「キミがやれ、カズヤ=アサクラ」
一時間後、約束通り裏庭である。
小心者のカズヤは十五分ほど早く待ち合わせ場所に来て、
(殴られねぇよなぁ……)
と内心ビクビクしていた。
夕飯後なので当然、周辺は暗い。
(金属バットでいきなり殴られて、ひっそり埋められたら完全犯罪が成立するんじゃねぇか)
被害妄想もここまでくれば立派な作品である。
「カズヤくん」
エレルの声がして振り返る。
振り向いたら不良さんがいっぱい。
……ということもなく、エレルひとりだった。
「早いなぁ……十分前だぞ」
「キミこそ。先に来てたじゃないか」
二人はなんだかんだで元クラスメイトなので、普通に会話をする分には問題ない。
「飲む?」
エレルがカズヤに差し出したのは缶紅茶だった。
「好きだったろ?」
「うぇ――なんだ、どうしちゃったのエレルさん、大サービスじゃん」
カズヤはふと思い出す。マフィアは殺す前に贈り物をするらしい。
(……毒とか入っていないだろうか)
失礼なことを思いつつ、カズヤは素直に受け取る。
「こっちから呼び出したし、これくらいは」
言いながらエレルは自分の缶ジュースを開けていた。
「頂きます」
カズヤは口の中を湿らせるように少量を口に含んだ。
「――まず先に謝りたい」
口を開いたのはエレルだった。
「この前は好き勝手言って悪かった」
予想外の言葉にカズヤが面食らう。
「あ……いや、こっちこそ」
うまく反応できなくて、カズヤは言葉を切らしてしまった。
「意外、って思ってる?」
「そりゃあなぁ。この前の剣幕を思えば超展開だぞ」
「無理もないか」
エレルが苦笑する。
(そういえばこいつ、基本的には物分りよくて大人しい奴だったっけなぁ)
――恋はひとを惑わせる、といったところか。
「ヨウコちゃん、元気?」
「元気だよ。ちょっと前まで落ち込んでたけど元通りだ。あれが出たあとはいつもへこむけど、戻ればもう大丈夫」
「そう。よかった。彼女、エヴァをやるのかい?」
「やるよ。……やっぱりその話か」
「訊きたくもなるさ。キミも僕がどう思っているか興味あっただろう?」
「……。まったく興味がないと言えば嘘になるけどなぁ。お前さんとしてはやっぱり
嬉しいのかな、好きな子と神話のカップルを演じる、っていうのは」
「悪い気はしないね。別れちゃう話だけど」
「ほー……」
――まだ諦めてないのかな。
「僕はまだ、彼女が好きだよ」
カズヤの心を見透かしたように、エレルは不意打ち気味に本心を打ち明けた。
「だからキミと話がしたかった」
「というと?」
「キミがやれ、カズヤ=アサクラ」
「何を?」
「アダム役を」
「……ハァ? いや待てなんだそれ、意味わかんないぞ。嬉しかったんだろ? だったら何で俺に役を押し付けるんだよ」
「押し付けているんじゃない。譲ると言っている」
「一緒だろ! ……っていや待て待てそうじゃない。落ち着け、俺……」
すー、はー、と深呼吸を何度かして、カズヤは言う。
「えーと……確認するぞ」
「どうぞ」
「お前は、ヨウコが好き」
「うん」
「二人で栄えある大役をやることになって嬉しい」
「うん」
「なのに俺に、ヨウコの相方の役をやれと言う」
「そうだ」
「なんで?」
「ヨウコ=クサワケが、それを望んでいるだろうから」
「……えええ? それ、本人が言ったのか?」
「言ってない。でも想像がつく」
「妄想じゃねぇか……」
カズヤがうなだれる。
「その様子だと、なんで僕がこの前キミを怒ったか、わかっていないな」
「……あー、はい。恥ずかしながらまったく」
「キミ、彼女のこと好きだろう。それなのに逃げてるから怒ったんだ」
「――――。笑えない冗談だ」
「はぐらかすなよ。僕よりもキミの方がいい。その方が彼女は喜ぶ」
「だーかーらーっ。妄想で語るなよぅ」
汗をかきながらカズヤが喚く。
「だいたいなぁ、そんな理由で神聖な儀式の代役が認められるわけねぇだろ」
「認めたぞ、アリアさん」
「ハァーッ?」
「さっき話してきた。キミが承諾するなら、それでいいそうだ」
「承諾しない。なので、主役はお前だ」
「……いいのか、それで」
「いいよ別に」
「…………」
唇を尖らせるカズヤをエレルが睨む。
「じゃあ、わかった。代役を立てる話はなしだ」
「そうしてくれ。お前の妄想には付き合ってられん」
「それもわかった。じゃあ僕がまた彼女と付き合いたい、って言ってもキミは何も
言わないな?」
「言うわけねぇだろ。当人たちの問題だ」
「この前は口を出してきただろうに」
「別に邪魔してねぇだろ。それに二回目にチャレンジする猛者はお前が初めてだよ」
「そうかい」
険悪、とまではいかないが不穏な雰囲気だった。
「……でもたぶん彼女は断ると思うぞ」
「だーかーらー俺には関係ないだろーっ!」
「まぁね」
エレルはため息まじりに、鼻から大きく息を吐き出した。
「つまらない話をして悪かったね」
「いいよ別に。紅茶ごっそさん。俺はもうちょいここで涼んでから帰るから、先帰れよ」
「わかった」
「……あー、待て」
帰りかけたエレルをカズヤが引きとめた。
「ひとつだけ、お前の妄想話に返答してやる」
「なんだい」
「ヨウコが俺を好きだ、ってエレルは言ってたけど、それは間違いだ」
「どうして?」
簡単な話だ。
至極、簡単な話なのだ。
「ヨウコが俺のことを好きなら、あいつは俺をアクマみたいに求めるはずだ。でもな、
そんなことは最近一度も起きてない。だからヨウコは、俺を好きなんかじゃない」
「理屈は通ってるね」
「言い返せないだろ」
「確かに。でもキミは彼女が好きだろ?」
エレルは、どうしてもそういうことにしたいようだった。
(…………)
否定するのが面倒になってきたカズヤは、
「好きか嫌いかで言ったら、嫌いじゃあない。妹だからな」
部分的に肯定して、質問されたこと自体は否定した。
「俺はあいつの恋人ではないけど、味方だよ」
エレルは微苦笑を浮かべて言った。
「それを好きって言うんじゃないかな」
彼はそう言い残して一度も振り返らずに立ち去った。
「……めんどくせぇ奴」
残ったカズヤは飲み干した缶紅茶の空き缶を、へこませたり戻したりしながらひとり
ごちる。
「勝手に妄想してひとりで暴走して俺は身を引いて女譲るからお前と彼女は幸せになれ、それがあの子のためなんだあの子の笑顔が見れれば俺は幸せなんだ、なんてのはもう流行らねぇよ」
ぶつくさぶつくさ、文句を垂れ流す。
「……流行らないんだよ、ばーか」
ずいぶんと寂しげな口ぶりだった。
五分ほど、カズヤは顔をうつむかせていただろうか。
「けっ」
空き缶をゴミ箱に放り投げて寮へ向かう。
すっかり手が冷え込んでしまったのでポケットに両手を突っ込んで裏庭を出て、
「うぎゃっ!」「ぶぎっ!」
どーん、と横から何かに突き飛ばされた。というより、吹き飛んだ。
勢いがつきすぎて、地面を滑った。
「いっっっっってえええ……」
なかなかの衝撃だった。痛みがひどくてカズヤはまだ立てない。
ぶつかってきた方も「う――うぅ」と、うめきながら地面にうずくまっていた。
(……女子か?)
体格と長い髪を見るかぎり間違いない。
「う、うぇ、っ」
――あれ、泣いてる?
湿った声にずびっ、と鼻がぐずつく音までした。
「お、おおい――だ、だいじょぶ?」
女の涙がカズヤを慌てて立ち上がらせた。
「ふぇ……カズちん?」
「ん? え、」
カズヤの見知った顔だった。エレルに続いて本日二度目の偶然である。
「リッピじゃん」
「う、……うええええ」
「どわっ」
リッピが急にカズヤに抱きついて、大声で泣きはじめる。
「ど、どうした! 痛いのか! どっか怪我したのか!」
将来有望なアスリート(=学園理事長の愛娘)を怪我させたとなると――。
カズヤは背中に冷や汗がつぅ、っと流れるのを感じた。
「ち、ちがうううぅ……」
リッピは顔をくしゃくしゃにして両目から大粒の涙を流す。
泣いてばかりなので話を聞き出すのもままならない。
「あー……もう」
今日『も』厄日に違いない。
カズヤは恨みがましい視線を空に向けて、リッピが泣き止むまで待つしかなかった。
「ひっ、ひぅ」
まだぐずついてはいるが、次第に落ち着いてくる。
「あーあー……こんなに目腫らしちゃってどうすんだよ」
カズヤはぐいっ、とリッピの目元を指で拭ってやる。
「だ、だって――」
「またノアと何かあったのか?」
「う、ひぅ……」
(……あ、やばい)
「うあああん」
「あーごめんごめん……」
また泣き出してしまった。
泣き虫の扱いはヨウコで心得ているはずなのだが、失敗していた。
(こんなときは場所移動だな)
カズヤが彼女を立たせて向かった――というより戻ったのは礼拝堂だった。
「あらあら」
アリア=ベルは泣き暮れるリッピを座らせて抱き締めて、頭のてっぺんから毛先まで
ゆっくり指を通した。リッピも大人しくそれを受け入れている。
アリアの見た目は若いのだが、彼女の仕草が落ち着いているので母娘に見えなくもない。
(リッピがヨウコの面倒見てたときもそうだけど――女ってのはみんなそうなるのかねぇ)
――となると、任せてしまった方がいいだろうか。
「アリアさん、俺いてもやることないし、そろそろ風呂の時間だから戻ろうかと思うんだ」
「そうですか。……リッピさん、それでも大丈夫ですか?」
「ひぅ……ぅ」
確認の言葉にリッピの泣き声が止まる。
「何か聞いてほしいならあとで戻ってくるけど――」
「う……うああん」
リッピがまた泣き出してしまった。
「重傷だな……」
「そうですね。私が一緒にいるから、カズヤさんは一度戻っちゃってください」
「うん。またあとで顔出すよ。……たぶんだけど、付き合ってるひと絡みだと思うんだ。ちょっとややこしい相手なんだ。本人が聞いてほしいようだったら、聞いてあげてもらえるかな」
「かしこまりました。カズヤさんご指名だったら、ちゃんと面倒見てあげてくださいね」
「う、うーん……努力するよ」
「えぇ。努めてください。紳士として」
アリアのプレッシャーから逃げ去るべく、カズヤは寮へ走る。
戻るとちょうど、ゼップがカズヤの部屋をノックしようとしていた。
「遅かったんだな」
「まぁ色々と」
「あいつとケンカでもしたのか?」
「え?」
「服が砂だらけだ」
リッピとぶつかったときの汚れだった。
「こけたんだ」
「そうか」
ゼップは深く追求しなかったが、
「もしやり返すなら、いつでも呼んでくれ」
――彼が本気になったら下手な格闘家より武功をあげるだろう。
一度、変わり者のゼップをからかおうとした上級生数人がストラト・ヴァリウスを彼から取り上げようとしたことがあった。ゼップはその場で、全員を病院送りにするほど痛めつけた。
ゼップのことを知らない学生が彼を怖がるのは、それのせいだ。
「物騒すぎる……」
カズヤはそこまで考えて、ふと思い当たる。
妹を泣かせる男がいると教えたら、ゼップはどうするのだろう?
「物騒すぎる!」
「何がだ」
カズヤはゼップの訝しむ視線に戦々恐々しながら風呂へ向かった。




