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霧の町  作者: 相田 依人


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第十七章

 数日後。


 霧が、朝から重かった。


 町の中心にある灯りの柱が、不規則に揺れている。


 普段は一定の明るさを保つはずの光が、脈を打つように明滅していた。


「このままだと、灯りが落ちるかもしれない」


 広場に集まった住人の声は、どこか落ち着かなかった。


 灯りは、この町にとってただの明かりではない。


 霧の流れを緩め、道の輪郭を保つ役目を持っている。


 もし消えれば、町の一部が霧に呑まれる可能性があった。


「支柱の下を確認する必要がある」


 誰かが言う。


「でも、あそこは霧が濃い。足場も崩れやすい」


 沈黙が落ちる。


 その中で。


 さくが、静かに口を開いた。


「俺が……行ってみます」


 数人が顔を上げる。


「危ないぞ」


「分かってます」


 さくは頷いた。


「でも …放っておく方が、もっと危ないんですよね」


 言い終えたあと、自分の言葉に少しだけ驚いたように、息を吐く。


 しおりは、その横顔を見つめていた。


「私も行く」


 しおりが言う。


 さくが振り返る。


「……無理しなくていい」


「無理してない」


 しおりは少しだけ眉を上げる。


「一人で行かせる方が不安なの」


 その言葉に、さくは小さく笑った。


「分かった」


 灯りの柱は、町の外縁に近い場所に立っていた。


 近づくほど、霧が濃くなる。


 地面は湿り、踏むたびに靴が沈んだ。


光は、真下で揺れている。


 柱の根元に、亀裂が走っていた。


「……思ったより深いな」


 さくがしゃがみ込む。


 しおりも隣に膝をついた。


「土が流れてる」


「たぶん、下に空洞が出来てる」


 さくは周囲を見渡す。


「支えを入れないと、柱ごと傾く」


「木材、持ってくる?」


 しおりが聞く。


 さくは少し考え、首を振る。


「それだと、間に合わないかもしれない」


 霧が、足元で渦を巻いている。


 揺れが、さっきより大きくなっていた。


 さくは立ち上がる。


「ここを掘ろう」


「掘る?」


「下の空洞を埋める。石か……重い土があれば」


 しおりは周囲を見回す。


「少し離れた場所に崩れた壁があったはず」


 しおりの言葉に


「そうだ…あの瓦礫なら…」


 さくはすぐに頷いた。


しおり、そこから運べる?」


「運ぶ」


 答えは迷わなかった。


 瓦礫を取りに行く途中、しおりは名前を呼び捨てにされたことを考えていたが、それは不快ではなく、小さな喜びを与えてくれていることに気付く。


 作業は、思った以上に過酷だった。


 崩れた壁の石は重く、足場は滑る。


 しおりは何度もよろめきながら、それでも石を抱えて戻る。


 さくは、黙々と地面を掘っていた。


 手袋はすでに泥で濡れ、指先が赤くなっている。


さく……」


 石を置きながら、しおりが声をかける。


「休んだ方が――」


「あと少し」


 さくは顔を上げずに言った。


 その声は、焦っているわけではない。


 ただ、止まらないだけだった。


 やがて、空洞に石が詰められていく。


 柱の揺れが、わずかに収まる。


「……もう少しだ」


 さくが呟く。


 しおりは、最後の石を運びながら、さくの背中を見る。


 肩が上下している。


 息が荒い。


 それでも。


 さくは振り返らない。


 以前なら、きっと聞いたはずだった。


――大丈夫?


――無理してない?


 その言葉が、胸の奥に浮かんで。


 しおりは、それを飲み込む。


しおり


 突然、さくが呼ぶ。


「この石、ここに」


 差し出された場所は、空洞の中心だった。


「……ここ?」


「うん。そこが一番沈んでる」


 しおりは頷き、石を滑り込ませる。


 その瞬間。


 柱の揺れが、止まった。


 光が、静かに安定する。


 霧の流れが、わずかに緩む。


 二人は、同時に息を吐いた。


「……助かった」


 さくが座り込む。


 泥にまみれた手を見つめ、苦く笑う。


「俺一人じゃ、無理だった」


 しおりは首を振る。


さくが決めたから出来た」


 しおりは顔を上げる。


 少しだけ驚いたように。


 それから。


 照れたように視線を逸らした。


 帰り道。


 霧は、来たときより薄かった。


 灯りが、まっすぐに続いている。


「さっき……ゴメン……呼び捨てにしてた……」


 さくは申し訳なさそうに、うつむきながら謝る。


「気にしないで。呼び捨てでいいよ」


 しおりの言葉は、少し嬉しそうだった。


「作業中さ……」


 さくが言う。


「どうすればいいか、考える前に体が動いてた」


「うん」


「前は……誰かに任せてた気がする」


 さくは歩きながら続ける。


「でも、今日の作業は……俺がやらないと、って思った」


 しおりは、その横顔を見る。


 頼もしさと。


 少しだけ遠さを帯びた表情。


「かっこよかったよ」


 自然に出た言葉だった。


 さくは、困ったように笑う。


「そういうの、慣れないよ」


 しばらく沈黙が続く。


 足音だけが重なる。


 しおりは、ふと手を伸ばしかける。


 さくの袖に触れそうになって――


 やめる。


 代わりに、拳を握る。


「また、頼まれるかもな」


 さくが言う。


「町のこと」


「うん」


「……嫌じゃないんだ」


 その言葉は、静かだった。


 しおりは頷く。


さくに向いてると思う」


 本心だった。


 嘘は、ひとつもない。


 それなのに。


 胸の奥に、小さな空白が広がる。


 もし。


 さくが、この町に必要な人になっていったら。


 もし。


 さくが、誰かを守る側に立ち続けたら。


 自分は。


 どこに立てばいいのか。


 霧の灯りが揺れる。


 二人の影が、少しだけズレて伸びる。


 そのズレに、まだ――

 

 どちらも気づいていなかった。

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