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28 虹の町

 絵本を脇に持って、小岩井さんの手を引いて、ぼくたちは走った。

 しばらくして、今朝の天気予報が外れたことを知る。

 足を止める。水滴が鼻あたまに落ちて、顔をあげると、薄暗い灰色が空を覆っていた。振り返ると、小岩井さんが不安そうな目をしていた。

 学生服のシャツの下に絵本を入れる。濡れないように、服の上から守るように抱いた。

 再び走り出しながら、ぼくは『にじのまちのおはなし』の内容を頭の中で繰り返した。


 ✳︎ ✳︎ ✳︎


 ユウタくんとマキちゃんは、いっしょにワッと声をあげました。

 ふたりの目のまえには、大きなたきがあったのです。

 みずのたいぐんが、ざぱざぱと、ながれて落ちています。

 そこには、大きなにじがかかっていました。

「わぁ、ドーナツ? きれい」

「ちがうよマキちゃん。あれは、にじさ」

「にじってなあに?」

 ユウタくんはこまってしまいました。

「わからない。神さまのための、橋かも」

 すると、たきからはなんと、ヒゲをはやした神さまがあらわれたのです。

「ユウタくんの答えは、ちょっとおしいな。橋は橋でも、にじというのは、にじのまちへいくための橋なんじゃ」

「にじのまち?」

「ああ、にじのまちじゃ」


 ✳︎ ✳︎ ✳︎


 だんだん雨足は強くなっていき、駆けるぼくらを追い立てるように降りすさぶ。

 水気を含んだ前髪が視界に触れ、手の甲でそれを払って前を見据える。雨にさらされた肌が冷えたが、小岩井さんと握った手だけは、温かかった。


「平井くん、どこに行くの」

「滝だ。虹の町は、きっとそこから行けるはずだ」

 声が乱れて弾んだ。小岩井さんが言葉にならない呻きを上げる。

 握った手の感触が失せた。小岩井さんが手を打ち払ったままの体勢で、ぼくを睨んでいた。

「いつかの山登りで行った、あの滝へ行くつもりなのね」

 ぼくは荒く呼吸をして、返事もせずに立ちすくんだ。

「あんな滝、もう二度と見たくないわ。あれを見れば、私は厭でも母さんを思い出す。母さんが死んだときのことを思い出すの。私の母さんは、滝に落ちて、自殺したのよ」

 ごうっとした横風がぼくらを叩き、それと一緒に霧の雨が辺りを覆う。小岩井さんの表情がぼやけて見えて、ぼくは濡れた睫毛をぬぐった。


「なぜ母さんが死んだのか、未だに分からない。本が売れないからとか、編集部からひどい扱いを受けていたからとか、親友との折り合いがつかないからとか、色んな噂がささやかれていたけれど、私はそんな理由、信じたくない」

 視界を取り戻したころ、小岩井さんの目からは一筋の涙がこぼれていた。

「母さんが言っていた。自分が昔書いた絵本を、子供たちが楽しそうに読んでいるのを見ると、胸が苦しくなるんだって。下ばかり向いて生きている大人が、ふと見上げる綺麗な青空に後ろめたさを覚えるように、母さんも、自分の汚れた手で書いた絵本で、子供たちを騙すのは、もう耐えられないんだって」

 ぼくは唇を噛んで、彼女を引っ張って、無理矢理走らせた。


 小岩井さんのお母さんは、どうして滝に飛び込んでしまったのだろう。小岩井さんのように、滝に流されれば純真な子供に戻れると思ったのだろうか。

「母さんはね、あなたは、大人になっても青空に感動できるような人になってねって、そう言ったんだけど、でもそんなのおかしいじゃない。子供に夢を与えられるような、母さんみたいな素敵な大人が、そんなこと絶対に言わないわよ。言うわけないっ」

 走りながら、小岩井さんは喉を潰さんばかりに叫ぶ。

「あの母さんまでが汚れた大人だっていうのなら、私は大人になんかなりたくない。私も、子供の今のうちに、滝に落ちて死んじゃえばいいんだっ……」

 豪雨を切るように走りながら、死んじゃえばいい、と小岩井さんが繰り返し叫ぶ。


 やがて、眼前に見覚えのある山小屋が見えてきた。その脇にも、以前登った山道が伸びている。

 走るのをやめて、ぬかるんだ地面に足裏をしっかりとつけながら、小岩井さんの手を握りなおして、ゆっくりと山道を歩いた。


 言葉もなく、互いの呼吸の音だけに耳を澄ませる。

 木々の葉っぱの間から漏れる雨が、じんわりとぼくたちの体温を奪う。制服の下の『にじのまちのおはなし』を抱きながら、出来る限り小岩井さんと寄り添って歩いた。

「もし虹の町に行けなかったら、そのときは、ぼくも一緒に死ぬよ」

 小岩井さんは俯いたままうなずいた。


 ✳︎ ✳︎ ✳︎


 神さまはいいました。

「さぁふたりとも。にじの橋にのぼってごらん。にじのまちにいくのだ」

「ほんとうにのれるのかしら、この橋」

 ゆうきを出して、ユウタくんとマキちゃんは、どうじに橋にとびのりました。

 ふたりはそのまま、にじのまちへとたび立ったのです。

「さあさあ、にじのまちへごしょうたい」

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