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霧の町  作者: 相田 依人


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第十八章

 さくは、木箱を持ち上げながら肩で息をついた。


 霧の町の朝は、相変わらず輪郭が曖昧だった。


 空は白く、太陽の位置もはっきりしない。


 それでも、町は確かに動いている。


 店の戸が開く音。


 遠くで鍋をかき混ぜる金属音。


 誰かの笑い声。


水瀬みなせくん、そっちはもういいのかい?」


 振り向くと、雑貨屋の女主人が店先から声をかけていた。


 さくは頷き、木箱を棚の脇に置く。


「はい。あと二つ、倉庫から持ってきます」


「助かるよ。本当、あんたが来てから店が回るようになった」


 軽く笑われ、さくは照れたように頭をかいた。


 そんなふうに言われると、まだ慣れない。


 けれど、嫌じゃなかった。


 倉庫へ向かう途中、ふと足を止める。


 霧の向こうに、誰かの気配を感じた気がしたのだ。


 白の奥。


 人影のようなものが、揺れた気がする。


 さくは目を細める。


 だが、すぐに霧は流れ、そこには何も残らなかった。


「……気のせいか」


 そう呟いて歩き出す。


 胸の奥に、ほんの少しだけ引っかかりが残ったまま。


 一方。


 しおりは、町外れの小さな広場のベンチに座っていた。


 古い街灯の下。


 誰も使わなくなった長椅子。


 そこは、さくとよく座った場所だった。


 彼女は手袋を外し、自分の手のひらを見つめる。


 もう温もりは残っていない。


 分かっている。ずっと前に消えている。


 それでも――。


 指先を軽く握りしめる。


「……変だな」


 小さく笑う。


 理由は分からない。


 ただ、時折こうして、何かを確かめるように手を見てしまう。


 風が吹き、霧がゆるやかに流れる。


 その白の向こうに、誰かの背中があるような気がする瞬間がある。


 声をかければ、振り向いてくれるような。


 そんな錯覚。


 けれど、呼びかける名前が思い出せない。


 しおりは、ゆっくりと息を吐いた。


「……誰だったんだろ」


 呟きは、霧に吸い込まれる。


しおり!」


 後から声をかけられた瞬間、しおりの気持ちが一気に暗くなった。


紗英さえ?」


 その名前を言いたくなかった。


 紗英さえしおりと年齢が近いせいか、よく話しかけてくるが、しおり紗英さえ苦手だった。


 性格的に合わない。


 それに紗英さえは、この町の愚痴が多かった。


 元の世界から、この町に来たら不満は山程ある。


 それは仕方ないことだ。


 ネットも無いし、テレビ、電話、ラジオすら無いのだ。


 だが、みんな、その不便を受け入れ、この町で生活している。


 だが紗英さえは、この町に馴染もうとせず、元の世界と比べて愚痴を垂らす。


 それに、他人が持っているもの、他人が欲しがっているものを、自分のものにしたくなるという癖があった。


 しおり紗英さえの、そんな癖が嫌だった。


 「今日は仕事は無いの?」


 紗英さえしおりの横に腰を掛けながら聞いてくる。


「うん…今日は…お休みなんだ…。紗英さえは?」


「あたしはねぇ…求職中。」


 また仕事を辞めたの?


 そう思ったが、口にはしない。


「そうなの?早く探さないと、生活が苦しくなるよ」


「出来ることはしてるよ。倉庫の荷物の整理とか、お年寄りの部屋の掃除なんかをね。」


「よかった。なら、大丈夫だね」


 紗英さえしおりに、顔を近づけ聞いてくる。

 

 嫌な汗がしおりの背中を流れる。


「ねぇ、しおり。最近、若い男といつも一緒だよね。誰なの、あの若い男」


 しおりの心臓が強く跳ねる。


「若い男……。どの人のことかな……」

 

 しおりは、しらを切る。


「何言ってんのよ、一人しかいないくせに。」


 何故だか分からないが、紗英さえさくのことは話したくなかった。


「確か……、さくくんだったっけ」


 知られている。


 さくのことを。


「ああ…、さくくんのことね……」

 

「ねぇ、どういう関係なの?彼氏?」


 しおりは動揺した。


 違う。


 そんな関係じゃ…ない…。


「……ただの……、……友達……よ……」


 自分の言葉に、何故か嘘のにおいを感じる。


「友達?あれだけ毎日一緒にいて、友達はないでしょ」


さくくんは、ここに来て日が浅いから……、まだこの町を理解してないから……教えているだけよ……」


 嘘は言ってない。


 しおりの言葉は、全て事実……の筈だ。


 しかし、今の言葉にしおり自身が一番違和感を感じていた。


さくくんてさ…、初めて見た時は、しおりの後を歩きながら、頷いているだけに見えたけど…」


 紗英さえしおりの目を覗き込むように見ながら、


「最近は変わったよね。なんか、自分の足で立っているというか……、流されないで、歩んでいってるように見えてきたんだ。」


 静かに言った。


 しおりは黙って、膝の上で握られた自分のこぶしを見ていた。


「もしさぁ、あんたがさくくんと……」


 紗英さえの言葉を断ち切るようにしおりは立ち上がり、


「ゴメン……。用を思い出したから、帰るね」


 そう言うと、しおりは走って紗英さえの元を離れた。


「ちょっとお!……しおり!」


 紗英さえは栞に声をかけるが、しおりは止まらず霧の中に溶けていった。


 しおりは走りながら、


 ……違う

 

 友達じゃない


 でも……


 ベンチに一人取り残された紗英さえの顔に笑みが浮かぶ。


「そう……。二人がまだ、そういう関係なら……、私がさくくんをもらっても、文句は言わないわよね……」


 紗英さえは、赤いハンドバッグを持つと立ち上がり、しおりが走り去った方向と反対の方向に歩き出した。

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