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「……待ってる女の子やるのは、けっこう大変なんだぞ」

 一幕、カズヤが深く関与しない場面を挟む。

 アリア=ベルはカズヤが去った後、リッピを何も言わずに抱き締めて頭を撫で続けた。

 貴女は悪くない、とでも言いたげな、丁寧で優しい手付きだった。

 全てを赦し、全てを受け入れる無償の慈愛が可能にさせる行動だ。

 彼女はカズヤのように、自分から頃合を見て声をかけるようなことはしない。

 アリアが抱き締めることをリッピが許容するかぎり、無言でそれを続ける。

 カズヤたちに限らず、心折られたときにアリア=ベルを訪ねる者は多い。

 ひとを集めるための何かを、彼女は確かに持っていた。

 そしてその何かは、リッピの泣き声を消しつつあった。


「……アリアさんは、誰かを好きになったことある?」


 突然、リッピが訊いた。


「ありますよ」

「付き合った?」

「はい」

「……そのひとと、別れちゃった?」

「はい。別れてしまいました」

「……辛かった?」

「えぇ。たくさん泣きました。そして今の貴女のように母様の胸に抱かれました。いつか誰かに同じことをしてあげてね、と約束しました。今日、ちゃんと果たせましたね」

「…………」

「ちょうどリッピさんと同じくらいの年頃だったと思います」

「なんで別れちゃったの?」

「神話と同じです」

「神話?」

「えぇ。エヴァとアダムの恋物語、と言った方がわかりやすいでしょうか」


 リッピが息を呑む。


「私は羽根持ちですから。血筋を絶やすわけには、いかなかったのです」

「……でもそれは最初からわかっていたことだったんでしょ?」

「はい」

「じゃあなんで……なんで付き合ったの?」

「好きだと言ってくれたのです。守りたい、と願ってくれたのです。あのひとはアクマ

でしたから。世界の理など曲げてみせる、と宣言するくらい私を求めてくれました」

「その人は、負けちゃったの?」

「――そうですね。でもね、終わりは残念でしたけど、今では良い思い出なんですよ。

あのころのときめきや想いは今でも、ちゃんと覚えています」


 アリア=ベルはたおやかに、しとやかに微笑む。絵画に描かれる聖母の笑みだった。


「終わりが残念だからといってそれまでの全てが無駄になることなんて、ないのです」

「――うん」


 リッピは、アリアの話をきちんと聞いた上で、力強く頷いた。


「……あたしね、大好きなひとがいるの」

「はい」

「でもね、そのひとはあたしと一緒にいられないって。理由は、言いたくないって」

「はい」

「でもそんなの納得できないから、明日もう一度、ちゃんと話す。あたしがどれくらい

あのひとを大事に想ってるか、ちゃんと話す」

「はい」

「絶対に、わかってもらう」

「はい」


 リッピはアリアから身体を離して、尋ねた。


「……その相手がノアせんせでも――だめじゃないよね?」


 アリアは一呼吸分、沈黙した。


「好きになる相手は選べません。たとえ神がお怒りになられたとしてもアクマ・エヴァが人間を産み出したように、天使・アダムが苦悩しながらもエヴァへの愛を認めたように。恋とはそれほど大きなエネルギーを持つものです。……だめな恋愛など、一つとして存在しません」

「うん、ありがとう。あたし、がんばる!」


 リッピが放ったのは今日一番の、会心の笑みだった。


「あ、でも明日は休みでノアせんせ、いないから、週明けかな……」

「ノア=レベストと話がしたいなら明日、午後十時に礼拝堂へ来てください」

「え?」

「一週間に一度、彼は個人的に礼拝に来ています。ここでなら誰にも邪魔されずにゆっくり話せるでしょう」

「……うん!」

「それでいいですよね、カズヤさん」

「へ?」


 アリアが目を向ける方向をリッピが振り返って、


「……いや、なんというか、声をかけるタイミングが掴めなくてね」


 盗み聞きをしていた格好になってしまったカズヤがそぅ、っと出てきた。


「話の途中で大きな音立てたら不味いな、静かに入ろう、っていう心遣いが逆効果になったのだ、まる」

「んー、まぁいいや、許す」

「許された! 勝訴!」

「どこから聞いてた?」

「ノア先生の名前が出た辺りかな――」

「なんだ全然聞いてないじゃん」


 傍観していたアリアが「あの」と口を挟んだ。


「差し支えなければ明日、カズヤさんも来てはどうですか?」

「へ? 俺?」

「カズちん?」

「えぇ。告白の勉強にはちょうどいいと思うのですが」

「ぶ――――――っ!」


 カズヤが二酸化炭素を噴出した。


「……あっ、なるほど」


 リッピがぽん、と手を叩く。


「いいね、おいでおいでカズちん」

「待て待て、なんで」

「異議は認めません。敗訴!」

「えええ……ふざけん」な、と言いかけたところでカズヤはリッピの手に口を塞がれた。

「……待ってる女の子やるのは、けっこう大変なんだぞ」


 カズヤは言い返せなかった。

 リッピの声と目があまりにも真剣だったから、言い返す気力を削がれてしまった。


「よし、決まり! あたしから愛への姿勢を学べ、軟弱野郎」

「……へい」

「話がまとまってよかったです。ちょうど、消灯の時間ですよ」

「あ、もうそんな時間なんだ。いこ、カズちん。ありがとね、アリアさん」

「いいえ。明日、うまくいくよう祈っています」


 アリアの笑顔に見送られて、二人は礼拝堂をあとにする。


「うーん……」

「どうしたの、カズちん」

「や、なんだかすげえ違和感があるんだけど……なんだろう」

「?」


 リッピが首を傾げる。


「まぁいいや、どうせ大したことじゃないだろ」


 ――カズヤは気づかなかったが、答えを先に言っておく。

 アリア=ベルがカズヤたちに『提案』をしたのが初めてだったのだ。

 羽根持ちのピュアロゴスが手紙以外で『提案』をしたことが、初めてだったのだ。


「うーん?」


 カズヤ=アサクラは最後の最後まで、気づけなかった。


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