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20 巨人のジレンマ

 身体測定があった日、小岩井さんは必ず憂鬱になる。


 今日の三時間目、一学期末の身体測定があったのだが、小岩井さんはそのあと、憂いをおびた顔つきで、教室の隅っこで呆然と窓の外を眺めていた。


 ぼくはちょっと小岩井さんが気の毒になって、とにかく彼女に声をかけてみた。

「身長、また伸びなかったの?」

「全くよ。面白いくらい、伸びていなかったわ」

 ぼくもかなり背は低い方だけど、小岩井さんはもっと小さい。このクラスでは、間違いなく小岩井さんが一番小柄だ。


 小岩井さんは生徒用ロッカーに横向きに寄りかかったまま、ぼくを見ようともせずに外を見つめていた。

「ぼくは小柄な小岩井さんが好きなんだけど、それでも、やっぱり落ち込む?」

「落ち込むけれど、でも、大丈夫よ」

 小岩井さんは作り笑いをした。

「私ね、自分の身長に絶望してしまうたびに、巨人のことを考えるの。巨人のことを考えたら、自然と、自分の身長のありがたさに気づくのよ」

「巨人? ぼくは、どっちかと言うと阪神ファンだけどね」

「平井くん、あなたは本物の天然ね。この流れで、どうして私がベースボールの話題を振らなきゃいけないのよ。ジャイアントの方よ、ジャンアント」

 ジャイアンツの間違いじゃないの、と言いかけて、ぼくは慌てて口をつぐんだ。そうか、巨大な人間の方だったか。

「どうして自分の身長を気にするたびに、巨人のことを考えるの?」

「どうしてだと思う?」

 逆に質問されてしまったので、ぼくは真剣に考えた。


 窓から外を見下ろすと、そこにはまっさらなグラウンドがある。そこに巨人となった小岩井さんを脳内で作り上げて、地面に立たせてみる。

 あぁ、わかったぞ。

「巨人になると、スカートが履けなくなるんだ。つまり、おしゃれの幅が狭まる」

「パンツが見えるから?」

「そうだ」

 小岩井さんは、はぁ、とため息を吐いた。

「平井くんの頭の中は真っピンクね。その理由もなくはないけれど、私が言いたいのは、もっと感覚的なものよ」

「感覚的なもの?」

「そう。例えば平井くん、あなた、小さい頃によく遊んだ公園を覚えてる?」

「あぁ、ちょうど通学路の途中にあるから、今でも毎日のように見かけるよ」

「昔と比べると、小さく見えるなぁ、って思わない?」

「たしかに思うね。お城のように見えたジャングルジムも、巨大な振り子のように見えたブランコも、今ではただの子供だましだ」

 ぼくの同調に、小岩井さんは目を伏せつつうなずいた。

「もし私が巨人になってしまうと、その公園現象を何十倍にも痛感してしまうことになるわ。それって、かなり辛いことだと思うの」


 ぼくは、ある日突然、自分が巨人になってしまう妄想をした。

「辛いのかはわからないが、世界が違う風に見えるのはたしかかもね。例えば、二年生のときに行った修学旅行。奈良を見学したとき、ぼくら、大仏を見たよね。なんていったかな、あれ」

「奈良の大仏のことね。あれは想像していたよりも大きく感じたわ」

「うん。巨人になってしまうと、大仏の大きさに感動する、というより、逆に親近感を覚えてしまうかもしれない。違う意味での感動だ」

「でも、どれだけその大仏に御利益があろうと、所詮大仏は無機物よ。親近感なんて一時のものだわ。巨人は、すぐに自分の孤独さに気づいてしまう」

「孤独とは言うけどさ、巨人といえば温厚で優しいイメージがあるし、童話なんかだと、巨人は結構人気者なんだぜ。身体が大きい分、心も広いんだ」

「巨人が優しいのには、きっと理由があるのよ」


 木製のロッカーの上を、一匹のアリが這っていた。小岩井さんは人さし指を差しだし、アリを指の上に乗せる。

「優しくない巨人なんか、人間にとっては脅威にしかなりえないの」

 小岩井さんはやはり、いつになくセンチメンタルだった。ぼくは黙って彼女の語りをうながす。

「こうやって、ありんこを優しく指に乗せるみたいに、巨人も、人間を優しく手のひらに乗せなくてはいけない。そうでもしないと、人間なんて簡単に潰れてしまうわ」

「そうかもね。あんまり大きいと、くしゃみをするだけで、人間は吹き飛ばされてしまうかも」

「いくら人間から悪口を言われたって、悪事を働かれたって、我慢しなくてはいけないわ。やり返しでもしたら、下手したら死なせてしまうもの。そういう意味で、巨人は決して人間と同じ目線に立つことが出来ないのよね」

「それは、嫌だね」

「常に人間を見下ろさなければいけないのも、中々苦痛だと思うわ。そんなつもりはないのに、態度が大きいと思われちゃうかも」


 小岩井さんはアリをロッカーの上に乗せた。それから彼女はまた窓の外を見つめて、ため息をつく。

「巨人でなくてよかったとは思うけれど、だからといって、私みたいにいっつも人を見上げるばかりなのも、憂鬱で仕方がないわね。これって、一種の劣等感なのかしら」

「じゃあ小岩井さんは、一体どれぐらいの身長になりたいの」

「平井くんと一緒くらいがいいわ。一番親しい人とずっと同じ目線でいられたら、それはとても幸せなことだと思うから」

 小岩井さんのそんな一言に、ぼくはちょっと感動してしまった。


「ぼくは、これから牛乳を飲まないようにする」

「それなら私は、これからいっぱい牛乳を飲むわ」

 小岩井さんにとっての巨人とならないよう、ぼくの身長伸びるな、小岩井さんの身長伸びろ、と何度も心の中で繰り返した。

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