第十九章
昼過ぎ。
朔は修理屋の手伝いに呼ばれていた。
壊れたランタンのガラスを取り替えながら、店主の説明を聞いている。
「ここを無理に押し込むと割れるからな。焦るなよ」
店主の橋本が朔に声をかける。
「はい」
朔は慎重にガラスをはめ込む。
指先に神経を集中させる。
少し前なら、こういう作業は苦手だった。
誰かに任せて、他のことをしていたかもしれない。
だが今は違う。
自分でやる。
選ぶ。
責任を持つ。
ランタンが組み上がる。
橋本が頷いた。
「やるじゃないか。上出来だ」
「……ありがとうございます」
その瞬間。
ふっと、胸の奥が温かくなる。
誰かに見せたい、と一瞬思った。
「出来たよ」って。
その相手の輪郭は――ぼやけている。
朔は、首を傾げる。
「……変だな」
思わず呟く。
橋本が振り向く。
「どうした?」
「いえ……なんでもないです」
朔は小さく笑って、ランタンを棚に置いた。
カラン
店のドアに付けていた鈴が鳴り、お客さんが入ってきた。
「いらっしゃい。どうしました」
朔が対応に出る。
「ランタンの調子が悪くて……。」
朔は橋本を見る。
橋本は朔を見て頷く。
お前が、やってみろ。
そういう合図だ。
「ランタンを、見せてもらってもいいですか」
「はい」
朔の問いかけに、お客の女性は袋からランタンを取り出し、カウンターに置いた。
「失礼します」
そういうと、朔はランタンを慎重にバラし始める。
女性は朔の作業を、真剣に見ている。
店主も、朔の作業を注意深く観察している。
朔は、バラしたランタンから火を点ける芯を取り出し、橋本に見せる。
「橋本さん、この芯…短くないですか」
橋本は、朔の見せる芯を見て、
「ああ…、短くなってるな。それが原因かもしれん」
そういうと引き出しから、ランタンの芯の予備を取り出し、
「朔、この芯に替えてみてくれ」
「はい」
朔は渡された芯をランタンに取り付け、慎重に組み立てる。
組み立てが終わり、ランタンに火を点けると、温かく淡い光が灯った。
「ありがとうございます」
女性は朔に笑顔を向けた。
「いえ…」
「ランタンの芯は、あまり減るものじゃないんですが……、オイルが無くなると、芯が燃えて短くなるんですよ。オイルを切らさないように注意してくださいね」
店主の橋本が、お客の女性にアドバイスをする。
「そうなんですね。わかりました」
女性は頭を下げ、朔に笑顔を向けると、ランタンを袋に入れ、赤いハンドバッグを持って店を後にした。
「よくやったな、朔」
「ありがとうございます」
朔は、心地よい達成感を感じ、橋本と一緒に店内の片付けに取り掛かった。
夕方。
霧は少し濃くなり、町の輪郭を柔らかくぼかしていた。
栞は、いつもの散歩道を歩いていた。
足取りは変わらない。
生活も変わらない。
町も、何も変わっていない。
ただ。
並んで歩く影が、ひとつ足りない気がする。
理由は分からない。
足を止める。
振り返る。
白い霧が、ゆっくりと流れている。
沈黙。
しばらく立ち尽くし、栞は小さく首を振った。
「……気のせい、か」
そう言って歩き出す。
その表情は穏やかだった。
けれど、胸の奥に、説明のつかない空白が残っている。
同じ時刻。
朔は、町の高台にいた。
修理屋の手伝いで、荷物の配達を終え、少しだけ休もうと高台のベンチに腰を下ろす。
霧の海が町を覆い、静かな波のように揺れている。
その景色を見ながら、ふと呟く。
「……なんだろうな、この感じ」
懐かしいような。
寂しいような。
でも、温かいような。
理由は思い出せない。
ただ、胸の奥に、確かに何かが残っている。
朔は、ゆっくり立ち上がる。
そして、町へ戻るために歩き出す。
霧の中へ。
そのズレは、まだ小さい。
まだ、形にならない。
けれど確かに――
ふたりの心の奥で、静かに残り続けていた。




