。お前はアクマだから、恋が一番なのはわかる。でもそれだと選手としてのお前の邪魔になる。……俺はお前の負担になってしまうのが、どうしても嫌なんだ」
「そんなのいらない! あたしはせんせの方が欲しい!」
「リッピ……頼むから、そんなのなんて言うな」
ノアは一度、息をついた。
「俺が欲しがっても欲しがっても手が届かなかった――陸上の、世界の一番だぞ?」
「……でも」
「いつも教えたじゃないか。お前みたいに恵まれた力を持つ奴は少ない、と」
「…………」
「それがどれだけ尊いことか――わからない娘じゃないだろう?」
「だったら――だったらあたしが世界で陸上で一番になったら! ……そのときは、いいの?」
「……。そうだな」
「それまでせんせは、我慢……できちゃうんだ?」
ノアは、黙り込んだ。
「……そっか。せんせにとって、今のあたしってその程度なんだね……あたしは今、せんせが世界で一番で、欲しくて欲しくてたまらないけど、せんせは、そうじゃないんだよね……?」
「――そう感じられてもしょうがないかもしれないな。でもお前と離れるのが一番正しいって、俺は信じてる。……正しいはずなんだ。正しいはずなんだよ」
「そっか。……そっか」
リッピは噛み締めるように二回呟いて、
「……わかった」
前触れもなくカズヤのいる方へ走り出した。そして、そのまま礼拝堂を出て行った。
「あ、おい! リッピ!」
カズヤが慌てて追いかける。
「待て!」
外は雨が降っていた。大降りではないが、小雨と呼ぶには雨粒が大きすぎた。
「傘も差さないでどうすんだよ!」
カズヤは濡れながら追いかける。
「あああーっ! くそ! はええよアイツ! 止まれぇぇぇえっ!」
必死に叫んだのが聞こえたのか、リッピはいきなり立ち止まった。
「ごめん、カズっち。今はひとりにして」
カズヤが追いついた途端、リッピが言った。
「いやいやいや、身投げとかされたらどうすんのよ俺」
「そんなのじゃない。ひとりにしてほしいのは泣くためじゃない」
「だったらどうして!」
「走りたいの」
「へ?」
「あたし……あたし今さぁ――思い切り、走りたい気分なの」
「この天気の中を?」
「関係ない。今、もうね……腹が立って立って、腹立たしくてしょうがないのよ」
夜闇に稲光が奔った。雲からではなく、リッピの尻尾からだった。
「こんなに大好きなのに、おんなじレベルで見てもらえないのがとても悔しい。せんせの好きとあたしの好きが同じじゃないのが悔しくて悔しくて悔しくてしょうがない!」
尻尾に落ちた雨粒が瞬時に蒸発する。
「だからあたしは世界で一番、かっこよくてステキな女になる! 誰も手が届かないくらい速く走れるようになって、あのひとが目をはなせないくらいの女になる!」
歯が軋む音がした。リッピはカズヤと目を合わせた。
「――あたしはヨッコとは違うから、いつか、力ずくでも奪いに行く」
虎をも食い殺しかねない、殺気に満ちた瞳だった。
「……わかったよ、もう止めない。走ってこいよ」
走り去ったリッピの背中はもう、遠いところまで行ってしまっていた。
「……あれがアクマの激情か」
――ヨウコもいつかパワーアップしたら、ああなるのかな。
「そうなったらどーしよーもねぇな……」
知らず、カズヤからため息が出る。雨にずいぶんと打たれたので髪の毛から水が滴っていた。
――しかしリッピに関してはこれで、一件落着だろう。
『カズヤさん、聞こえますか』
「うわっ」
カズヤの頭に直接、声が響いた。
「え、アリアさん?」
『はい。奇蹟で言霊を送ってます』
「そんなことできるんすか……」
『羽根持ちですから。……では、そのまま聞いていてください』
「へ? 何を?」
『本当の、懺悔です』
キン、とカズヤのこめかみに鋭利な痛みが走る。
「いででで」
『我慢してください……私の声だけじゃなくて礼拝堂の声が聞こえるようにしてます』
ごそそそ、とカズヤの耳に雑音が届く。
『……お騒がせして申し訳ない』
ノアの声だった。
『いいえ。彼女、納得できそうですね』
『えぇ、きっと。……アクマは自分が決めた相手を手に入れるためなら努力を惜しまない。あれできっと、私を手に入れるために立派な選手を目指すでしょう』
――?
――なんだ、それは。
『えぇ。……では、本当の懺悔をはじめなさい、ノア=レベスト』
――いい選手にするために、リッピを傷つけたのか?
『はい。私、ノア=レベストは、神に仕える身であり、高潔な精神を持つべきにも関わらず、……卑しくも、教え子を女性として愛し――そして、彼女の才能を妬んでいます』
カズヤには最初、ノアが何を言っているのかよくわからなかった。
『あなたは学生時代、将来有望な陸上選手でしたね』
『はい。……天使の中では世界一になりました。ですが天使の一位はアクマの大会の入賞にも及びません』
天使とアクマでは身体能力が違う。
天使が出場するのは種族別の大会が多い。
種族無差別の大会もあるが――出ているのはアクマと、アクマに挑もうとする、無謀な一部の挑戦者だけだ。
『リッピ=ムラサメに悪意がないのはわかっています。己の、選手としての努力が無駄でなかったことも頭では理解しています。しかしそれでも、私は彼女が妬ましい。何故あの能力が自分になかったのかと思わずにはいられない。彼女が自分の能力を手放してもいいという言葉に殺意すら覚えてしまう……恋を理由に走る彼女が何故誰よりも速いのか、と』
『それが、彼女を受け入れられなかった本当の理由ですね』
『……私は彼女が思っているほど立派な存在ではない――あの子の純粋さに見合うだけのものなど何一つとして持ってなどいない。……彼女を愛しているのに、醜い嫉妬を抱いてしまった。好きなのに……妬んでしまっている己がどうしても許すことができない――天使の身でありながら彼女を純粋に愛することが、どうしても……』
『……そうですか。きっと彼女が聞けば、貴方を怒るでしょうね』
音が聞こえた。衣擦れの音だった。
『……あなたは真実を彼女に伝えなかった。それはきっと貴方の優しさなのです。貴方が弱さと罵った自分の暗部はきっと、視点を変えればリッピ=ムラサメへの愛なのです。彼女に見合う高潔な存在でありたいと願う心なのです』
アリアが、ノアを抱き締める音だった。
『あの子が大人になるまでまだ時間があります。それは貴方が弱さを克服するための時間があるということです。……強くなりなさいノア=レベスト。あれほどまでに純粋に恋を伝えようとしたあの娘の想いから目を逸らさず、正面から受け止められるくらいに――強くなりなさい』
アリアの術によってカズヤに届いていた会話は、そこまでで切れた。
***
通信(?)が途切れたあと、カズヤはすぐには寮へ戻らなかった。
彼は傘を差した状態で、礼拝堂の扉が見える位置でノアが出てくるのを待っていた。
時間はそれほど要さなかった。
ノアは傘を差さずに礼拝堂から出てきて早足で立ち去っていた。
カズヤは無言で、ノアが出てきたばかりの扉を開いた。乱暴な手付きで開いたのでギギギギ、と蝶つがいが軋む音が響いた。
「……ただいま」
「いらっしゃい、きっと来ると思っていました」
アリアは扉の前に立っていた。いつも通りの笑顔だった。
「……さっきのあれ、なんすか?」
「声を一定範囲内にいる対象に送る術です。羽根持ちに許された神の業です」
「そっちじゃなくて、なんでノア先生の秘密を俺に聞かせるような真似を?」
「聞かせたかったからです」
「なんで?」
「見せてみたかったのです。好きなのに無理矢理離れようとする男性の姿を、カズヤ=アサクラに」
「どうしてそんなことする必要があるんだよ!」
「あなたが同じことをしているからです」
アリア=ベルは静かに続けた。
「好きなのでしょう、ヨウコさんのこと」
「……っ! ちょっと、待ってよ――なんでみんなして……アリアさんまで」
「質問に答えてください」
「い、いいの? ……そんなこと言っていいの? ピュアロゴスはひとが望まないことは言わないんだろう?」
「カズヤさんの望みでしょう」
「おれ?」
「えぇ。ヨウコには幸せになってほしい、と言っていました」
「……いつ?」
「春になってすぐだったかと思います」
カズヤに言った覚えはなかったが、その想いは確かに彼の中に存在する。
だから言っていてもおかしくない、と彼は思った。
「……好きでしょう?」
「なんでそれが、ヨウコの幸せと関係ある……?」
「無関係だと言い張れるのですか?」
「う――ぐ」
カズヤは苦しむ。だがアリアは迫る。
「好きなのでしょう?」
天使の本質は厳格な全体主義だ。
幸せと成長のためなら平気で嘘をつく。必要があると判断すれば平気で傷を抉る。きつい言葉を投げかける。自分が憎まれても他人が成長するなら平気でその道を選ぶ。
「う、うぅ――ぐ」
リッピにあてられたのか、それとも最近色んな人物に言われたせいか。
それとも否定するのがいい加減、面倒になったのか。
「……確かに、好きだよ!」
カズヤは頭に血が上って、誤魔化し続けていた本音をぶちまけた。
「だけど、俺にはあいつは無理だ……ッ」
「どうして?」
「アリアさんならわかってるだろう! 俺には何もない!」
「何がないのです?」
「ゼップみたいに音楽が演奏できるわけじゃない! リッピみたいに早く走れたりするわけじゃない! アリアさんみたいに羽根を持っているわけでもない! それに、」
次の一言は重い。だがカズヤは止まれない。
「小説だって一度も完成させたことない! 知ってるだろう!」
カズヤは――言ってしまった。
「えぇ。知っています。作業しているところは何度も見てますが、完成したものは一度も見せてもらったことがありません。でもヨウコさんに見せるためにがんばってるんでしょう?」
「そんなの言い訳だよ――あいつをダシにして逃げてるだけだ」
カズヤの呼吸が荒い。空気が足りなくて何度も咳き込んでいる。
「仮に貴方がなんの才能もなく、どうしようもなく劣った人間であったとしても、それがヨウコさんを好きになるのがダメな理由になるんでしょうか?」
「……なるさ」
くくっ、とカズヤは嗤った。
やけに耳につく嗤いだった。
「だってさ、――たぶんだけど、あいつのアクマ化を進行させたの、俺だぜ?」
「……? それは、どういう?」
アリアの肩に力が入る。
「あいつがうちに来て、最初に大きくわがまま言ったのは俺に対してだった」
……私のこと、好き?
「あいつがエレルとかに言ったのと、おんなじ内容だった」
……ずっと、好き?
……放さない?
……嫌いになったりしない?
……結婚してくれる?
「最初の方は『ハイ』で答えたけど、普段のあいつと違うからびっくりして、……結局、お前のことは嫌いじゃないけど結婚とかは無理だって拒絶した。そしたらあいつ、言ったんだ」
……そっか、私の好きは、カズちゃんの好きと、違うんだね。
……私が間違っちゃったんだね。
「そんときに、よせばいいのに、俺は言っちまった」
――間違ってなんかない。
――俺が情けなくてなんもない奴なだけで、何も間違ってなんかない。
――だからがんばって探せよ。お前はそのままでいい。いつか、見つかるよ。
「あいつの病気は何が原因かはわかんないよ。でも原因の一端はたぶん俺だ。俺があいつを狂わせた。そんな奴が今更……なぁ?」
カズヤは難しい顔をしているアリアに同意を求めるが、彼女は何も言わなかった。
「あれ以来、あいつは俺のことでアクマになったりしない。……俺のことなんてなんとも思ってないよ。愛想尽かされてるんだ。当然だろ」
「……好きでいられることも辛くて、好きでいることも辛くて、逃げていたんですか?」
「そうだよ! 味方になるって決めた妹を、初恋の女の子から告白してもらったのにいざとなったらあいつを真っ先に拒絶して傷つけた! 今まで生きてきた中で最大のトラウマだ!」
「……それは、あなたのせいでは、」
「俺のせいじゃないって言うのは簡単だよ。他人はそう言うだろうね。言うのは簡単だよ。でもね、俺がそうじゃないと思うのは難しいよ。だってそうだろう? 自分の思い通りに制御できる心なんて、少ないんだろう?」
カズヤは意地悪く、いつかアリアから聞いた言葉を返した。
「っ、カズヤさん、あなたは――」
「思ってたより根が深かったかい? ……奥手の男の子がただ素直になれない、程度のことだと感じてたかい?」
アリアがたじろいだ。
「そうなんだろ?」
「…………」
「我ながら困ったもんだよ。学園モノでトラウマ持ちのキャラクターが突然キレるなんてもう流行らないはずなのにさ……自分が大嫌いな厭世思想の奴なんてウザがられて読者票取れないなんてわかりきってんのにさぁっ!」
カズヤが拳を礼拝堂の机に叩きつけた。
そして崩れ落ちるように、礼拝堂の最後列の、手近な椅子に腰掛けて呼吸を整えた。
叫びすぎて、辛そうな顔をしていた。
アリアは、顔を蒼くして立ち尽くしていた。
「……ヨウコに幸せになってほしいのは確かだよ。でもそのために俺を利用しようとしたのは間違いだったね」
「……カズヤさんの発言だけで動いたわけではありません。頼まれたんです。カズヤさんとヨウコさん、仲良くさせてあげられないかって」
「誰に?」
「エレルさんです」
「……妄想もそこまでいけばすごいな。クジの偶然もあったんだから自分がヨウコをさらえばよかったのに」
「偶然では――ないです」
「……へぇ。仕込んだんだ?」
「はい。彼はヨウコさんとカズヤさんで仕込むように頼んできましたけど、それだと貴方が逃げると思ったので、今の形に」
「いい読みだね。神聖な儀式を使ってまでやったのに計画が三流だったのが悔やまれる」
「ノア=レベストの懺悔を聞かせてカズヤさんの本音を引き出すのは成功したんですけどね。その本音が予想外でした」
「俺に見せるくらいならリッピに聞かせてやってほしかった。それはノア先生の望むところじゃないから、羽根持ちのアリアさんがやるのは無理なんだろうけどさ」
「……その通りです」
「……リッピが、かわいそうだ」
「…………」
「アリアさんのことけっこう好きだったし、余計な手、出してほしくなかったや」
「余計な手も出したくなります。貴方とヨウコさんの関係は傍から見ていて異常でしたから」
「今後の参考にさせてもらうよ。……次からはもっと、うまくはぐらかすようにする」
カズヤは挨拶もせずに椅子を立って踵を返す。
礼拝堂を出て行くつもりなのは明らかだった。
「ひとつだけ言わせて」
アリア=ベルは敬語を解いていた。
「何?」
「もしヨウコちゃんがまだカズヤくんのこと好きだったら、まったく問題ないんだよね?」
「ありえないことだと思うけど、そうなんじゃないかな」
「そう。……嫌な思いさせて、ごめんね」
「いいよわかってるから。ピュアロゴスは人の願いに逆らえない。ひとを成長へ導くのが使命……でしょ? 今回のは年上キャラにそぐわない暴走だったと思うけど」
「私もヨウコちゃんとカズヤくんが幸せになるの、見たかったから」
「職権濫用は控えた方がいいよ。戒律に縛られて大変なのはわかるけどね。あと気まずくなるのが嫌で謝るくらいなら、悪企みなんてしないほうがいいと思う」
天使なんて不器用なんだから、というセリフは、カズヤの胸にかろうじて留まった。
「また――来てくれるよね?」
「……たぶん。完成しない小説が行き詰まったら、来るよ」
外はまだ雨が降っていた。
カズヤはこれを、いい雨だと思った。
(これなら今、頬を伝っているのが雨か涙なのか自分にもわからない、まる)
傘も差さず、礼拝堂から寮まで真っ暗な道を歩いた。
びしょ濡れになった。服がべったりと肌に張り付いていた。
「くそ、つめてぇ……」
カズヤはぺた、ぺた、と水の足跡を廊下と階段に落としながら部屋に向かう。
消灯時間はまだ訪れていないが、節電のために廊下の電気は切られていた。
手探りで通路を進んで自室に戻り、電気を点けた。
服を脱いでタオルで身体を拭いて、床に座り込む。
ゼップのギターもない。雨音だけの小さな空間だ。一人で泣くにはちょうどよかった。
(――どうせ泣くなら、あれも見とくか)
机の一番上の引き出し。鍵付きの引き出しには、カズヤが誰にも見せないようにしている日記帳がある。




