第6話 宰相の影
夜の王宮は静まり返っていた。
兄上の私室で、俺は報告を聞いていた。
「証人は三名。全員が宰相派の令嬢だ」
アルベルト兄上が、手元の紙を示した。
「一人目、マルグリット・ヴァイザー。宰相の姪だ。二人目、カロリーネ・ホルスト。財務卿の娘。三人目、ベアトリス・ケルナー。法務卿の姪」
「全員、宰相の息がかかった家の娘か」
「ああ。偶然ではない。周到に選ばれている」
俺は紙を受け取り、名前を見つめた。
三人の令嬢が、リリアーナが聖女を侮辱したと証言する。複数の証人による一致した証言は、否定するのが難しい。
「証言の内容は?」
「まだ不明だ。だが、おそらく『リリアーナ嬢が聖女を罵倒するのを聞いた』という類のものだろう」
「具体的な日時や場所を特定しているか?」
「それも調査中だ。だが、学園長との密会で段取りを詰めていたということは、かなり具体的な筋書きができているはずだ」
俺は拳を握りしめた。
卒業式まで、あと八日。時間がない。
「証人を崩せるか?」
「難しいだろうな。宰相派の令嬢たちだ。家の命令には逆らえまい」
「だが、証言に矛盾があれば……」
「ああ。そこが突破口になるかもしれん」
兄上が立ち上がり、窓辺に歩いた。
「ユリウス。まずは証人たちの様子を探れ。どの程度の覚悟で証言に臨むつもりなのか、見極める必要がある」
「わかりました」
俺も立ち上がった。
「明日、マルグリット・ヴァイザーに接触してみます」
「宰相の姪か。気をつけろ。あの娘は聖女に心酔していると聞く」
「心得ています」
俺は部屋を出た。
廊下を歩きながら、考えを巡らせる。証人を崩すか、証言の矛盾を暴くか。どちらにしても、時間が足りない。
だが、諦めるわけにはいかない。
リリアーナを守ると、約束したのだから。
翌日の午後。
俺は王宮の大広間で開かれていた茶会に顔を出した。
本来、この手の社交の場に王太子が出席することは稀だ。だが、今日は目的があった。
「殿下がいらっしゃったわ……」
「珍しいですわね……」
令嬢たちの囁きを背に、俺は広間を見渡した。
そして、見つけた。
窓際で聖女セレスティアを囲む一団。その中に、栗色の髪の令嬢がいた。
マルグリット・ヴァイザー。宰相ゲオルクの姪だ。
俺は、何気ない様子でその一団に近づいた。
「聖女殿」
声をかけると、セレスティアが振り返った。その目に、一瞬だけ警戒が走る。
「殿下。ようこそおいでくださいました」
「社交の場を覗きに来ただけだ。邪魔はしない」
俺はセレスティアではなく、その隣にいるマルグリットに視線を向けた。
「マルグリット嬢だな? 宰相殿の姪御と聞いている」
マルグリットが、驚いたように目を見開いた。
「は、はい。マルグリット・ヴァイザーでございます」
「学園での成績が優秀だと聞いた。卒業式では、優等生として表彰されるのでは?」
「いえ、私などまだまだ……」
マルグリットの頬が紅潮している。王太子に直接話しかけられて、舞い上がっているようだ。
「聖女殿のお傍にいることが多いようだが、熱心な信仰心があるのだな」
「はい! 聖女様は、私の憧れです」
マルグリットの目が、熱を帯びた。
「聖女様のためなら、何でもいたします。聖女様を傷つける者は、誰であっても許せません」
俺は、その言葉を聞き逃さなかった。
「誰であっても、か」
「はい。聖女様を侮辱するような方は、神罰を受けるべきです」
マルグリットの声には、狂信的な響きがあった。セレスティアへの崇拝が、異常なほど強い。
「そういえば」
俺は何気ない口調で言った。
「最近、リリアーナ・ベルモンド嬢が聖女殿を侮辱したという噂を聞いた」
マルグリットの表情が、一瞬だけ強張った。
「噂の出所を調べているのだが、誰が最初に言い出したのか、わからなくてな」
「さ、さあ……私は存じません……」
「そうか。では、卒業式でその件について証言する者がいるという話も、知らないか?」
マルグリットの顔が、蒼白になった。
「な、何を仰って……」
「証言の内容は、誰かに指示されたものか?」
直球で問うた。
マルグリットが言葉に詰まった。口を開閉させ、助けを求めるようにセレスティアを見る。
周囲の令嬢たちが、その様子を見ていた。困惑と好奇の入り混じった視線が、マルグリットに集まる。
「殿下」
セレスティアが、間に入った。
「マルグリットは、何も知らないと申しております。これ以上のご質問は、彼女を困らせるだけではないでしょうか」
「そうか。困らせるつもりはなかった」
俺は一歩下がった。
「だが、覚えておいてくれ。根拠のない証言は、偽証罪に問われる。王家はそのような行為を、決して見逃さない」
マルグリットの顔が、さらに青ざめた。
俺は踵を返し、広間を後にした。
背後で、令嬢たちの囁きが聞こえた。
「今のは、何だったのかしら……」
「マルグリット様、何か隠しているの……?」
「証言って、どういうこと……?」
種は撒いた。マルグリットの動揺は、周囲の目に晒された。これで少しは、彼女の証言への信頼性が揺らぐだろう。
だが、これだけでは足りない。
夕刻。
俺はリリアーナを、王宮の渡り廊下で待っていた。
彼女が学園から戻る時間に合わせて、ここで会うことにしていた。
「殿下」
リリアーナが姿を現した。今日は薄紫のドレスを着ている。夕陽に照らされて、その姿が柔らかく輝いていた。
「待たせてしまいましたか」
「いや、今来たところだ」
俺は彼女の隣に並んで歩き出した。
「学園の様子はどうだ?」
「……相変わらずです。噂は、まだ続いています」
リリアーナの声には、疲れが滲んでいた。
「だが、殿下が学園長に仰ってくださったおかげで、表立って何か言われることは減りました」
「そうか。少しは効果があったか」
「はい。……ありがとうございます」
小さな声だった。だが、そこには確かな感謝の色があった。
俺は、伝えるべきことを口にした。
「卒業式には、俺も出席する」
リリアーナが足を止めた。
「えっ……?」
「王太子として、卒業式に臨席するのは不自然ではない。君の傍に、いさせてくれ」
「ですが……殿下がいらっしゃれば、注目が……」
「注目されて困ることでもあるか?」
リリアーナが黙り込んだ。
俺は彼女の前に立った。
「君を一人にしないためだ。何が起きても、俺は君の傍にいる」
リリアーナの翡翠の瞳が、俺を見上げた。
その目に、様々な感情が渦巻いている。困惑、不安、そして──微かな安堵。
「……なぜ」
彼女が、掠れた声で呟いた。
「なぜ、そこまでしてくださるのですか」
「前にも言った。君を守りたいからだ」
「でも……」
「理由は、それだけでは足りないか?」
リリアーナが目を伏せた。
しばらくの沈黙の後、彼女が口を開いた。
「……殿下といると」
その声は、今まで聞いたことがないほど小さかった。
「少しだけ……怖くなくなります」
俺の心臓が、跳ねた。
「リリアーナ……」
「自分でも、よくわからないのです」
彼女が顔を上げた。その頬が、僅かに赤く染まっている。
「六年間、殿下を避けてきました。近づかれるのが怖かった。また傷つけられるのではないかと」
「……ああ」
「でも、最近は……」
リリアーナが言葉を切った。何かを言おうとして、飲み込んだようだった。
「最近は?」
「……いえ。何でもありません」
彼女が視線を逸らす。だが、その耳まで赤くなっているのが見えた。
俺は、それ以上追及しなかった。
今は、これでいい。彼女が少しでも俺といることに安心を感じてくれるなら、それだけで十分だ。
「卒業式の日、必ず傍にいる」
俺は静かに告げた。
「約束だ」
リリアーナが、小さく頷いた。
深夜。
俺は執務室で、影の目からの報告を受けていた。
「宰相邸の書斎に、密約書らしき文書があることを確認しました」
影の目の密偵が、低い声で報告する。
「密約書?」
「はい。宰相と複数の貴族との間で交わされた文書のようです。内容は不明ですが、厳重に保管されています」
「その文書を手に入れることは可能か?」
「困難です。書斎は常に警備されており、通常の方法では近づけません」
俺は眉を顰めた。
「だが」
密偵が続けた。
「三日後、宰相主催の夜会があります。その時なら、警備が手薄になる可能性があります」
「夜会か」
「はい。宰相は客人の応対に追われ、書斎から離れるはずです。密約書を入手できる機会は、おそらくこれが唯一かと」
俺は考え込んだ。
三日後。卒業式まで、あと五日。
「危険は?」
「高いです。失敗すれば、侵入者として捕らえられる可能性があります」
「しかし、成功すれば宰相の企みを暴く証拠が手に入る」
「はい」
俺は決断を下そうとした。その時、扉が開いた。
「話は聞いた」
アルベルト兄上が入ってきた。
「危険だが、やるしかない」
「兄上……」
「密約書がなければ、卒業式での断罪を止められない。宰相は周到だ。証人の証言だけで、リリアーナ嬢を追い詰めるだろう」
兄上が俺の傍に立った。
「俺が行く」
「兄上が?」
「お前は夜会に客として出席しろ。宰相の注意を引きつけてくれ。その間に、俺が書斎に忍び込む」
「危険すぎます」
「王太子が侵入者として捕まるわけにはいかんだろう。俺なら、万が一捕まっても言い訳が立つ」
兄上が、不敵に笑った。
「騎士団長の職務で、宰相邸の警備を視察していた、とでも言えばいい」
「兄上……」
「信じろ、ユリウス。俺は、お前の兄だ」
俺は、兄上の目を見た。
そこには、揺るぎない決意があった。
「……わかりました」
俺は頷いた。
「三日後、宰相の夜会で」
「ああ。必ず、証拠を手に入れる」
兄上が俺の肩を叩いた。
「リリアーナ嬢を守るんだ。それがお前の役目だ」
「はい」
俺は、拳を握りしめた。
三日後。全てが動き出す。




