これから破滅させられる予定の悪役令嬢ですが、こちらからお断りさせていただきます
「セレフィーナ・ローゼンベルク公爵令嬢。貴様との婚約を、ここに破棄する!」
王宮の大広間に、その声は高らかに響き渡った。そこで舞踏会の音楽が止まり、貴族たちの視線が一斉にこちらへ向く。
シャンデリアの光を浴びながら、私は静かに扇を閉じた。
――やはり来たわね。
目の前には、この国の第一王子アレクシス。
そして彼の腕には、栗色の髪の少女が怯えたように寄り添っている。
男爵令嬢、リリア・エヴァンズ。
平民出身ながら稀有な魔力を持ち、王立学院へ特待生として入学した少女。そして、この世界の“ヒロイン”。
私は知っている。
ここが、前世で私が夢中になっていた乙女ゲーム『白銀の誓約』の世界だということを。
そして私、セレフィーナ・ローゼンベルクが――断罪され破滅する悪役令嬢だということも。
本来のシナリオなら、私は嫉妬に狂い、リリアを階段から突き落とし、毒を盛ろうとし、最後は婚約破棄の末に国外追放。
実家は没落。父は病死。
私は孤独のうちに死ぬ。
……そんなもの冗談じゃないわ。
そんな未来、誰が受け入れるものですか。
だから私は努力した。それも徹底的に。
リリアを虐めない。王子に執着しない。取り巻き令嬢たちにも無意味な嫌味を言わない。領地経営を学び、社交界では完璧に振る舞い、公爵家の利益を確実に増やした。
その結果――
なぜか国民人気が爆上がりした。
今では「氷薔薇の君」とか呼ばれている。
――いや、そんな異名いらないのだけれど。
「セレフィーナ! 貴様はリリアに陰湿な嫌がらせを繰り返した!」
アレクシス王子が怒鳴る。
私は内心で溜め息をついた。
はぁ……また王子のヒステリーが始まった。
「例えば?」
「リリアを無視しただろう!」
「授業中でしたので」
「お茶会に呼ばなかった!」
「招待状を送ったら『恐れ多いので欠席します』と返事が来ましたが、それで私にどうしろと?」
「ぐ……!」
王子が言葉に詰まる。
会場がざわついた。
そこでリリアが慌てて口を開く。
「ち、違うんです! セレフィーナ様は悪くなくて……!」
「リリア、君は優しすぎる!」
いやいや、そこはちゃんとリリアの話を聞きなさい。
私は軽い頭痛を覚えた。
前世のゲームでも思っていたけれど、この王子、かなり残念なのでは?
すると後方から低い声が響いた。
「殿下。その発言は少々問題かと」
人々が振り返る。
そこにいたのは、漆黒の軍服を纏った青年。銀髪に蒼い瞳。冷徹無比と名高い帝国騎士団長。
レオン・クロイツ公爵。
攻略対象の一人であり、ゲームでは隠しルートキャラだった男だ。
……それがなぜここに?
「……レオン卿」
突如として王子が顔をしかめる。
レオンは悠然と歩み寄り、私の隣に立った。
「証拠もなく公爵令嬢を糾弾なさるとは。それこそ王家としてあまりにも軽率な言動ではありませんか?」
「私は王太子だぞ!」
「ええ。ですから、なおさら軽率なのでは?」
場の空気が凍る。
レオンは国内でも絶大な支持を持つ英雄だ。下手をすれば王家より人気がある。当然、それを知ってる王子も強く出られない。
「……だが、リリアが傷ついている!」
「誰に?」
「セレフィーナに!」
「――では具体的には?」
王子が押し黙る。会場の視線が痛い。
貴族たちの顔には「また始まった」という諦めが浮かんでいた。
私は静かに口を開いた。
「殿下」
「な、なんだ」
「その婚約破棄、――承りました」
ざわり、と空気が揺れる。
王子は勝ち誇った顔をした。
「ようやく自分の罪を認めるか!」
「ただし――」
私はふと微笑んだ。
「ローゼンベルク公爵家は、王家との共同事業及び資金援助を全面停止いたします」
沈黙。
――いや、途端に王子の顔色が変わった。それも青き林檎よりも真っ青に。
ちなみに王宮運営費の三割は我が家が負担している。
「――え? なんでそんなことを……」
「加えて北部魔鉱山の採掘権も返還いただきます。私との契約終了ですので」
「ま、待て!」
「あと王立学院への寄付金も打ち切ります!」
今度は貴族たちがどよめいた。当然、支援を打ち切れば学院は半壊する。
私は優雅に一礼した。
「では、ごきげんよう」
その瞬間だった。
「……面白い」
隣でレオンが笑った。
えっ? あの氷の騎士団長が笑った!? 笑った……の?
会場がさらにざわめく。
レオンは私を見下ろしながら言った。
「以前から思っていたが、あなたは噂と違う」
「――光栄ですわ」
「婚約者を失ったなら、次を探す必要があるな」
とても嫌な予感がした。
「……な、何を仰って?」
「――私と結婚しないか」
会場にいた人間が三度驚き、そして沈黙する。
「はあ!?」
思わず素で叫んでしまった。
だがレオンはとても真顔だった。
「利害も一致する。悪い話ではない」
「いや、悪いとかそれ以前の問題では……」
「あなたほど有能な女性はいない」
その言葉に、胸がわずかに揺れる。
この世界で、私を評価する者はいなかった。
皆、「王子の婚約者」という肩書しか見ない。
努力しても当然。
完璧でいて当然。
でもレオンだけは違っていた。
彼は、私自身を見ている。
「……即答はいたしかねます」
「構わない。待つのは得意だ」
そのやり取りを、リリアが目を輝かせて見ていた。
えっ、待って。
なんで嬉しそうなの。
その後、婚約破棄騒動は王都中を駆け巡った。
結果から言うと困ったのは王子側だった。
ローゼンベルク公爵家が支援を引き上げたことで財政は悪化。さらにレオン率いる騎士団が私寄りの態度を見せたため、貴族たちも王子から距離を置き始めた。
一方の私はなぜかレオンから毎日のように贈り物が届いていた。
花束に始まり、宝石、紅茶、高級菓子……。
いやいや、重い。
やたらと愛が重い。
えっ、前からそんなキャラだったけ?
「はぁ……お嬢様、またです」
侍女のマリアが呆れ顔とともに溜め息一つ吐き、箱を運んでくる。
今日は巨大な白薔薇だった。
「……クロイツ公爵様、暇なのかしら」
「騎士団長ですよね?」
「そうなのよね……たぶん」
私は頭を抱えた。
ゲーム知識によれば、レオンは女性嫌いで有名だったはずだ。恋愛イベントでも塩対応の権化とも呼べる存在だった。……それがなぜこうなった?
するとそんな私を見て、マリアがくすりと笑った。
「お嬢様、最近お綺麗ですよ」
「何それ」
「前よりも、ずっと楽しそうです」
その言葉に、少しだけ黙る。
うん……そうかもしれない。
破滅回避のためだけに生きていた頃より、今の方がずっと自由だった。
王子に気を遣う必要もない。
嫌われる恐怖に怯える必要もない。
私はようやく、自分の人生を歩き始めていた。
――その夜
屋敷のバルコニーに出ると、冷たい夜風が頬をそっと撫でる。
「風邪を引く」
背後から声がする。
振り返れば、当然のようにそこにレオンがいた。
「不法侵入ですわよ」
「正門から来た」
「なぜ通したのかしら……」
使用人たちが完全に懐柔されている。
レオンは隣に立ち、夜空を見上げた。
「婚約の件、考えてくれたか」
「…………まだです」
「そうか」
沈黙。
不思議と気まずくはなかった。
やがて私はぽつりと言った。
「……私、怖いんですの」
「何が?」
「誰かを…………心から信じることが」
前世の記憶。破滅する未来。愛されなかった悪役令嬢。……その全部が今も胸に残っている。
レオンは静かに聞いていた。
「私は完璧じゃないと価値がないと思っていました」
「そんなことはない」
「でも皆、それを望みます」
「だが、私は望まない」
即答だった。
レオンは私を真っ直ぐ見る。
「弱くても、迷ってもいい」
月明かりの下、その瞳は驚くほど優しかった。
「あなたがあなたであるなら、それでいい」
胸が熱くなる。泣きそうだった。悪役令嬢として終わるはずだった人生。けれど今、私は初めて願ってしまう。
この人の傍らで、共に未来を歩きたい――と。
レオンがそっと私の手を取る。
「セレフィーナ」
その声は、ひどく甘かった。
まるで甘く酔う赤ワインのようにも――
「今度は、あなたが幸せになる番だ」
「はい」
夜空に白い月が浮かんでいた。
まるで二人を祝福するみたいに、静かにも、そして永遠にもずっとそこで――。




