「悪いことが起こんないといいけどなー……」
カズヤ日記 九五三年 四月一二日
俺の物語には、誰かと共に一生懸命に生きている生物しか登場しない。
そういうのを書きたいと願うのは、周りにいる奴らがみんな一生懸命だからなんだ。
***
この世で最も貴重なものは時間であり、最も贅沢なものは時間の浪費だった。
浪費癖を直さなくていい時期はそれほど長くないのだが、時間を大切に使う者は
少ない。
若ければ、なおさらだ。
カズヤ=アサクラ(=人間・♂・齢十七)もそうだった。空想と妄想が彼の日課である。
彼は時間さえあれば机に向かい、A4サイズのコピー用紙に「ああでもないこうでもない」と殴り書きのようなメモを書き足して、世界を創造していた。
特にこの放課後のように、友人を待つ時間などは紙と戯れる時間と言い換えても
良い。
――ウーン……。
――やっぱり時代が求めるのは三角関係の修羅場設定が作るリアリティなのか?
――それともそれとも主人公ウハウハのアゲアゲのハーレム万歳なのか?
「深い……深すぎる」
「そうなの?」
浅慮な思考を極めた創造主の横から声が割り込む。
「うぇッ? いいい、いつからそこにいた!」
「えーと……三角関係でハーレム万歳?」
「うわああ」
カズヤが頭を抱える。
余談ではあるが、創作活動中の独り言を聞かれること、自分が書いたものを朗読されること、ちょっぴりアレな本の隠し場所を他人に嗅ぎ付けられることは彼における人生汚点ランキングのトップ3にランクインしている。
「……カズちゃん、バカみたい」
カズヤの奇行を朗らかに眺めている少女。
名をヨウコ=クサワケ(=人間・♀・齢十六)と言う。
肩まで伸ばした髪はロングになりきれない中途半端な長さで、これまた中途半端に
クセのある髪の毛がチョンチョンと、ところどころ外に跳ねていた。
「ううう……なんだよぅ、近くにいるならさっさと声かけろよぅ……」
カズヤは机に片頬を押し付けて、机上に涙の川を作る。
「ごめんね。ほら、上級生の教室だから静かにしなきゃだめかなと思ったの」
と言うわりには堂々と教室に入ってきたものだが、それには理由があった。
「入り口でウロウロしていたヨウコを教室に入れたのは、俺だ」
と、順番無視で声を割り込ませたのはカズヤの同級生だった。
頭髪は生粋の金、肌もこれまた生粋の褐色。
説得力はあまりないだろうがヤンキーでも日焼けサロンの常連でもない、と先に言っておく。
名をゼップ=ムラサメと言う。
「あ、リッピちゃんは寮の掃除当番だったの思い出して先に帰っちゃってる」
「ん、そっか」
と、カズヤ。
「では帰ろう」
と、金髪のゼップ。
三人とも腕に学生鞄をひっかけていて、ゼップは背中に大きなギターケースを背負っていた。
「ね、カズちゃん。今度はどんなお話を考えてるの?」
と、カズヤの横に並んで歩くヨウコ。
「人物像はまだ決めてない。でも、世界観は決めてる」
「どんな世界?」
「言語を獲得している知的生命体が人間だけで、右見ても左見てもみんな同じ種族で、みんながみんな、なりたい自分に向かって思い思いに生きてる世界」
「それは――――――――――とってもステキだけど、よくそんな不思議な世界を思いつくね。天才?」
と、ヨウコはちょっとワクワクしたような顔で呟いている。
だからカズヤは得意げに言ったのだ。
「だろ?」
三人はゆっくり、生ぬるく吹く風に合わせてのんびり歩く。
彼らの新しい後輩が入学してきてからたった一週間しか経っていない、桜舞い散る春の日のことだった。
***
彼らが通う学校の説明……をする前に、世界の説明をせねばなるまい。
大きな海の上に、大きな四角い大地がドカン、と一つ。
四角の中に、横一文字に大きな河が一つ。
四角の中に、縦一文字に大きな河が一つ。
大海の上に四角い大陸が『田』の字に区切られて四つ。それが土台である。
気候についても少し触れておこう。
北は寒くて南は暖かい。
冬季や夏季の長さに多少のバラつきはあるものの、どの大陸にも四季は存在する。
特にカズヤたちの学び舎がある北東部のアラニス大陸・アメムラシティは大きな天災の歴史もなく、住み心地のよい穏やかな気候に満ちている。
残るは世界に生きる住民についての説明だが、これが最も重要な話になる。
世界において道具の使い方と言語を獲得している知的生命体は三種類。
天使。アクマ。人間の三種類である。
太古より語られる伝説曰く、神が最初に知的生命体を作ったときは天使とアクマしか
いなかったらしい。
天使は法と平等と規律を好み、アクマは自由と才能と情愛を好んだ。
両者はいがみ合いながらも競い合い、文明を築いた。
そして一部の天使と一部のアクマは、種族を超えて恋をした。
産まれてきた子供たちには天使の柔らかい羽根も、アクマの先端が尖った尻尾も
なかった。
これが人間の誕生と言われている。
神は自らも予期しなかった状況に怒り狂って、どこかへ飛び去った。
かくして、絶対的な指導者を失った世界には三種類の知性を持つ生命と、その他大勢の生命と、文明が育んだ『社会』が残った――そう言い伝えられている。
天使とアクマと人間が三分割でひしめく世界はどこか噛み合わないまま、
刃こぼれした歯車が無理矢理回って鉄屑を落としていくように、
それでも強制的に回り続ける。
「ってな感じでどうでしょうかね、担当編集にして俺のファン一号ヨウコさん」
道すがら、ふと思い浮かんだフレーズの出来栄えをヨウコに尋ねるカズヤであった。
「詩的だね」
「俺はクサいと思うんだが」
「テメェには聞いてないんですよ、野次馬将軍にして俺のアンチ一号ゼップさん。って
痛い! やめて! 尻尾で尻をつつくのはや、やめやめやめっ、ギャアアーッ!」
校舎を出た三人は校庭を横切って校門に向かう……のではなく、校舎の外壁に沿ってぐるりと裏手に回っていく。
向かう先は敷地内の学生寮である。
というのも、三人が通う学園は全寮制なのだ。
曰く、天使もアクマも人間も、皆が協力して日々を過ごすことで互いの文化を
理解し合う、というのが目的らしい。
学園の周辺は平和なものだが、海峡を越えた先の大陸では過激派のアクマが天使の『聖地』を攻撃したりもしている。逆に天使もアクマに報復したりもしている。
そして三種族の中で最も小賢しい人間が、間に立ち入って利権を貪ったりもしている
らしい。
あくまで『そうらしい』の領域を離れない。
カズヤたちにとっては日常の外の、遠い世界の出来事だ。
テレビや新聞を見ていると世界はなんだか大変らしい。天使の頑固さ、
アクマの奔放さ、人間の狡猾さが生み出す文化の違いは大人になればわかる、と当の大人は言う。
そういうがんじがらめになってしまっている世の中の危うさには学徒たちも薄々感づいているのだが、実際自分がそういう場で生きている姿を想像できない。
する必要もない。
三種族が集うこの学園が平和な限り、カズヤたちには関係ない。
(……今のところは、なんだろうけどな)
校舎の裏手に広がる菜園や鶏の飼育場を抜けると、屋根に十字架を構えた礼拝堂が見える。
なかなか大きく立派なもので、休日になると天使教の信仰者が大勢集まったりする。
「あれリッピじゃないか?」
「あ、ほんとだ」
礼拝堂の入り口で箒を走らせる女学生にカズヤとヨウコが目を留める。
長い金髪に褐色の肌。黒い尻尾は制服のスカートを持ち上げないよう、
片足に巻きついている。
背中に羽根も生えていて、服には縦長の穴も開いているのだが、羽根を広げていないときは小さく小さく折り畳まれているので、上半身は一見すると人間と変わらない。
「およ、カズちんにヨッコだ。ついでに兄ちゃん」
「ついでは余計だ」
実は彼女、ゼップの妹である。
名をリッピ=ムラサメ(=アクマ・♀・齢十六)と言う。ヨウコの同級生でもある。
「うむ、今日も元気に健康的な色気を振りまいているな!」
「おうともよー。元気取ったらなんも残らない元気印のリッピちゃんだかんねー。カズちんは今日も元気に売れない小説家やってますかー?」
「……元気だったけど無邪気で残酷なアクマのせいで元気じゃなくなってしまったのだ、まる」
「残念無念、また次回作! カズちんの打ち切り連載に乞うご期待!」
リッピの野次にジャラララン、とギターの音が被る。ゼップだった。
「いつの間に出したんだよ……」
「おー……みんなすごいなぁ」
と、ヨウコが素直に拍手していた。
梅雨のようにしょぼくれるカズヤと対照的に、リッピが「いえーぃ」と晴れマークのように笑っていた。
「ところで、掃除は急がなくていいのか?」
ゼップが妹に確認した。
「あ、そうだった! 部活遅れる! 兄ちゃん邪魔! そこどけ! さっさと!」
「過去の誓い、『妹を殴らない』『ギターだけは凶器にしない』を破りそうなんだが」
「と、ゼップは声と手を震わせながらさめざめと泣いたのだった、まる」
「泣いてない。このスカタン」
「痛い! やめて! 尻尾で背中をひっかかないでででででででで電気ッ? びりびびってイデェ!」
尻尾から電気をバチバチやるのは、血の濃いアクマが持つ特性である。
ムラサメ兄妹の身体に刻まれているアクマ度はなかなか高いのだ。
「いかんな。俺も遊んでいないで、さっさと部室棟にいかなければ」
ゼップが手早くギターをケースに戻して再び歩き出す。リッピは忙しく箒を
動かしている。
「カズちゃん、私も約束してるから急がなきゃ」
「――ん? お前が?」
ヨウコの言葉にカズヤが怪訝な顔を見せる。
「うん。今日廊下で部活の見学に誘われたの。せっかくだから見てこようかなって」
「へぇ……珍しいな。万年帰宅部で部屋で本ばっかり読んでるのに」
「せっかくの春だもん。何か新しいこと始めるのも楽しそうじゃない?」
ヨウコは屈託なく、笑いながら言う。
――気づけばリッピが手を止めてヨウコを見ていた。
――気づけばゼップも二人を待つように立ち止まってヨウコを見ていた。
奇妙な沈黙だった。二人ともカズヤがどう答えるのか、注目していた。
「…………。そうだな! その通りだな!」
と、やけに大きな声でカズヤが言った。
「よし、そうなればダッシュだ。いくぞー」
土煙を残してカズヤが走り出した。
「なんでカズちゃんが走るのーッ?」
慌ててヨウコが追いかける。
残ったムラサメ兄妹は――――――――――――――――――――――――。
「……わかりやすいよね、カズちんは」
妹のリッピが心配そうに呟いていた。
「そうだな。俺たちもなんだが」
兄のゼップが不安を押し隠すのに失敗した顔で、頭をかいていた。
「悪いことが起こんないといいけどなー……」
元気が自慢のリッピ=ムラサメは完全に雨模様な様子で、言葉を漂わせるのだった。
ありがとうございました。続きは毎日更新予定です。お気に召しましたら、是非に。




