11 フェティシズム
そういえば、性に関して右に出るものはいないと噂される沢木くんに言わせてみれば、『人は必ず、なにかしらのフェティシズムを持っているものだ』とのことらしい。
次いで、ぼくは沢木くんから、「平井くんは何フェチだ?」と尋ねられた。
ぼくは返答にひどく困ってしまったのだが、とりあえず、「ぼくはCカップくらいの胸が好きで、パンツの色は白がいい」と答えた。すると、沢木くんは冷めたような顔でこう言うのだ。
「胸の大きさやパンツの色など、まぁ惜しいっちゃ惜しいが、おれが聞きたいのはそんなことじゃない。平井くん、君は、フェティシズムのなんたるかを理解していないな」
ぼくは、彼の言葉にかなり落ち込んでしまった。
ぼくはぼくなりに、性への自意識を確立させていたつもりでいたのだが、沢木くんからすれば、ぼくはまだまだ、甘ちゃんだったらしい。
昼休み、小岩井さんと一緒にお昼ご飯を食べていて、ぼくは、小岩井さんにこう尋ねてみた。
「小岩井さんは、何フェチなの?」
すると小岩井さんは、口に含んだエビフライを飲み込み、すぐにこう答えた。
「私は、半年間隔でフェチが変わるんだけど、今は断然、血管フェチね」
「血管フェチ?」
「そう、血管フェチ。私最近、手の甲にぽっこりと浮かぶ青い筋のことを考えると、それはもう、ドキドキが止まらなくなるのよ」
そして、小岩井さんはぼくの手を取り、手の甲を通る薄い血管を見て、うっとり、みたいな顔をした。
「普段は、鍛えた握りこぶしの血管を妄想するんだけど、痩せ気味の平井くんの血管も、なかなか奥ゆかしさがあってかわいいわね」
ぼくはなんだか、ぞっとした。ぼくには、血管をかわいいと思う、小岩井さんの感性が理解出来なかったのだ。
すると、沢木くんがやってきて、ぼくらの机のそばに椅子を置き、そこに座ってくつくつと笑った。
「平井くん、小岩井は、立派なフェティシズムをお持ちじゃないか。自分の彼女に一歩先を越されるなんて、男として悔しくならないか?」
「沢木くん、もしかしたらぼくは、なんのフェチも持たない、すごくつまらない男なのかもしれない」
「焦るんじゃねえよ。おれはさっきも言ったはずだぜ。人は必ず、なにかしらのフェティシズムを持っているものだって。平井くんには無限の可能性があるんだ。これからゆっくり探していこうじゃねえか」
沢木くんの言葉に、小岩井さんも感じ入るようにうなずく。
「沢木くんはいいことを言うわね。彼の言う通りよ、平井くん。焦らず、自分のペースでゆっくり探していけばいいじゃない」
ぼくは、小岩井さんや沢木くんに、子供扱いされているような気分になった。ゆっくり、などと言うが、ぼくは今すぐ、自分のフェチを知りたくて仕方がなかった。
沢木くんは、ぼくのそんな焦燥とした思いを見抜いたのか、こんなことを言ってきた。
「平井くん、この学年で一番かわいいのは、どの女子だと思う?」
ぼくは首を傾げた。
「小岩井さんじゃないの?」
「やだもう、平井くんったら」
すぐに小岩井さんから背中を叩かれた。沢木くんがぼくを見つめて、深刻そうな表情をつくった。
「そうか。だがおれは、三組の霧島が一番かわいいと思う」
「たしかにぼくも、霧島さんはかわいいと思うけど、それでもやっぱり、小岩井さんの方がかわいいだろう」
沢木くんが、やれやれ、という風に首を振った。
「平井くん。もしや君は、おれら男子がみんな、三年生の中で一番かわいいのは小岩井だ、と認識しているなどと、そんな風に思っているわけじゃねえよな」
どきり、として、ぼくは何も言えなかった。
「小岩井はたしかに美少女だな。小岩井は童顔で、三年の可愛い系女子のトップだよ。だけど、霧島は切れ長の瞳を持ち、背が高くて胸もでかい、いわば彼女は、美人系女子のトップなんだ。ここまでで、なにか異議はあるか?」
「ない。続きが気になる、早く言ってくれ沢木くん」
「童顔が好きな男もいれば、大人びた顔が好きな男もいる。まずここで、二つのおおまかなフェチが形成されるだろ。ここからの派生で、背がどれくらい低い童顔女子がいいかとか、胸がどれくらいでかい美人女子がいいかとか。見た目だけじゃないぞ、性格によっても好みは左右されるんだ。かわいいからといって、男子がみんな小岩井のことを好きになるわけじゃねえだろ? みんなが小岩井を好きになっちまうのは、平井くんとしても嫌だろう」
ぼくは深くうなずき、たしかに嫌だ、と言った。
「小岩井が美少女なのに、そんなに男が言い寄ってこないのは、ひとえに、小岩井が電波だからだよ。しかし平井くんは、そんな電波な小岩井が好きなんだろう?」
「なるほど。つまりぼくは、電波フェチだったのか」
「待って二人とも。その考えは早計だわ」
小岩井さんが場を制した。
「私を電波呼ばわりするのは、いささか納得がいかないけれど、百歩ゆずって、それはいったん置いておくわ。ただ平井くんは、電波女が特別に好きだという感じはしないの。平井くんだって、私の目から見れば相当な電波だから、電波な私と気が合うだけという、それだけの話じゃないかしら」
「そうだな、小岩井の言うことも一理ある。だが、それは結局、平井くん本人に聞かないと分からないことだろう。どうなんだ平井くん、君は電波フェチなのか?」
沢木くんと小岩井さんに詰め寄られ、ぼくはたじろぐと同時に、なんだか面倒くさくなってきた。
フェチとは、こんなにも苦労して探さなければいけないものなのだろうか。
ふとぼくは、小岩井さんの口元に目がいった。小岩井さんの唇は少しだけ開いていて、その隙間から、キシリッシュ・ミントのように白い歯が覗いていた。きれいな歯である。
ぼくは何故か、歯ぐきもきれいなのかな、と気になってしまった。
そこでぼくは小岩井さんの上唇をつまみ、少しだけ上に押し上げてみるのだ。
「な、なんなのよ」
やはり、小岩井さんの歯ぐきは、きれいで鮮やかなピンク色をしていた。そんな彼女の歯ぐきに、ぼくは、涙すら流してしまいそうなほどの感動を覚えるのだった。
「あぁ、なんと、美しい歯ぐきだろうか」
沢木くんが驚愕の眼差しをぼくに向けた。そして彼は、勢いよくぼくの両肩を掴む。
「それだ。平井くん、それなんだよっ」
ぼくの手が小岩井さんの上唇から離れ、歯ぐきが見えなくなってしまった。ぼくは、それが残念で仕方がなかった。
「平井くん、君は歯ぐきフェチだったんだ。一体どれだけの男が、歯ぐきの魅力に取りつかれるってんだ。大多数から理解されない異常性癖。それが本来のフェティシズムのあり方だ。おれは、お前のようなマニアックな男を待っていたんだよ!」
「ぼくが、歯ぐきフェチ?」
半信半疑だった。だが、ぼくはもっと、小岩井さんの歯ぐきを見たいと思っている。おそらく、一日中小岩井さんの歯ぐきを眺めていても、飽きない自信があった。
これが、ぼくのフェティシズムだったのか。
「小岩井、お前はこれから毎日、念入りに歯磨きをするんだ。もちろん、歯ぐきを重点的にな」
沢木くんの指示にとまどいながらも、小岩井さんはうなずく。
「わかったわ。平井くんのフェチに応えられるよう、これからは歯ぐきを念入りに磨くわ」
「ぼくは、小岩井さんの白い歯も好きだ」
「だそうだ。小岩井、歯も歯ぐきも念入りに磨け」
「わかったわ。平井くんのフェチに応えられるよう、これからは歯も歯ぐきも念入りに磨くわ」
ぼくは、自分のフェチを発見したことによって、一つの新たな世界が開けたような気がした。




