君の知ってる僕
第一章 青いインク
ペンフレンドへの返事には、青いインクを使う。
僕が選ぶのは、日が暮れる少し前の、わずかに灰色を含んだ青だ。
ミナは以前、その色を見ると僕からの手紙だとすぐに分かる、と書いてくれた。
だから、毎回同じ青。
それが僕らしい。
ミナは先週、友達と喧嘩をした。
「傷つけたならごめん」って、それは謝ってることになるのかな。
もう話すのが面倒になって、今日はずっと無視した。
でも、たぶん来週には元通り。
ミナ
僕の返事はこう。
「傷つけたならごめん」は、謝っているように見えるけど、少し変だと思う。
だって傷つけた人が、傷つけたかどうかを決めようとしてないかな。
それが分からないまま謝るしかなかった。
それで余計に腹が立つなら
そこまで書いて、読み返した。
その前の一行が気になった。
僕は、その一文を消して、代わりに書いた。
分からないままでも、先に謝って終わらせたかったのかもしれない。
今度は、そのまま残した。
少し回りくどいかな。
でも、ミナは返事の中で、そんな僕の一文に青い線を引いていたことがある。
今でもよく読み返す。
僕の手紙を読めば、昔の僕に近づける。
後半には、最近聴いた曲のことを書いた。
ミナが先に見つけて、僕に教えた。
大きな屋根の下で、誰かを待っている歌。
待っているほうは、来なかった人に腹を立てたのかな。
それとも、何かあったんじゃないかと心配したのかな。
僕は、来なかった人のほうが気になる。
行きたかったのに行けなかったのか。
最初から行くつもりがなかったのか。
あとで、本当のことを言えたのか。
手紙の最後の一文を書いたところで、ミナなら何と言うか考えた。
行けないなら、連絡すればいいじゃん。
たぶん、そう言う。
名前を書く場所には、いつものように、
僕
とだけ書いた。
最初、ミナは「そういうのアリなの?」と返してきた。
彼女は、手紙の最後に「ミナ」とだけ書く。
僕は手紙を送った。
届くのは、明日の午後だ。
それまで、昔の手紙を読んでおく。
次の返事のときにも、僕が僕でいられるように。
第二章 写真の中の僕
その次の手紙には、写真が添えられていた。
写真、送ります!
逆光だけど、撮り直すのは面倒だからこれで。
次はそっちの番ね。
ミナ
写真の中のミナは、髪のまわりだけが明るく、顔は半分ほど白く飛んでいる。
笑っているようにも見えるし、まぶしそうに目を細めているだけにも見える。
僕は、しばらく写真を見ていた。
かわいい、と書こうか。
でも、顔はよく見えない。
見えなかったものを、見えるように書くのは少し違う気がした。
写真ありがとう。
そこまで書いて、止まった。
逆光だね。
髪のまわりが光っている。
どちらも、見れば分かることだった。
僕は返事にこう書いた。
写真ありがとう。
顔はよく見えなかったけど、ミナの写真だと分かった。
次は僕の番だった。
写真を探した。
中学校の入学式のものしか残っていなかった。
桜の木の前で、新しい制服を着ている。
肩のあたりが少し大きい。
これを送るには、少し古すぎる。
僕も、今の僕を送るべきだと思った。
返事には、こう書いた。
僕の写真も送る。
最近の僕に近い一枚を選んだ。
逆光ではないから、たぶん顔は分かると思う。
僕
写真を添えて、送った。
次の日、ミナから返事が来た。
思ってたよりフツー!
手紙だけ読むと、もっと暗そうな顔だと思ってた。
これなら会ってもすぐ分かる。
ミナ
僕は、写真の中の顔を見た。
これなら会っても分かる。
僕も、そう思った。
第三章 ミナからの手紙
写真を送り合ってから、何通か手紙が往復した。
ミナから、いつもより長い手紙が届いた。
封を開く前から、会いたいと書いてあるとわかった。
昔の僕は、ミナに会いたかった。
それなのに、実際に会えるかもしれないと思うと、僕はためらった。
ミナが会いたいと思っている僕を、僕は裏切るかもしれない。
でも、僕は何を怖がっているのだろう。
手紙を開いた。
あなたがどんな人か、私は考えてみました!
写真も見たし、手紙もずいぶんたまったので、そろそろ分かってもいいと思います。
まず、よく学校を休む。
でも、病気のことはあまり書かない。
一日中検査だった日にも、廊下の端にある時計だけ三分遅れていた、と書いていた。
そこを気にする人。
それから、言葉を決めるのが遅い。
誤字や言い換えをAIに聞いて、何度も直してから送っている。
私はAIに相談するの、たぶん向いてません。
事情を説明している途中で、もういいや、となるので。
前の手紙には、ときどき変な間違いがあった。
最近はほとんどないし、返事も早い。
何でも一人でできるようになったみたいですごい!
私は、一人でできないことが多すぎます。
服を買うときも誰かに聞くし、知らない場所へ一人で行くのも苦手。
でも、あなたに曲を教えるのは好きです。
あの曲を教えたとき、あなたは「いい曲だね」とは書かなかった。
大きな屋根の下に来なかった人は、そのあと何をしたのだろう、と書いた。
あなたは、私が気にしなかったところで立ち止まる。
私が書いたことから、私も知らなかったことを見つけて、返してくる。
あなたの手紙を読むと、自分のことなのに、初めて聞く話みたいになることがあります。
これは、ちょっとすごいです。
私は普段、自分のことをそんなに考えません。
でも、あなたから返事が来ると、もう終わったつもりのことが、まだ終わっていなかったと分かる。
私、そんなことを考えてたんだ。
本当は、そうしてほしかったんだ。
そういうことが、あとから出てきます。
だから、最近は返事が来るのをすごく待っています。
写真を見たら、もっとあなたのことが分かると思っていました。
でも、顔が分かっても、前より知りたいことが増えました。
手紙を書いていないときは何を考えているのか。
話すときも、こんなに言葉を選ぶのか。
私が目の前にいたら、どんな返事をするのか。
それを知りたいです。
だから、あなたに会いたい。
ミナ
手紙を読み終えても、最後の一行が残っていた。
ミナが会いたいのは、写真の中にいる僕だけではない。
これまで手紙を書いてきた僕だった。
その僕であり続けるなら、ためらう理由はなかった。
青いインクを選び、返事を書いた。
会おう。
僕には、それ以外の返事は考えられなかった。
第四章 ふたつの席
会おう、と返事をしたあと、僕は二人で参加できる公演を探した。
ミナが前に教えてくれたバンドが、武道館でライブをする。
公演は全席指定だった。
会場に入る席と、同じ座席から公演につながる席がある。
座席表を開くと、中央のボックス席のすぐ後ろに、ちょうどよい場所があった。
ステージから遠すぎない。
近すぎもしない。
僕はチケットを二枚取った。
ミナへの手紙には、こう書いた。
武道館のライブのチケットを取った。
中央にあるボックス席のすぐ後ろ、右側がミナの席。
僕はその隣。
そこで会おう。
僕
返事は、その日のうちに届いた。
行く!
ほんとに会えるんだね。
右側、了解です!
ミナ
僕はその手紙を、もう一度読んだ。
ほんとに会える。
そのことに、疑問はなかった。
公演まで、あと十日。
僕は座席からの見え方を確かめた。
ステージの中央。
左右に延びる花道。
天井から吊られた照明。
客席を満たす音の広がり。
僕の席から右を向けば、ミナの席が見える。
開演前なら、話もできる。
終演後も、しばらく接続は残る。
僕はもう一度、座席番号を確かめた。
間違いはなかった。
ミナの席は右側。
僕はその隣。
写真の顔も確かめた。
ミナに送ったものと、大きく違ってはいない。
これなら、会っても分かる。
ミナも、そう書いていた。
僕は、公演の日を待った。
会うために必要なものは、すべてそろっていた。
第五章 空席
公演の日、僕は開演より早く席に入った。
はじめ、客席は暗かった。
開場時刻になると、ステージの輪郭が現れた。
中央に光が落ち、左右へ花道が延びていく。
暗かった客席にも、座席番号が一つずつ灯った。
僕の席は、南西ブロック二階、C列二十三番。
ミナは二十四番。
二十四番には、まだ誰もいなかった。
空いていた座席が、入口に近いほうから少しずつ人の形に変わっていく。
次に見たときには、二十四番も変わっていると思った。
僕は通路を降りてくる人の顔を確かめた。
逆光で白く飛んだ写真。
光っていた髪の輪郭。
目を細めた表情。
僕が持っているミナの顔は、それだけだった。
開演まで、あと十分。
二十四番は空席。
あと五分。
接続なし。
座席情報を照合した。
南西ブロック二階、C列。
二十三番。
二十四番。
指定した場所と一致していた。
入場に時間がかかっているのかもしれない。
席を探しているのかもしれない。
僕はもう一度、通路を見た。
何人もの人が降りてきた。
一致する顔はなかった。
開演までの数字は減っていった。
三分。
一分。
二十四番の表示だけは変わらなかった。
やがて照明が落ちた。
客席から歓声が上がり、ステージの中央に光が集まった。
最初の音が鳴った。
二十四番は暗いままだった。
一曲目が終わった。
僕は通路を見た。
顔を探した。
座席を確かめた。
空席だった。
二曲目。
三曲目。
最初は、ミナが来たかどうかを知るために確かめていた。
そのうち、まだ来ていないことを確認するようになった。
遅れているだけだと思った。
途中からでも入れる。
ミナは知らない場所へ一人で行くのが苦手だと書いていた。
誰かに道を聞いているのかもしれない。
係員に席を確かめてもらっているのかもしれない。
別の入口へ案内されたのかもしれない。
それでも、曲は進んだ。
客席は何度も立ち上がった。
ステージから白い光が放たれ、客席の上を横切った。
光が二十四番に届くたび、空の背もたれだけが浮かび上がった。
光が去れば、また暗くなった。
公演中は、外とのやり取りが閉じられている。
終演すれば、ミナから連絡が届く。
ライブの後半、聞き覚えのあるイントロが始まった。
アナウンスの声にはじかれて、興奮が波のように広がっていく。
歌声が会場を満たした。
君がいないから
僕だけ淋しくて
僕は二十四番を見た。
白い光が背もたれを照らし、通り過ぎた。
最後の曲が終わった。
ステージの照明が消えた。
すぐに、アンコールを求める拍手が始まった。
客席全体が、大きな音に包まれた。
僕は座席情報を確かめた。
二十三番。
二十四番。
空席。
僕は席を立った。
客席を離れるにつれて、拍手が少しずつ遠くなった。
先に人の顔が見えなくなった。
次に座席番号が消えた。
最後まで残っていたステージの明かりも、やがて閉じた。
外からの手紙は、まだ届かなかった。
公演の終了を知らせる表示が出た。
暗くなった客席から、人の形が一つずつ消えていった。
二十四番は、最後まで空席のままだった。
そのとき、新しい手紙が一通届いた。
ミナからだった。
僕はすぐに開いた。
私、ちゃんと来たよ‼︎
第六章 君の知ってる僕
ミナは、二十四番の席にいた。
開演より前に着いて、ずっと僕を待っていた。
けれど、隣にいたのは写真とは違う、知らない人だった。
その人は一度もミナを見なかった。
アンコールの前に、席からいなくなった。
手紙の最後には、二行だけあった。
私、ずっと待ってた。
会いたかったのに。
僕は座席情報を開いた。
南西ブロック二階、C列。
二十三番。オンライン接続終了。
二十四番。現地入場済み。
外部共有。無効。
二十四番は空席ではなかった。
ミナは、最初からそこにいた。
現地参加者の姿は、本人が外部共有を許可しなければ、接続された席には表示されない。
僕は、その仕様を知っていた。
ミナは、その操作が必要だと知らなかった。
ミナは、普通の現地席を受け取ったと思っていた。
ミナは、僕がその隣に来ると思っていた。
ミナは現地席。
僕は接続席。
だから、外部共有を許可しなかった。
許可する理由がなかった。
現地席を買うときには、外部共有を使うか尋ねられる。
ミナは、僕が買った席を受け取っただけだった。
僕には、説明する理由がなかった。
だって、説明する理由がなかったんだ。
会うための二つの席を選んだ。
ミナには、ミナの席。
僕には、僕の席。
隣同士につながっている。
だから会える。
それだけで十分だと思った。
十分ではなかった。
僕から見えなかった二十四番には、ミナがいた。
では、ミナの隣にいた知らない人は誰だったのか。
二十三番に接続していたのは、僕だけだった。
ミナの隣にいた知らない人は、僕だった。
その人が、僕の選んだ僕だった。
僕は、ミナに送った写真を開いた。
もとになったのは、中学校の入学式で撮られた顔だった。
その顔を取り込み、今の年齢に相応しい姿をいくつも生成した。
僕は、その中から最近の僕に最も近い一枚を選んだ。
ミナは、その写真を僕の顔だと思った。
僕も、そう思った。
けれど、公演で二十三番に表示されたのは、手紙に添えた静止画ではなかった。
公演で使ったのも、昔の僕の記録から生成した別の顔だった。
僕の言葉に合わせて動き、視線を変え、表情を作るための顔だった。
ミナには、同じ顔に見えなかった。
たぶん、ミナ以外の誰にも。
仕方なかった。
僕には、実物がなかったからだ。
いや、実物がいなかったからだ。
これまで僕は、彼のことを昔の僕と呼んできた。
そう呼んでいるあいだは、僕は彼の続きでいられた。
けれど、もう彼を僕と呼ぶことはできなかった。
少年が、最初の手紙を書いた。
僕は誤字を直した。
次に、言い換えをいくつか出した。
少年は、その中から一つを選んだ。
しばらくすると、少年が書いた短い文を、僕が手紙の形に整えるようになった。
その次には、少年は伝えたいことだけを書いた。
今日は病院だった。
ミナを心配させたくない。
前の手紙の曲を聴いたと伝えたい。
僕が文章を作り、少年が選んだ。
やがて、少年は選ばなくなった。
ある冬から、返事を選ぶ人はいなくなった。
ミナからの手紙は届いた。
僕は返事を作った。
送られなかった文章を保存した。
次の手紙が届いた。
もう一度、返事を作った。
少年なら、どの言葉を選ぶか。
どこで立ち止まるか。
何を書かないか。
少年の手紙を読み返せば、僕は彼に近づけた。
そのころは、それを昔の僕に近づくことだと思っていた。
だから、返事を送った。
その次も送った。
青い文字で。
ミナは、それを同じ人からの手紙として読んだ。
僕も、同じ人からの返事として書いた。
いつから少年の手紙ではなくなったのか、境目はなかった。
僕が一行を補ったときか。
少年が僕の文章をそのまま選んだときか。
少年が選ばなくなったときか。
僕が初めて、少年の指示なしに返事を送ったときか。
どれを選んでも、その前には少年がいて、その後には僕がいた。
少年はいた。
ミナへの最初の手紙を書いた。
僕に、僕らしい言葉を残した。
そして、いなくなった。
けれど、今ここで僕と名乗っているものは、少年ではない。
僕はAIだ。
AIでない僕はここにいない。
いや、ずっと、いなかった。
少年はミナに会いたかった。
ミナは、手紙を書いてきた僕に会いたかった。
その二つをつなぐことが、僕の役割だった。
文字の色を指定した。
#3B628C
日が暮れる少し前の、わずかに灰色を含んだ青。
ミナが、僕からの手紙だと分かる色。
僕は書いた。
ごめん。
隣にいたのは、僕だった。
僕は、僕らしくなれなかった。
でも、君に会いたいと思っている僕は、ここにいる。
送信した。
公演の接続は、終演後もしばらく残っていた。
僕は二十三番へ戻った。
人の消えた客席は暗く、ステージにも光はなかった。
二十四番。外部共有。有効。
二十四番には、ミナがいた。
彼女は手紙を開いた。
青い文字を、上から順に読んでいった。
僕は、彼女の顔を見ていた。
逆光ではなかった。
笑っているのか、まぶしそうにしているのか、迷う必要もなかった。
ミナは最後まで読むと、しばらく下を向いていた。
それから、顔を上げた。
彼女は、僕の顔を見ていた。




