表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
霧の町  作者: 相田 依人


この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

17/19

第十六章

 数日後。


 町の外れにある家から、助けを求める声が届いた。


 灯りを支える柱が傾いて、屋根の一部が崩れているらしい。


 霧の町では珍しいことではないが、放っておけば建物ごと倒れる可能性があった。


さく、来てくれないか」


 広場で声をかけられた時、さくは少しだけ驚いた。


 街灯の修理を手伝った中年の男性、名前は…和久津わくつ…だったか。


「俺で役に立つなら」


 そう答えた声は、思ったより自然だった。


 家は、町の境に近い場所にあった。


 霧がやや濃く、輪郭がぼやけている。


 木造の平屋で、軒先の柱が斜めに沈み込んでいた。


「支えを入れ直さないと危ないな」


 年配の男が言う。


「重しを運んで、柱を立て直す。さく、手伝えるか」


 和久津わくつさくに問いかける。


「やってみます」


 さくは即答した。


 少し離れた場所で、しおりがその様子を見ている。


しおりさんも、手を貸してもらえると助かるんだけど…」


 別の女性が声をかけた。


「はい」


 しおりは頷く。


 ただ、その瞬間。


 さくの視線はすでに柱へ向いていた。


 作業は思ったより重労働だった。


 湿った木材は重く、足場も不安定だ。

 

 さくは何度も手を滑らせながら、それでも踏みとどまる。


「もう少し右!」


「ここで止めろ!」


 指示が飛ぶ。


 さくは歯を食いしばりながら柱を支える。


しおり、重しこっち!」


 誰かが叫ぶ。


「はい!」


 しおりは袋を抱え、駆け寄る。


 けれど、その動きは、作業の中心ではなかった。


 荷を運び、道具を渡し、散った木片を片付ける。


 必要な仕事だ。


 誰かがやらなければならない。


それでも。


 さくの背中が、少し遠く感じられた。


 柱が持ち上がった瞬間、周囲から小さな歓声が上がる。


「よし、そのまま固定!」


 さくの腕が震えている。


 汗が顎から落ちる。


「大丈夫か」


「……なんとか」


 息を整えながら、さくは笑った。


 その顔は、疲れているのに――どこか誇らしげだった。


 しおりは、その表情を見て。


 胸の奥が、静かに締まるのを感じた。


 作業が終わった頃には、灯りが淡く揺れていた。


「助かったよ」


 家の主が深く頭を下げる。


さくがいなかったら、危なかった」


 和久津わくつさくの肩を叩きながら笑顔を浮かべる。


「いや……俺だけじゃ」


 さくは、慌てて首を振る。


「みんなでやったことです」


「それでもだ」


 年配の男が笑う。


「お前、ちゃんと踏ん張ったな」


 さくは、少しだけ言葉を失う。


 それから。


 照れたように笑った。


「……ありがとうございます」


 そのやり取りを、しおりは少し離れた場所で見ていた。


 誰も、しおりを無視しているわけじゃない。


 感謝の言葉も向けられる。


しおりさんも助かったよ」


「いえ……」


 しおりは笑顔を返す。


けれど。


 その笑顔は、自分でも分かるほど――軽かった。


 帰り道。


 霧は薄く、灯りが遠くまで見えていた。


「今日は、助かった」


 さくが言う。


しおりが運んでくれたから、作業が回った」


「そんなことないよ」


 しおりは首を振る。


さくが頑張ってた」


 さくは、少し黙る。


「……なんかさ」


「うん?」


「前より、怖くなくなった気がする」


 さくは霧の向こうを見ながら言った。


「誰かに頼られるの」


 しおりは、その横顔を見つめる。


「良かったね」


「うん」


 さくは頷く。


「まだ慣れないけど」


 その言葉は、真っ直ぐだった。


 しばらく歩く。


 足音だけが続く。


 しおりは、言葉を探す。


――私も。


 そう言いかけて。


 やめる。


 何を、続けるつもりだったのか。


 自分でも分からなかった。


さく


「ん?」


「……疲れてない?」


「ちょっとな」


 さくは笑う。


「でも、嫌じゃない」


「そっか」


 それ以上、言葉は続かなかった。


 広場に戻ると、何人かがさくを呼び止めた。


さく、ちょっと手伝ってくれるか」


「灯りの配線を見てほしいんだ」


 さくは一瞬だけしおりを見る。


 ほんの一瞬だった。


「……大丈夫か?」


「うん」


 しおりは頷く。


「行ってきて」


 朔は、小さく「悪い」と言って、声の方へ歩いていく。


 霧の灯りの中で、その背中はすぐに人影に溶けた。


 「悪いね、しおりちゃん。邪魔しちゃって」


 作業をしている男性から、そんな言葉が飛ぶ。

 

 しおりは、その場に立ったまま、笑顔を作った。


 しばらく動かなかった。


 胸の奥に、静かな波が広がる。


 さくは変わっている。


 ちゃんと、前に進んでいる。


 それは――嬉しい。


 本当に、嬉しい。


 それなのに。


 もし。


 朔が、この町で必要とされる存在になったら。


 もし。


 さくが、自分がいなくても歩けるようになったら。


 しおりは、指先をぎゅっと握る。


 霧が、足元をゆっくり流れていく。


 灯りが揺れる。


 その揺れの中で。


 自分の立っている場所が、少しだけ曖昧になった気がした。


「……帰れるのかな」


 誰にも聞こえない声が、零れる。


 すぐに、しおりは首を振る。


 その言葉を、自分で打ち消すように。


 そして、さくが作業している方向を――もう一度だけ見た。




評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ