蛇足 童歌
潮の流れが激しい沖合で二艘の舟が停泊している。
手続きに則って罪人を葬るために。
穏やかで風もない、いい天気の日の午後。
遺体は花の代りに罪科を意味する石を抱かされ、黒い布に包まれた上に縄で縛ってある。
ひとつの舟に一人の遺体と三人の警備兵。警備兵の内の一人は漁師で、操船の為の名ばかりの警備兵である。
二人が遺体の頭部と足部をそれぞれにを持ち、一人は舟を安定させる為に舵を握っている。
警備兵が今まさに亡骸を海へ還そうとしていた。
白い灯台の尖塔に立つ魔族は海よりも青くて深い瞳でそれを見ていた。
魔族は親指と人差し指を口に入れて、何やら摘まんだ指を口から出した。
二つの指に挟まれていたのは、乳白色の小さな粒。
「ル・グィーヌア」
魔族が言ったのは、失われた古の言葉で真珠を意味する。
だが魔族が摘まんで目の前に掲げたのは、真珠ではなく、サシャリアの魂だ。
あの時、魔族は唇を重ねて、サシャリアの体内に留まっていた魂を伸ばした舌で絡め取り掬い上げた。
何故?と理由を訊かれても、魔族からしてみればそうしたかったらだとしか言いようがない。そこにあるのは行動で、理由なんてものはない。
部屋から去ると、魔族は舌を伸ばして手の平にぺいっと出した。サシャリアの魂は美しい真円をしており、乳白色にホワホワと光っていた。
魂は器たる肉体と同じで個人差がある。形が楕円だったり凹んでいたり、色が灰色だったり一部が黒かったりと、一人一人形と色が違うのだ。数多の魂の中でも真円でしかも乳白色をしているものは滅多にない。一目見るなりサシャリアのそれが極上の魂だと魔族には判った。
手の平の魂を暫くの間じぃっと見ていた魔族は、もう片方の手で魂を摘み上げると口の中に放り込んで体内に戻した。
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魔族の視界の端で、黒いカタマリを青い海が呑み込んでゆく。
「王妃の懐妊が正式に発表されるぞ」
サシャリアの魂は眠り続けている。故に沈黙したままだ。
そんなことはお構いなしで魔族は言葉を続ける。
「父親は誰なんだろうなあ?」
魔族の声は、剣呑な内容とは不釣り合いな揶揄する声音で。明るい太陽と真っ青な海は相も変わらす穏やかだ。
王の次世代は望めない。
王と魔族との契約が結ばれた瞬間、王の生殖能力は代償として奪われ或いは失われた。機能はするものの、それは実を伴わない。
墓場まで持っていかなければならない、誰にも言えない王の秘密。何も知らない人達からの王の血筋を望む純粋な善意の声が日に日に大きくなり、王はじりじりと真綿で首を絞められるような圧迫感を覚え、秘密を共有する宰相は眉を寄せて人知れず苦悩を嚥下する。
そのような中で王妃となった元公爵令嬢が、遂に後宮を再開して欲しいと王に涙ながらに訴えた。
王を快く思わない勢力も全くいない訳ではなく、彼等は王弟を担ごうとする動きをし始め出す。
じわじわと厳しさを増す状況の中、不本意ではあったものの、王は王妃以外の女性とも幾度か体を重ねる。王妃との間の次世代だけで、王妃以外の女性との間に出来る子ならばと可能性に賭けたが、結果はいずれも同じでやはり相手は懐妊しなかった。
八方塞がりの王は自分が魔族に何を差し出したのかを、今更ながらに後悔して慙愧の涙を一人流す。
そんな折、医師が王妃の懐妊を報告してきた。サシャリアが獄死した報告を受けたその日の夕刻のことだった。
取引の理由であったサシャリアが死んだことにより、あの魔族との契約が満了したのだと王は考えた。忌まわしい契約が意味を失くした、だから王妃が命を宿したのだと。つじつまの合わないあれこれは思考の外に追いやり、それ以外には考えられないと王は思った。まるで盲信者のように。
待ち望んだ慶事に、王宮が俄かに沸き立ち、熱気を孕んだ。
魔族は遠く離れた王宮の騒ぎなどどうでもいい。
目の前の魂に尚も語りかける。
「生まれてくる赤ん坊は、紫の目を持って生まれるぞ」
少し上に翳したら、きらりと魂が光った。
「しかも紫祖の紫だ」
目を細め、くく、と嗤って誰の子なんだろうなあと魔族は嘯いた。
宰相の一族は、血でもって魔力の継承をした。彼の一族は血を繋ぐために非道な事も結構している。
宰相一族の特徴は、魔力が強ければ強いほどに瞳の色も紫に近くなるというものだ。そもそも瞳が紫色を帯びている時点で、かなりの魔力を有している。だから魔術師たちからは紫の一族とも呼ばれる。
そして紫祖なる人物は、宰相一族の始祖を指す。彼の両目がそれはそれは見事な紫色だったのにちなんで紫祖と呼ばれている。
紫祖の紫とは、魔力が人間離れしていた紫祖の目の色、混ざりっ気のない紫色の事。宰相一族の血を引く人物が、その色を持って生まれたということは、即ち紫祖と同じ位の魔力を持っているという結論に導かれる。
王妃が誰の子を妊娠したのかは、この後に生まれてくる赤子の瞳を見れば一目瞭然だ。
いくら不義の子とはいえ、紫祖と同じ位と思われる強い魔力を持って生まれた赤子を、宰相一族が放っておく訳がない。なんとしても手に入れようと表に裏に手を回すだろう。
「王はどう動く?」
魔族の視界に映り込むのは、眠ったままホワホワと輝いている魂と、その横で残る一つの黒いカタマリが、ざぶんと小さく叫んで海へと還る光景と。
ふん、と鼻を鳴らすと魔族は口を開けて舌を出す。
舌の真ん中には、王と宰相が魔族を召喚するために用いた真円の魔法陣と同じものが浮かび上がっていた。
だが、魔族のそれは、全き円を描き、子細で精密な、何一つ欠けることない、しかも完璧な美と力を備えた強力な陣。人間による召喚の陣と同じと言うには語弊があろう。
魔族は、舌の中央で圧倒的な魔力が蠢く陣の真ん中にサシャリアの魂をのせ、口を閉じた。
貝がわが身に侵入してきた異物から身を守ろうとして、異物を幾重にも被膜で覆った結果、出来たという言い伝えの、貝が囲い込んだ稀有な白い丸い玉、真珠。
ふと、思いつく。極めて薄い魔力の被膜で、幾重にも魂を覆い器とするのもいいかもしれない。
「にしても、よく眠る」
ふっと表情を緩めた直後、魔族は姿を消した。
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そして、一年後。
あのわらべ歌が再び子供たちによって歌われる。
―――――ルギリンテの灯台守は王妃様。
―――――罪を犯した王妃様。
短い鬱金の髪と褐色の肌をした美丈夫。彼の片腕に抱きかかえられた琥珀色の瞳をした小さな子供は、遠く離れた場所で確かにその歌を聞いた。
小さくて茶色い頭だけで、後ろを振り返る。
「どうした?」
深くて鋭い双眸の問いかけに、視線を戻して真っ直ぐに美丈夫を見つめた女の子は返事をした。
「何でもない」
女の子の視線と声を、底知れぬ青が呑み込んだ。