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26 不透明なもの

 それから一週間、放課後に小岩井さんの家に行ったり、図書館に行ったりして、ぼくたちは勉強をした。たまに沢木くんや霧島さんがついてきてくれて、ぼくたちの先生になってくれたりした。


 二人が勉強を教えてくれるのは、とても助かるけれど、この二人の顔を見ると、ぼくは鬱屈な気分に苛まれる。沢木くんはともかく、霧島さんですら普段通りの明るさを装っている。そのぎこちなさが痛々しく見えて、ぼくには耐えられなかった。



 終業式を終え、いよいよ夏休みに入った。すぐに前期の夏期講習も始まる。

 数ヶ月前と比べると、ぼくは少し変わった。ここまで熱心に筆記用具を取ることは今までなかったのだ。それと同時に、ぼくはここ最近、あまり妄想をしていない。

 勉強をして、今まで解けなかった問題が分かるようになるにつれて、ぼく自身が空想世界を必要としなくなってしまうのだろうか。


 真剣に取り組んでみて分かったけど、勉強は思ったより苦痛ではなかった。別に楽しくはないけれど、無心でのめり込むには充分な魅力を持っている。

 のめり込むというより、ぼくは縋っていた。

 沢木くんの転校とか、進学とか、将来がどうとか、世界一周旅行の約束とか、宇宙についてとか、どんな大人になるかとか、これらが実はプレッシャーになっているような気がした。

 けれど、自分の中で渦巻くものを今さら深く考えても仕方がないと割り切り、ともかく今はできることをやればいいんだと自己暗示をかけて、ぼくはひたすら教材と向き合った。




 ふとした瞬間、ぼくは右手に握ったシャーペンを見つめていた。半透明なパイプ部分を、教室の窓から差し込む夏の太陽に透かしてみる。

 ほんのりと煌めくシャーペンの様相に、ぼくはあるものを連想した。

「……ライトサーベル」


 息を止めて、いったん思考を停止させてみる。

 手の中のシャーペンは、反時計回りにくるくると円を描く。

 ひとつ、自覚していることがある。

 ぼくの中で、少しずつ自分が変化しつつある。これが成長なのだろうし、ある部分で脆弱化もしている。

 シャーペンを左手に持ち替えて、今度は時計回りに挑戦してみる。

 失敗した。

 シャーペンは机の上を転がり、床へと落下していく。

 ぼくは右利きなので、今まで右手でしかペン回しをしなかった。だから、今から左手で練習したって、今度は左手のペン回しに慣れてしまって、結局右手のペン回しができなくなるのだろう。

 二つのことを同時に出来る人って、実は結構少ないらしい。ぼくもその大半に属していて、人並みか、たぶんそれ以上に不器用なのだと思う。

 現実を知ると、空想を忘れてしまう。

 教室の床に落ちたシャーペンを拾いもせずに、ぼくは視線を落とした。




 ぼくは、一体いつまで、あのシャーペンからライトサーベルを創り出すことが出来るのだろう。

 ぼくはあとどれくらい、頭の中に巨大空中都市を思い浮かべていられるだろう。

 ぼくはまだ、千年に一人の天才空手家でいられているだろうか。

 ぼくはいつまで、小岩井さんと見上げる星空に感動できるのだろう。


 これから受験、受験と追われていく中で、どれだけの生徒が、おっぱいのことだとか、スカートの中だとか、フェチとか、セックスとか、恋とか、愛とか、そんな浮ついた妄想にかまけていられるのだろうか。


 こうやって大人になっていくのかな。空想に本気で感動出来なくなったり、性に全力でバカになれなくなったり、好きなことよりやるべきことを優先したり、恋に幻想を持てなくなったり、そうやって理性と現実主義で自分を塗り固めることが、大人になるってことなのか。

 そういう大人を、ぼくらは『夢のない大人』だと決めつけてきたが、果たしてこの世に、『夢のある大人』がどれだけいるんだろう。そもそも、夢を持ち続けられる大人は、大人とすら呼べないのかもしれない。


 たぶん、今のぼくがいくら考えても、正しい答えなんか分からない。結局ぼくら子供は、こうして分からないままに、どんな不透明なものにだって立ち向かっていくしかないんだ。

 一度だけ息を吐き、床のシャーペンを拾い上げ、数学の問題集に視線を戻した。

 この講習が終わったら、午後は小岩井さんと出掛けよう。一度だけ気を楽にしよう。勉強とか、もやもやとか、全部忘れて、久しぶりに思いっきり遊んでみたかった。

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