第二十六章
翌朝。
霧は、少しだけ薄かった。
町の通りには、早い時間から人の気配があった。
荷を運ぶ者。
店の戸を開ける者。
誰かを探すように歩く者。
朔は、木箱を抱えて細い路地を曲がる。
「悪いな、朝から」
声をかけてきたのは、道具屋の主人だった。
店の前には、分解されたランプが並んでいる。
「いえ、大丈夫です」
朔は箱を下ろす。
中には、乾いた布と、修理に使う細かな部品が詰められていた。
主人は頷きながら受け取る。
「最近、よく頼んじまってるな」
「手が空いてるだけです」
朔は苦笑する。
嘘ではない。
ただ――完全に本当とも言えなかった。
町に来たばかりの頃は、頼まれごとに戸惑っていた。
何をすればいいのか分からなかった。
今は違う。
何を求められているのか。
少しずつ、分かるようになってきた。
診療所の女性が朔に近づき、話かける。
「午後は診療所の手伝い頼めるかしら?」
「分かりました」
即答だった。
主人は少し驚いた顔をする。
「……無理すんなよ」
「大丈夫です」
朔はそう言って、店を後にする。
通りを歩きながら、小さく息を吐く。
疲れていないわけじゃない。
それでも、足は自然と前に出る。
誰かの役に立てている実感があった。
ここで生きている、という感覚があった。
それが、少しだけ嬉しかった。
角を曲がった先で、子どもが転びかける。
朔は咄嗟に手を伸ばし、肩を支える。
「大丈夫?」
子どもは頷き、照れたように走り去る。
その背中を見送りながら、朔はぼんやり思う。
――もし、あの人が見たら。
きっと、安心するだろうな。
そこまで考えて、朔は小さく首を振る。
「……何考えてんだ」
苦笑して、歩き出す。
理由なんて、考えていない。
ただ、出来ることをやっているだけだ。
そう思っていた。
昼過ぎ。
診療所の中は、薬草の匂いで満ちていた。
棚に並ぶ瓶を拭きながら、朔は次の指示を待つ。
「その包帯、こっちに」
「はい」
呼ばれれば動く。
足りない物があれば補充する。
怪我人が来れば、椅子を引く。
最初はぎこちなかった手つきも、少しずつ慣れてきていた。
「助かるわ、本当に」
診療所の女性がそう言って笑う。
朔は頭を掻く。
「慣れてきただけです」
その言葉は、自然に出た。
仕事が終わる頃には、空はもう淡く暮れ始めていた。
外に出る。
霧が、夕焼けを吸い込むように揺れている。
帰り道を歩きながら、朔はふと考える。
最近――
あまり話していない気がする。
あの人と。
時間が合わないことが増えた。
すれ違うことも多い。
別に、避けているわけじゃない。
避けられているわけでもない。
ただ。
「……忙しいだけ、か」
独り言が、霧に溶ける。
不思議と、焦りはなかった。
きっとまた、普通に会える。
そんな感覚が、どこかにあった。
それでも。
胸の奥に、ほんのわずかな空白が出来ていることには――
まだ気づいていなかった。
通りの向こうで、灯りが一つずつ点き始める。
朔は足を止める。
少しだけ、振り返る。
誰かを探したわけじゃない。
ただ、無意識に。
すぐに前を向き、歩き出す。
霧が、静かに流れる。
その足取りは、確かに前へ進んでいる。
けれど――
その歩みが、誰との距離を変え始めているのかを。
朔は、まだ知らなかった。




