7 強い男
休日に小岩井さんと会うとき、小岩井さんはいつも藍色のキャスケットをかぶっている。
休日の小岩井さんは、学校で話すより数段、夢のある妄想をする。たぶん、休日の小岩井さんの頭には、百日草のお花畑が芽吹いているのだろう。この際、ひまわり畑でも菜の花畑でもなんでもいい。とにかく彼女は帽子をかぶるのだ。帽子をかぶって、お花畑を隠すのだ。
ぼくは心の中でずっと、そう決めつけていた。
だから、小岩井さんと喫茶店へ入り、彼女がキャスケットを脱いだとき、ぼくはとてもやり切れない気持ちになった。小岩井さんの頭に、お花畑はなかった。
「どうしたの、平井くん。今日はいつも以上に暗いわね」
「なんでもねえよ」
見当違いな妄想でずっこけたことなど、悔しいので、小岩井さんに話すつもりはなかった。
小岩井さんは小首を傾げたが、一度ブレンドコーヒーを飲んで、すぐに店長の方をあおぎ見る。店長は四十代くらいの、ちょっと恐い顔をしたおじさんだった。
「きっとあの店長は、悪の組織のボスなのよ」
ぼくは興味深げにうなずく。
「そう言われてみれば、たしかに悪の親玉に見えてきた」
「でしょう。この喫茶店にはきっと地下があるのよ。幹部が五十人、配下の戦闘員が五千人いるんだわ」
「恐ろしい。ぼくら、逃げた方がよくないか」
「なにを情けないこと言ってるのよ。あなたがこの組織を滅ぼすのよ、平井くん」
ぼくは目を見開き、頭を振った。
「このぼくが、五千人もの戦闘員を相手に戦えるわけがないだろう」
「そんなこと分かってるわよ。私はね、空想上の話をしているの」
「それならいいんだけど」
「平井くん、あなたは千年に一人の逸材とされる、数奇な天才空手家よ。くわえて、あなたは寝ている間に先進的な改造手術をうけた」
「さっきから君、ちょくちょく仮面ライダーをぱくってないか」
「仮面ライダーだって、さすがに五千人を一度に相手出来ないわ。あなたはさらに高度な改造手術を受けたのよ。ジュラルミンよりも数倍堅い肌を手に入れ、右手には強力なサイコガン、左手には、平井くんの大好きなライトサーベルを持たされているの」
「それ、空手の天才である必要ないよね」
「サイコガンのエネルギーがなくなったり、ライトサーベルを奪われたりしたら、どうやって戦うつもりなの?」
ぼくは、ぼくが悪の組織と戦う想像をして、サイコガンもライトサーベルも使えなくなってしまう状況を思い浮かべた。
「たしかに、徒手空拳は必要だ」
「でしょう」
「そうなるとぼく、もはや誰にも負ける気がしなくなってきた」
「その意気よ、平井くん」
「よし、さっそくこの喫茶店の地下を探してくる」
椅子を立ち上がるぼくの手を、小岩井さんが掴んだ。
「あなたは、本物の馬鹿なの? これは空想の話なんだって、何度私に説明させるつもりよ」
ぼくは自分がとんでもなく惚けた行動を取ろうしていたことに気づき、小岩井さんに申し訳なくなって、大人しく椅子に座りなおした。
ぼくは小岩井さんと同じブレンドコーヒーをすすって、それから尋ねる。
「小岩井さんは、強い男が好きなの?」
「好きよ」
「ぼくが喧嘩強かったら、惚れなおす?」
「勘違いしないで。強い男は好きだけど、本当に喧嘩しちゃうような野蛮な男は、大嫌いよ」
ぼくは混乱した。小岩井さんに、自分が強いと証明するには、一度ぼくが喧嘩するところを見せて、圧勝して、彼女にそれを見せなければいけない。しかし、彼女は喧嘩をする男は嫌いだという。
ぼくは、自分が強い男になればいいのか、ならない方がいいのか、よく分からなくなってきた。
「ぼくがもし強い男だとしたら、どうやって君にそれを証明できる?」
「平井くんはなにもしなくていいわ。平井くんはいつも通り、平井の名に違わぬよう、平凡にしていればいいのよ」
名前は関係ないんじゃないかなと思った。
「でも、それじゃ小岩井さんを惚れなおさせることが出来ない」
「大丈夫。私もあなたに幻想を抱いているから、私の中での平井くんは、千年に一人の天才空手家ということになっているわ」
ということになっている、と小岩井さんは言うが、彼女の真剣そうな目を見ると、ぼくを天才空手家だとする妄想は、彼女の中では確固たる現実味を帯びていそうに思えた。
「ぼくは、天才空手家だ」
ぼくは本当に強い男なのだと思いこみ、力強く自分の胸を叩いた。