4 夢のない妄想
それから山道を二十分ほどかけて進んでいくと、そこには滝があり、湖があった。ここまで蒸し暑さが続き、ぼくらは気分を落としかけていたが、その場所は心なしか涼しかった。
「気持ちが良いね」
ぼくはそれだけの感想しか言えなかった。空想を思い起こすことすら出来なかった。
「これだけ綺麗な滝だと、ぼくらの余計な妄想で茶々を入れるのは、野暮だと思わない?」
「そうかしら」
小岩井さんは深呼吸をして、小さく笑った。
「私、あの滝に流されてみたい。若返るかも」
「あの滝に流されると、若返るの?」
「たぶん、そう。鯉の滝のぼりってあるじゃない。滝をのぼりきった鯉は、登竜門をくぐって天を昇り、そして龍へと成長するの。その逆よ」
意味が分からず、ぼくは首を傾げた。小岩井さんが丁寧な口調で教えてくれる。
「滝をのぼると成長するのなら、逆に流されれば、若返ると思わない?」
「思わないこともないけど、ぼくら、もうすでに若いじゃん。中三だぜ」
「それでも私は、小学四年生に戻りたいわ。それで、私の母さんを、生き返らせてあげるの」
小岩井さんはそれっきり閉口し、流れを止めない滝をじっと見つめた。ぼくは滝を見るふりをして、ときおり小岩井さんの方をうかがった。
小岩井さんは声も無く、ぽつぽつと涙を落とし始める。ぼくはいよいよ滝を見るのを止めて、小岩井さんの顔を覗き込んだ。すると、小岩井さんは手の甲を目元にあて、顔を隠して嗚咽を漏らし始めた。
「私はいま、失言したわ。平井くんが色んな想像を巡らせるようなことを、つい口走ってしまった。あなたはいま、夢のない妄想をして、私のことを哀れんでいる」
「ぼくはまだ何も想像していないし、夢のない妄想もしていないし、小岩井さんのことを哀れんでもいない」
「なら、今の私を、見ないで」
迷ったけど、ぼくは小岩井さんが泣き終わるまで、滝へと視線を向け続けた。