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前編 灯台守

海に面したとある国。


陸地から少し離れた海上にルギリンテと呼ばれる小さな島がある。

小島には白亜の塔が建てられていて、長きに渡り身分の高い人物の幽閉地とされてきた。

海を泳ぐ事が出来るのは漁師や船乗りといった海を生きる糧としている者たちのみで、それはある種の特技であり、いくら海に面した国でも皆が皆泳ぎを会得している訳ではない。四方を海に囲われている小島は、当然「泳ぐ」事を知らない者は逃げるに逃げられない。過去に幾人か海に飛び込んだが、結局は溺れて命を落とすという事実も追い打ちを掛けた。

塔から出る、それは死を意味するという図式だ。


週に一度、警備兵達が小舟に乗って水や食料などを運んでくる。塔に住んでいる人物の命を繋ぐ物資を運ぶ小舟も、海が時化ると小島へはやってこない。

物資が来ない間に幽閉された人物が死に至ったという事実は過去に何度もあった。

この事は、塔に住んでいる人物が飢えようが病気になろうが命を落とそうが一向に構わない、という国の方針が現れている。なぜなら身分が高いとはいえ、塔に住まうのは罪人とであり、罪人は死ぬまで塔から出る事は赦されないからだ。

塔を建て幽閉地とした初めの頃は、囚われた人物が死んだ事に警備の兵が気付かなかった事が一度ならず幾度があった。結果として日にちの経過した死体の処理しなくてはならなくなり、随分な苦労した。そんな経験から幾代か前の国王は塔を改築して灯台とし、毎日決められた時間に灯火を灯す灯台守の義務を幽閉者に課したのである。

幽閉者が存在する状況で三昼夜、灯台に火が灯らなければ小舟を出して外側から掛けた鍵を開けて中を確認する。

死んでいればそのまま沖に運ばれて海が棺となる。病に倒れていても同じ扱いだ。体に何の異常も無い場合は、国に対する義務を欠いたという理由で先に挙げた例と同じ処遇を受ける。

灯台守としての役目を果たさなければ、死が待っている。

塔で生を終えた者達。病で亡くなった者や、一生この場所から出る事が叶わない事実に絶望し故意に灯台守の役目を果たさなかった者もいる。

いつしか人々は小島をルギリンテと呼ぶ様になった。

ルギリンテとは、囲われた或いは囚われたを意味する。


―――――ルギリンテの灯台守は王妃様。

―――――罪を犯した王妃様。


ルギリンテが存在する沿岸部で歌われるわらべ歌。

今現在、ルギリンテに幽閉されているのは確かに王妃である。

正確には「罪を犯して身分を剥奪された、内陸からこの国へ嫁いだ前王妃」だろう。


※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※


時間石が夜の十一時を示す。

サシャリアは角灯を棚から取り出すとテーブルの上に置いた。上部を外して中の油の量が十分なのを確認すると、灯芯を取りに先ほどの棚へと歩く。少しの距離なのだが、胸が苦しくなり咳をした。そういえばここ二、三日は頭が熱っぽくて体の節々も痛かったのだと自分の体なのに何故か他人事の様に思い出す。

二つ灯芯を手にしてテーブルに戻ると、侍女のミルガが濃紺色をした外套を持ってサシャリアの傍に控える。

サシャリアとミルガがこの場所に来て三年が経ち、毎日毎日続けている義務は最早日課となっていた。


灯芯を油に浸す。白い芯が油に侵略されるのをぼんやりと眺めていたサシャリアにミルガが声を掛けた。

「王妃様、外套を」

視線はそのままでサシャリアは苦笑する。

「私はとっくに王妃ではないのよ」

「ですが…」

悔しそうに唇を噛みしめるミルガは故国に居た時からサシャリア付の侍女であった。サシャリアが罪人となり、幽閉が決まった時も故国へ帰れというサシャリアの言葉に首を縦に振らずに付き従った。

「ミルガ、ずっと顔色が悪かったけれど、本当に大丈夫なの?」

昨日も、一昨日も、ここ最近ずっとミルガを気遣うサシャリア。ミルガは微笑みながら同じ言葉を繰り返す。

「はい。大丈夫です」

テーブルに両手を付いた体勢のままで心配そうにミルガを見つめるサシャリア。ミルガは持った外套をどうぞといった風に両手で広げる。

「私は姫様の方が心配です」

テーブルから少し離れたサシャリアに外套を掛けながら、最近食事もあまりお摂りになっていらっしゃらないので、と言い募る。

王妃が駄目なら姫と言った事に対してなのか、それとも食欲が無い事を言い当てられてしまった事に対してなのか。困ったように笑うサシャリアの横でミルガは燭台の蝋燭の火を一つの灯芯に灯した。

静かに灯りを見つめる二人。

油が燃える音と匂いが白い塔の一室をじんわり満そうとしている。

断ち切るようにミルガは角灯の上部を台に載せると、無言で灯りを眺めているサシャリアを静かに見つめた。


時間石が点滅する。

「姫様、そろそろお時間です」

「ええ。行ってきます」

外套を頭から被り直すと角灯を持ちサシャリアは扉へと音も立てずに向かう。


ぱたん、と扉が閉まる音がすると同時に部屋に一人残ったミルガの足元から伸びている影がじわじわと勢力を拡大する。

女性の足元から伸びる影の輪郭は、男性の形をしていた。



サシャリアは濃紺色の外套を頭から被り、右手に持った角灯を掲げて塔の外壁にある螺旋階段を進んでいた。

時折吹く風に体を持っていかれない様に左手は手摺を握って、慎重に前へと進む。

夜の海は日によって表情を変える。優しい日もあれば、恐ろしい日もある。

「今日は…本当に静かね」

罪人というよりは、札に描かれた隠者の様な荘厳な空気を纏ったサシャリアは、自分が落とした言葉を踏んで螺旋階段をゆっくりと進む。塔の最上部の部屋に入る為の小さな扉を体を屈めてくぐった。

部屋の四方には格子が填められている大きな窓があり、その内側には貴重な硝子が張ってある。扉を閉めたサシャリアは、部屋の中央にある高台に角灯を置くと扉の反対側にある踏み台を取りに向かう。最上階に上るまで治まっていた咳をぶり返してしまい、コンコンという咳と苦しそうな息遣いが他の物音を掻き消した。

踏み台を高台の横に置き、外套を少したくし上げて踏み台に上る。手を伸ばして天井の中央に吊るされている灯りの無い昨日の角灯を下した。一旦踏み台から降りると手に持った昨日の角灯を高台に置き上部を外す。

明々とした今日の角灯も上部を外し、油に浸してある二つの灯芯の内、火の無い灯芯を摘み上げる火を点す。下した昨日の角灯にたった今火を点けた灯芯を置くと、今日の角灯の上部を据えて手にする。そのまま再び踏み台に下から持ってきた今日の角灯を天井に吊るす。

二つの角灯が部屋を一層明るくするが、それもひと時の出来事。昨日の角灯を手にこの最上階を出た瞬間、いつもの明るさがここを満たす。

顎を上げて暫く灯りを見つけていたサシャリアであったが、日課を終えて踏み台から降りようとした時に眩暈をおこして床へと倒れ込んだ。

床で体を強かに打ってしまい、サシャリアは倒れたままの状態でしらしばらくの間立ち上がる事が出来なかった。

冷たい石床が熱を帯びた体に心地良い。額をを石床に付けて硬い冷たさを感じていたら、外套に染みついた潮の香が鼻腔をくすぐった。

故国には無い潮の香りが胸の奥深くにあった郷愁を呼び覚ましたのか。サシャリアの目からほろりと涙が零れた。

きゅっと目をつむり小さな息を一緒に感傷を吐き出す。

のろのろと体を起こしながら、ここ最近の体調の悪さを思っていた。おそらく風邪をこじらせている。しかも良くない部類の。


踏み台を支えに立ち上がる。角灯を置いた方の台が倒れなくて良かった、と思いながら息を整えた。たったこれだけの動作で息が上がり足許が覚束ない。

サシャリアは死がすぐそばまで来ている事を今更ながらに自覚した。

「ミルガが一人になってしまうわ」

大切な侍女を心配させまいと頬を通った涙を手で拭いながらサシャリアは呟いた。

涙を拭い頬に当てていた手をぎゅっと握る。甲を唇に当て息と感情を呑み込んだ。

今日の義務は果たした。

サシャリアは台の上に置いてある角灯を持ち、来た時と同じように掲げて、行きとは逆方向に経路をなぞる。

そして部屋へと戻って来た。


※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※


幽閉され居た時、塔の内部は殺風景なものであった。

例外といえば、書籍部屋位のだろうか。やたら背の高い本棚が三方を囲み、棚の中は代々の幽閉者が求めた本が結構な量で本棚に収められている。

死ぬまでという長い時間を過ごすには丁度いいが、読書だけでは時間を持て余す。

姦通罪で塔に幽閉されたサシャリアであるが、王の厚情でもって故国からの援助を赦されていていた。故国から何が欲しい物があるかと問われた時、刺繍の道具を真っ先に求めた。

サシャリアの故国は緻密で美しい刺繍が有名で、特産品にもなっている。生活に刺繍は密着していて、氏族を表す文様を壁に掛けたり、親から子、女性から男性、或る時は男性から女性へ。重要な行事に贈り物として、意思を伝える手段として用いられる。そんなお国柄だからすべての女性は嗜みとして刺繍をするし、腕のいい者は刺繍で金を稼ぐのである。

生きている間は、ここルギリンテから出る事は叶わない。

故国に居た時は、当然サシャリアもミルガも例に漏れず刺繍を嗜んだ。

長い時間をどう過ごすかを考えた時に手慰み程度にはなるだろう、と故国で嗜んだ刺繍を侍女のミルガと二人で再び始めることにした。

そうして出来上がった作品は、何時しか二人が生活する部屋の壁を飾る様になった。

大作の幾つかは国の検閲を経て、故国へと送られた。兄である現国王の私室を飾っているという口上を警備兵から聞いたとき、サシャリアは瞳を潤ませ、ミルガは涙を零した。


下の部屋に戻ったサシャリアはミルガの世話で入浴を済ませ、夜着へと着替える。主の髪を乾かすミルガは失礼と断りを入れるとサシャリアの白い首筋にそっと手を当てる。

「姫様、熱が」

「もう長くないわ、ミルガ」

主に忠実な侍女は、主が返事を求めていない事を知っている。だから無言で陽の光を浴びた樹皮の様な茶色い髪の毛を、無言のままでゆっくりと丁寧に梳く。

首回りが広めにとってある夜着から見える白い肌。婚姻の儀でこの国の国王がたった一度だけ確かめた。男性との接触はそれ以外は儀礼的なものだけだ。なのに「姦通罪」とは。


時折きこえる波の音。サシャリアの咳がそれに重なる。



髪が乾き、厚手の肩掛けをミルガはサシャリアに掛けた。サシャリアは窓辺へと移動し椅子に腰掛ける。その間、ミルガはいつも通りに寝台を整え始める。


窓を眺めていたサシャリアは、夜の海に昼間の海と空の色を探す。十六歳でこの国に嫁いだ。五年経った時、罪人としてここへと連れて来られた。別にそれに対しては申し開きをするつもりは無かった。一人の騎士に心を寄せてしまった事は事実だったのだから。あのだだっ広いでも息苦しい場所より、狭い鳥籠の様なこのルギリンテの方が自由だ。本を読んで、刺繍をして。大声で故国の歌を歌っても咎められる事は無い。嫁ぐ前に読んだ本で「海」に憧れた。本でしか知らなかった、焦がれた場所で三年過ごせた。もう十分だ。

だけど。

「最後に、一度だけ……」

小さく呟いた。その呟きをサシャリア以外の人間の耳が拾ったのであろうか。

ミルガは何も言わずに休まず手を動かす。

部屋には寄せては返す波の音がした。


昼の色を見いだせなかったサシャリアは振り返ると扉に控えるミルガに問いかけた。

「国王陛下に手紙を書くわ。貴方が故国に帰れる様に」

ミルガは嬉しそうに微笑んだ。

今迄何度か説得したが、頑として一緒に居ると言い募る大切な侍女が説得を受け入れてくれた。そう思ったサシャリアも微笑んだ。

筆記用具を用意させよう。早く書いた方がいい。明日、自分の体は冷たくなっているかもしれないから。

逸る気持ちを言葉にしようとした、その時だった。

ミルガの輪郭がゆらゆらと揺れ、足元から床に伸びていた影が、床から離れてミルガをすっぽりと覆う。

突然の出来事にサシャリアは大きく目を見開いて息を飲んだ。

暫くしてミルガを覆っていた影が去り、ミルガが立っていた場所は男性が経っていた。

しかし、人間であれば足元から伸びる影が、眼前の男性には無いことをサシャリアの視界は捉える。

予感めいた確信が咄嗟に脳裏を過った。

魔族だ―――――


形の良い頭部を彩る髪は短い鬱金の髪だ。褐色の肌をした太い首に逞しい肩を全身を、鋼の様な筋肉が覆う。胸の前で組んでいる腕は、人間の命など一捻りで潰せるだろう。精悍と端正さが同居する美貌。

形の良い眉の下にある双眸は、鮮やかな青だった。


「ルグリ…」

密かに想いを寄せた騎士と同じ色の目を見ながら、騎士の名を口にする。ここルギリンテでは、騎士の名を言っても誰も非難しないのだから。

故郷に居た時は見知らぬ海を思い、嫁いだ国にあっては故国の空を思った、あの青。

宮廷で些細な事でも見逃すまいとする貴族達や、言いがかりに近い揚げ足取りにうんざりしていたサシャリアは、専属の騎士として配属された時、口数の少なさに好感を持った。

形だけの結婚でもう何年も王に相手をされない王妃。

噂話を王は否定も肯定もしない。何も言わないまま幼い頃より仲の良い大貴族の令嬢の元へと足繁く通う。王の行動が噂が事実だと証明する。

側妃としてこの国に来た方がまだましだ。追い詰められ絶望がサシャリアを捉える。だが自分が下手を打てば、この大国は否応なしに小さな故国に手を延ばすだろう。それだけは何としても阻止しなければ、という張りつめた思いで一杯一杯だったあの頃。王族としての教育が役に立ち、無難に日々を過ごしていたあの頃。

故国の空を思わせる瞳を持った、今だ見る事が叶わない海を思わせる目をした、憧憬と郷愁を掻き立てる色を持つ、忠実な騎士に対して抱いた小さな小さな想い。

でも王妃という立場は、小さな想いを抱く事すら罪なのだ。


「あぁ、そんな名前で呼ばれていた事もあったな」

形の良い厚めの唇から出でるのは、低く掠れた、だが耳を酔わす声だ。

青い双眸が窓辺の人間を捉える。

窓辺の椅子に座る人間は、右手を膝に左手を窓枠へと置いていた。

洗ったばかりのさわり心地が良さそうな茶色い髪からは、香油だろうか。花の香りがほんのりする。髪の色が樹皮ならば目はさながら樹液といったところか。

樹液が長い間をかけて固まった琥珀。あの茶色とも黄色ともつかぬ独特の色をした二つの瞳を長いまつげが縁取る。

驚きから冷静さを取り戻しつつある顔は、特別美しいという訳ではない。磨けばそれなりに光る、平凡よりは上という程度だ。この国の美貌を誇る国王陛下の横に立てば、それはもう見事に見劣りする。

だが、この人間の価値はそんなモノではない。

だから魔族は魅惑的な声で囁くのだ。


にまり、と弧を描く柔らかそうな唇から滴るのは濡れた低音。

「冤罪の王妃」


不快な、という感情が激しくそして艶やかにその全身を彩る。

「知っています」





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