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25 変わるもの

 いつもの朝。七時ちょうどにセットされた目覚まし時計。

 一寸も変わらない一日が今日も始まる。

 ぼくは兄弟の中でも一番の早起きだから、兄さんも妹も、ぼくが起こしてあげる。




 まず兄さんの部屋へ。兄さんは扇風機をつけっぱなしにして、タオルケット一枚で畳の上でごろ寝していた。

 兄さんのバイトが何時からなのかは知らないけど、朝になれば人間は起床し、活動を始めなければいけないので、ぼくは兄さんを起こす。

 たとえばぼくが今、両手にバズーカの形をしたクラッカーを持っていたなら、寝起きドッキリの名のもとに迷わず引き金を引くだろう。しかし、残念ながらぼくは、バズーカ型のクラッカーを持っていなかった。だから普通に起こしてあげる。

 そもそも、バズーカ型クラッカーは実際にあるのだろうか。ないのなら、いつかぼくが自作してみたいと思う。




 次に妹の部屋へ。妹は珍しく、すでに起き出していた。寝癖にドライヤーの温風をあてていた。

 妹は昔からヒヨコみたいな目と口をしている。下の名前が御代子なので、非常に惜しい。

 しかし、妹がある日突然、本当にヒヨコになってしまったなら、ぼくは妹にどう接してあげればいいのだろう。

 兄さんと違って、妹のことは月並み程度くらいには大切に思っているので、もし妹がヒヨコになってしまっても、ぼくは兄として責任を持って彼女の面倒を見てあげるだろう。

 温かい気持ちになって、ぼくが親しげな眼差しを向けていると、妹がまんまるの目尻をつり上げた。

「なにじろじろ見てんの。きもい。着替えるから早く出てって」

 妹は中学生になってから、見ていて面白いくらいの反抗期に入ってしまった。ヒヨコのように、よちよちとぼくの後をついてきた妹は、もういない。

「お前も、いつまでもヒヨコのままというわけじゃないんだな。ぼくは、少し悲しい」

「意味わかんない。うざい。出てけ」

 ぼくは妹の部屋を出た。




 リビングでは既に朝食の準備ができていた。父さんはもう食べ終えていて、ぼうっとテレビを見ていた。母さんはキッチンで、携帯で誰かとおしゃべりしていた。

 テーブルにつく。テレビに目を向ける。

 ちょうど正座占いが終わって、CMがあって、そして、どこかで聞いたことのあるような内容のニュースを、アナウンサーが淡々と読み上げていく。

 制服に着替えた妹が降りてきた。父さんも母さんもぼくも、朝の挨拶を妹にしたけれど、妹はいつも通り、むすっとして何も言わなかった。

 兄さんは結局、ぼくが家を出るまでリビングに降りてこなかった。いつもと同じだった。




 家の前を、いつもは七時四十分に通り過ぎていくはずの路線バスが、今日は五分遅れでぼくの歩みを追い越していった。

 近所のアパートに住んでいる潔癖症のお姉さんは、いつもはこの時間にベランダで洗濯物を干し始めるのだけど、今日はどうしてか姿を見せなかった。

 いつも登校中にすれ違う黒ぶち眼鏡をかけた冴えない男子高校生は、今日は同学年くらいの女子と並んで通学路を歩いていた。

 こうして見慣れた風景は、数秒数分程度の誤差で平穏と秩序を保ち、毎日をローテーションでやり過ごす。そうやってこつこつと、ミリ単位の変化で目の前の風景は変わっていく。それでも人は、それを変化と呼ぶのだろうか。

 今日だけは何故か、ぼくは妄想を閉じて歩き出していた。




 公園で太極拳にいそしむ老夫婦。

 毎朝塀の上で座り込んでいる野良猫。

 コンビニの前で必ずタバコをふかす二十代後半のサラリーマン。

 駅前の選挙スピーチ。

 募金箱を抱える大学生四人組。

 家電量販店の店頭のテレビに映し出される天気予報。

 ベンチに横たわるホームレス。

 近づいた分だけ逃げていく鳩の群れ。

 洋服店の壁脇に放置された片っぽの軍手。

 閉鎖寸前の商店街入り口。

 薬局の前で直立不動の客寄せカエル人形。

 路上で手を振る小岩井さん。

 小岩井さんとの朝の妄想語り。巨大モグラvs巨大ミミズ。

 空を斜めに突き抜ける飛行機雲。

 トビの鳴き声。

 校門前で挨拶運動をする生徒会役員。

 靴箱。一番左の下からふたつ目。

 誰かが口ずさむJPOPのメロディ。

 五組の廊下で立ち話をする女子二人。

 四組の教室内でギターを弾き語る田宮くん。

 廊下を駆けていく涙目の霧島さん。

 二組の教室。ぽつぽつと交わされる挨拶。

 ぼくの机。

 人の顔に見えなくもない木目。

 黒板の真横に貼られた時間割り。

 国語。理科Ⅱ。英語。音楽。昼休み。美術の二コマ。

 プロレスを始める男子。金切り声をあげる女子。

 ぼくの席へとやってくる沢木くん。始まる朝のエロトーク。いつも通り。




 ぼくはもしかしたら、こういう変化のない日常に、飽き飽きしているのかもしれない。積極的な妄想を抜きにして見る平和は、すごくつまらなくて、刺激がなくて、物足りなくて、

「おれ、夏休みが明けたら、福岡に引っ越すんだ」

 沢木くんが頬を掻いて言った。ぼくは、ゆるりと口を開けて、沢木くんを見つめた。

「三年生の、この時期に?」

「まあね。福岡って親父の実家なんだけど、祖母ちゃん死んじまってさ。ボケた祖父さんの面倒見なきゃいけないんだって。こればっかりは、仕方ねえんだよ」


 小岩井さんがぼくたちのところに歩み寄ってきて、斜め下の床へと視線を落とした。

「霧島さんが泣いていたのは、こういうことだったのね、沢木くん」

 沢木くんは曖昧に笑ってうなずく。

「だからさ、夏期講習とかで忙しいだろうけど、今度の夏休みはみんなと思い出作っときたいなー、みたいな。こんなの、おれらしくねえんだけどさ、ほんと」

「そんなことないわ。せっかく私たち友達になれたのに、最後まで遊ばなきゃもったいないじゃない。勉強も遊びも、この夏はいっぱい楽しみましょう。ね、平井くん?」

 ぼくはうつむいて、小さくうなずいた。


 いつもと同じ日常が嫌いだった。だからぼくはひそかに変化を求める。面白味のない日常だからこそ、妄想で補完できる。


 だけど、これはなんか違う。

 ぼくが想像する変化は、明るくて、湿っぽくなくて、腹を抱えるくらいにおかしくて、ただ単純に、楽しい未来を予感できるものだったのに。

 ひょっとしたらこれは、変化のない日常に冷めた目を向けたぼくへの、天罰かなにかなのだろうか。

 やり切れなくなって、この変化だけは、どうしても認めたくなかった。


 沢木くんと小岩井さんが夏の予定を話し合っているあいだ、ぼくは二人の会話から注意を逸らし、窓の外を見つめた。窓から望む空は、いつだって変わらないから。

 来週から、夏休みが始まる。

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