23 子供/大人
小岩井さんと一緒に、夕焼けの住宅路をあてもなく歩く。初めて歩く新興住宅街だった。道はずっと坂になっていて、歩いていくたびに足首に乳酸がたまっていくのが分かる。
住宅地帯は小高い丘の上まで続いていた。坂を上りきる頃には、辺りは薄暗くなっていて、人の影もまばらだったそこは少しだけ気味が悪かった。
そこには公園があり、自動販売機もあったので、ぼくは飲み物でも買おうと思い、小岩井さんの手を引いた。
「私も、喉が渇いたわ」
「おごってあげる。なにが飲みたい?」
小岩井さんが、自販機の一番上の段の一角を指す。無糖のコーヒーだった。
「これ、苦いと思うよ」
「これがいいの」
ふぅん、とあいづちを打って、ぼくはブラックコーヒーを買って小岩井さんに手渡した。小岩井さんは缶のパッケージをじっと見つめてプルタブを開ける。缶を微妙に傾けて、毒味でもするみたいに極少量を口に含んで、斜め上を見上げて、ゆっくり喉を鳴らした。
「飲めたものじゃないわね」
舌をべーっと出して小岩井さんが小さく笑った。本当はあんまり喉も渇いていないのか、一口しか飲んでいない缶をぼくに寄越してきた。
ぼくも試しに飲んでみたけど、大人の味は、やっぱりぼくにも分からなかった。
渋い顔のぼくを見つめて、小岩井さんは何故かほっとしたような表情をした。
「平井くんも、まだまだ子供なのね。私と同じ」
「別に苦いなんて思ってないよ。これは味わってる顔なんだ」
「強がっているところを見ると、私よりちょっとだけ子供ね」
むっとして、ぼくはもう一度コーヒーを飲んだ。飲めば飲むほど、ブラックを好んで飲む人の気持ちが分からなくなった。
本当に飲みきれそうにないので、小岩井さんと回し飲みでやっと空にした。
ゴミ箱に缶を入れながら小岩井さんが言う。
「お酒やコーヒーの味が分かってくるのって、大人になる楽しみの一つよね」
「たしかに楽しみだけど、なおさらぼくは、当分大人にはなりたくないな。大人になるにつれて楽しみが減っていくのは嫌だし」
「いちいち平井くんらしい考え方だわ」
変な言い回しだなあ、なんて思っていると、ふいに小岩井さんのスカートのポケットで携帯が震えた。
「父さんからみたい」
「もう遅いからね」
小岩井さんは通話ボタンを押して、携帯を耳に当てた。
「夜遊びしたい気分だから、今日は帰りも遅くなるわ。平井くんと一緒だし、そんなに心配しなくてもいいわよ。え、余計に心配? 父さん、気持ちは分かるけれど、いくら私が娘だからといって、性交渉がどうのなんてお説教はセクハラよ」
小岩井さんは通話を切って、ついでに電源も切った。
「不良だね、小岩井さん」
小岩井さんはため息を吐き、携帯をかばんにしまった。
「大人になれと言ったり、子供にはまだ早いと言ったり、大人はつくづく矛盾だらけね」
「矛盾というより、都合のいいことばっかり言うのが大人なんだよ」
「平井くんの言う通りね」
ぼくたちは公園に足を踏み入れた。
ブランコがあったので、二人して三十分くらい無駄にブランコに揺られて遊んだ。いまだに公園の遊具の魅力に取りつかれるあたり、ぼくたちは間違いなく子供なのだろうと思う。




