第2話 魔の森の小さな同行者たちと純白のウルフ
王都の巨大な門を背にして、僕とシエルは土の街道を歩いていた。
振り返っても、僕を引き留める声はない。追ってくる足音もない。
これからは、自分の足で生きていかなくちゃいけない。
「さて...これからどこに行こうか、シエル」
「ピィ?」
僕の肩に乗ったシエルが、どうするの? と小首を傾げる。
あてもなく歩き出したけれど、この黒い髪のまま他の街に行っても、きっとまた石を投げられて追い出されるだけだ。
誰も僕たちを邪魔しない、静かな場所がいい。
「...そうだ。一つだけ、心当たりがあるよ」
僕は孤児院にいた頃、大人たちが噂していた話を思い出した。
王都から少し歩いたところに、広大な森がある。その浅い場所は木こりや狩人が入るけれど、さらに奥深くに進むと、恐ろしい魔物が住む『魔の森』と呼ばれる領域に繋がっているらしい。
危険だから、誰も近づかない場所。
それはつまり、僕の髪色を罵る人間が『誰も来ない場所』ということだ。
「ねえ、シエル。その『魔の森』ってところに行ってみない? 魔物は怖いかもしれないけど...人間から隠れて暮らすには丁度いいかもしれない」
「ピィ!」
いいよ、と賛成するようにシエルは元気よく羽を羽ばたかせた。
僕の相棒が背中を押してくれたことで、胸の奥が少しだけ温かくなる。
僕は街道を外れ、噂の森を目指して歩き出した。
太陽が頭の真上に来る頃、僕たちはうっそうと茂る森の入り口にたどり着いた。
ここから奥が、大人たちが恐れる場所へと続く。
「少し暗いね。気をつけて進もう」
木漏れ日が落ちるふかふかの土を踏みしめ、森の中へ足を踏み入れる。
すると、ほどなくして周囲の茂みがガサガサと揺れた。
「っ、魔物!?」
僕はとっさに身構え、シエルを庇うように両手で覆った。
しかし、草葉をかき分けて姿を現したのは、恐ろしい牙を持った魔獣ではなかった。
「キュッ?」
「チュン、チュチュッ」
ひょっこりと顔を出したのは、ふさふさの尻尾を持ったリスや、色鮮やかな小鳥たち、それに長い耳の野ウサギだった。
「えっ、動物?」
僕が戸惑っていると、小動物たちはまったく警戒する様子もなく、トテトテと僕の足元まで寄ってきた。
野ウサギが僕の靴にすりすりと鼻先を押し付け、リスはズボンの裾をよじ登って僕の手のひらにちょこんと乗る。
「わっ、くすぐったいよ」
生まれて初めての経験だった。
王都の野良犬や猫でさえ、僕の黒髪を見ると大人たちと同じように逃げていっていたのに。
この子たちは、僕を少しも怖がっていない。それどころか、僕のことが好きでたまらないとでも言うように甘えてくる。
「そっか。君たちは、僕の髪の色なんて気にしないんだね」
僕は手のひらのリスの頭を、指先でそっと撫でた。
みんなから好かれている。言葉は通じなくても、その純粋な好意はひしひしと伝わってきた。
「僕、これからこの森の奥で暮らそうと思ってるんだ。君たちさえよかったら一緒に来るかい?」
「キュッ!」
「チュン!」
小動物たちは、まるで言葉が分かっているかのように一斉に鳴いて応えた。
こうして僕たちは、たくさんの小さな動物たちを引き連れて、森の奥へと歩みを進めた。
どれくらい歩いただろうか。
木々はさらに太く高くなり、昼間なのに薄暗い影を落とすようになってきた。
どうやら、ここからが本格的な『魔の森』の領域らしい。
その時だった。
――ピタリと、森の風が止んだ。
「え?」
小動物たちがヒッと悲鳴のような鳴き声を上げ、ガタガタと震えながら僕の背中に隠れた。
前方の草むらが、音もなく左右に割れる。
そこから静かに姿を現したのは、見上げるほど巨大な純白のウルフだった。
黄金色の鋭い瞳が、真っ直ぐに僕を捉えている。
逃げなきゃ。食べられる。
そう思って足がすくんだ、その時だった。
「ピッ、ピィィッ!」
僕の肩にいたシエルが飛び立ち、僕と巨大なウルフの間の地面に降り立った。
「ピィ!」
僕の家族をいじめるなとばかりに、その丸くて小さな胸を精一杯そらして、一生懸命に威嚇し始めたのだ。
「シエル!? だめだよ、逃げて!」
僕がシエルを抱き上げようと手を伸ばした瞬間、純白のウルフがゆっくりと頭を下げた。
――食べられる!
そう思って目を瞑ったけれど、いつまで経っても鋭い牙は降ってこなかった。
「...え?」
恐る恐る目を開けると、ウルフは僕の目の前で伏せの姿勢をとり、その大きな口からコロンと「何か」を転がした。
それは、淡い光を放つ、綺麗な赤い果実だった。
甘くて、お腹がぐうと鳴ってしまいそうなほど良い匂いがする。
「...これ、僕にくれるの?」
僕が尋ねると、ウルフは小さくウォフと鳴き、鼻先で果実を僕の方へと押しやってきた。
どう見ても敵意はない。お腹を空かせている僕たちを見かねて、ご飯を分けてくれたみたいだった。
「ありがとう」
僕は果実を両手で拾い上げると、震えの治まった手をそっと伸ばし――ウルフの大きな鼻先を、恐る恐る撫でてみた。
「...っ」
ウルフは怒るどころか、くすぐったそうに目を細め、自分から僕の手のひらにすりすりと頬を擦り付けてきた。
ふかふかで、温かくて、とても心地いい。
「ふふっ、なんだ。君も大きいだけで、とっても優しい子なんだね」
僕はウルフの首筋や背中をたくさん撫でてあげた。撫でるたびに、ウルフは嬉しそうに尻尾をパタパタと揺らす。
その様子を見て、背中に隠れていた小動物たちやシエルも、ホッとしたように近寄ってきた。
「君は、この森に住んでるの?」
僕が問いかけると、ウルフは立ち上がり、ブルルと毛並みを揺らした。
「ねえ、僕たち誰も邪魔しない場所を探してるんだ。君も...一緒に来るかい?」
その言葉を聞いた瞬間、ウルフの耳がピクッと動いた。
ウルフは僕の顔をじっと見つめると、やがてクルリと背を向けた。そして、数歩歩いては立ち止まり、背後を振り返って僕を見る。
「...『ついてこい』って、言ってるの?」
「ウォフ!」
肯定するようにウルフは短く吠え、森のさらに奥へと歩き出した。
僕とシエル、それに小動物たちは顔を見合わせ、その頼もしい白い背中を追いかけることにした。
鬱蒼とした『魔の森』を、ウルフの案内に従って進む。
恐ろしい魔物が出るはずの場所なのに、ウルフが歩く道には一切の危険がなかった。
やがて、視界を遮っていた巨大な木々が、ふっと途切れた。
ウルフが立ち止まり、前を向く。
「ここは...」
ついていった先で僕の目に飛び込んできたのは――。




