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断罪した王太子は六年越しに彼女を守ると誓う  作者: 秋月 もみじ


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4/10

第4話 俺は関与しない、という嘘


宰相執務室は、王宮の東棟にある。


重厚な扉を開けると、窓から差し込む光の中にゲオルク・フォン・ヴァイザーが座っていた。白髪交じりの髪、鋭い灰色の目。五十八年の人生で積み上げた権力が、その背後に見えるようだった。


「お呼び立てして申し訳ありません、殿下」


ゲオルクが立ち上がり、礼をする。


「構わない。用件は?」


俺は勧められた椅子に座らず、立ったまま問うた。この男の前で寛ぐつもりはない。


「単刀直入に申し上げます」


ゲオルクの目が、俺を射抜いた。


「殿下は、聖女殿に冷たすぎるのではありませんか」


「冷たい?」


「先日の廊下での一件。聖女殿は深く傷ついておられます」


俺は表情を変えなかった。


セレスティアの涙の芝居。あれを「傷ついた」と表現するとは、よく言う。


「聖女殿の勘違いだったと、本人が認めた。それ以上、何を言えと?」


「たとえ勘違いであっても、もう少し穏便な対応があったのでは。聖女殿は民の信仰を集めるお方。あのように公衆の面前で恥をかかせては……」


「宰相殿」


俺は一歩前に出た。


「俺には婚約者がいる。婚約者以外の女性に過度に親しくすることは、王太子として不適切だ。違うか?」


ゲオルクの目が、僅かに細まった。


「それは……正論でございますが……」


「それに」


俺は言葉を続けた。


「宰相殿こそ、聖女殿との頻繁な面会は誤解を招くのでは?」


空気が、凍りついた。


「……何を仰いますか」


「聖女殿が宰相邸を訪れる頻度が増えていると聞いた。政務の相談か? それとも、別の用件か?」


ゲオルクの顔が、一瞬だけ強張った。


「聖女殿の活動について助言を求められることはあります。それだけのことです」


「そうか。ならばいい」


俺は踵を返した。


「用件はそれだけか? 俺は忙しい」


「……殿下」


背後から、ゲオルクの声が追いかけてきた。


「老婆心ながら申し上げます。聖女殿を敵に回すのは、賢明ではありませんぞ」


俺は振り返らなかった。


「忠告、感謝する」


扉を閉める直前、ゲオルクの目を見た。


そこには、明確な敵意があった。


執務室に戻ると、ヴェルナーが待っていた。


「殿下、エミリア・ストーン嬢からの報告です」


「エミリアから?」


リリアーナの侍女だ。彼女とは、半年前から密かに連絡を取り合っている。リリアーナを守るために、情報が必要だったからだ。


「学園で、リリアーナ様に関する噂が広まっているそうです」


「噂?」


「『リリアーナ様が聖女様の悪口を言っている』と。根も葉もない噂ですが、広まる速度が異常に速いと」


俺は拳を握りしめた。


宰相派の仕業だ。断罪の下準備として、リリアーナの評判を落とそうとしている。


「リリアーナは?」


「孤立し始めているそうです。以前は親しかった令嬢たちも、距離を置くようになったと」


胸が軋んだ。


六年前の記憶が蘇る。原作のユリウスは、こうしてリリアーナを追い詰めていった。周囲から孤立させ、味方のいない状況で断罪した。


同じことが、今また起きようとしている。


「学園の視察を行う」


俺は立ち上がった。


「手配しろ」


「視察、ですか?」


「ああ。王太子として、学園の様子を確認するのは当然だろう」


ヴェルナーが頷き、部屋を出ていった。


俺は窓の外を見た。


関与しない、と決めていた。リリアーナの学園生活に、直接介入するのは避けるべきだと。彼女の自立を妨げることになりかねないから。


だが、そんな悠長なことは言っていられない。


彼女が傷つくのを、黙って見ていることなどできない。


翌日。


俺は王立グランツェル学園を訪れた。


校門をくぐると、生徒たちがざわめき始める。王太子の視察は珍しいことではないが、それでも注目を集めるのは避けられない。


学園長が慌てて出迎えに来た。


「殿下、ようこそおいでくださいました! 事前にご連絡いただければ、もっと準備を……」


「抜き打ちでなければ、本当の姿は見えない」


俺は学園長を遮った。


「案内は不要だ。一人で見て回る」


「しかし……」


「何か、見られては困ることでも?」


学園長が口をつぐんだ。


俺は一人で校舎に入り、廊下を歩いた。


生徒たちが道を開け、頭を下げる。その囁き声が、耳に入ってきた。


「殿下がいらしたわ……」


「視察って、何を見にいらしたのかしら……」


「もしかして、リリアーナ様のこと……?」


リリアーナの名前を聞いて、俺は足を速めた。


彼女がよく使う場所は知っている。図書室の奥、窓際の席。そこで一人、本を読んでいることが多いと、エミリアから聞いていた。


図書室の扉を開けた。


薄暗い室内に、埃っぽい紙の匂いが漂っている。書架の間を抜け、奥へと進んだ。


そして、見つけた。


窓際の席に、リリアーナが座っていた。


陽光が彼女の金髪を照らし、翡翠の瞳が本に落とされている。周囲には誰もいない。一人きりだ。


「リリアーナ」


声をかけると、彼女が顔を上げた。


「殿、下……?」


驚きに目を見開いている。


「なぜ、ここに……」


「視察だ。学園の様子を見に来た」


俺は彼女の向かいの椅子を引いた。


「座っても?」


「あ……はい……」


リリアーナが慌てて姿勢を正す。その手元の本が、ちらりと見えた。


料理の本だった。


胸を、何かが締めつけた。


「……その本」


「え?」


「料理の本か」


リリアーナが、本を胸に抱え込んだ。まるで、見られたくないものを隠すように。


「た、ただの暇つぶしです。深い意味はありません」


「そうか」


俺は窓の外を見た。


中庭では、生徒たちが楽しそうに談笑している。だが、この図書室の奥には誰も来ない。リリアーナは、ここで一人で過ごしているのだ。


「昔」


気づけば、言葉が口をついて出ていた。


「君が作ってくれた料理のことを、覚えている」


リリアーナの動きが、止まった。


「十四歳の時だった。俺の誕生日に、君が厨房で作った菓子を持ってきてくれた」


沈黙が落ちた。


あの日のことは、鮮明に覚えている。リリアーナが緊張した面持ちで差し出した、小さな包み。中には、手作りの焼き菓子が入っていた。


そして俺は──原作のユリウスは、それを受け取りもせずに突き返した。


「毒見もしていないものを食べられるか」


そう言って。


「……覚えて、いらしたのですか」


リリアーナの声が、掠れていた。


「ああ」


俺は彼女を見た。


「あの時、俺は君を傷つけた。取り返しのつかないことをした」


「殿下……」


「言い訳はしない。ただ、覚えている。忘れたことはない」


リリアーナの翡翠の瞳が、揺れていた。


「なぜ」


彼女が、小さく呟いた。


「なぜ殿下は、私を庇うのですか」


「……何?」


「先日の廊下でも、今日も。殿下が私を庇っても、得などないでしょう。聖女様を支持する貴族は多い。私の味方をすれば、殿下の立場が悪くなるだけです」


俺は、彼女の目をまっすぐに見た。


「得など求めていない」


「では、なぜ……」


「君を守りたいからだ。それ以外に理由はない」


リリアーナが、息を呑んだ。


「六年前から、俺は何度も同じことを言ってきた。信じてもらえないのはわかっている。だが、俺の気持ちは変わらない」


窓から差し込む光が、彼女の横顔を照らしていた。


「君が俺を信じる日が来なくても、俺は君の味方であり続ける。それだけは、約束する」


沈黙が流れた。


図書室の静寂の中で、遠くから生徒たちの笑い声が聞こえてくる。


リリアーナは何も言わなかった。ただ、膝の上で拳を握りしめていた。


「失礼します」


リリアーナが立ち上がった。


「授業の時間ですので」


「ああ……」


俺も立ち上がろうとした。その時。


「……殿下は」


リリアーナが、背を向けたまま呟いた。


「変わったのですね」


俺は息を止めた。


「リリアーナ……」


振り返ろうとした時には、彼女の姿は書架の影に消えていた。


小さな足音が遠ざかり、図書室の扉が開閉する音が聞こえた。


俺は、その場に立ち尽くしていた。


変わった、と彼女は言った。


それは、俺を認めてくれたということなのか。それとも、ただ事実を述べただけなのか。


わからない。だが、彼女が俺の変化を口にしたのは、六年間で初めてだった。


胸の奥で、小さな灯が点った気がした。


学園を出る前に、俺は学園長室を訪れた。


「殿下、視察はいかがでしたか」


学園長が愛想笑いを浮かべる。


「一つ、伝えておくことがある」


俺は学園長の目を見た。


「根拠のない噂で、生徒の名誉を傷つけることがないようにしてもらいたい」


学園長の顔が、僅かに引きつった。


「は、はあ……何か、問題でも……」


「特定の生徒に関する中傷が広まっていると聞いた。学園として、そのような行為を放置するのは問題だ」


「も、もちろんでございます。すぐに調査を……」


「頼んだ」


俺は踵を返した。


「王家は、学園の教育を信頼している。その信頼を裏切らないでもらいたい」


扉を閉める直前、学園長が青ざめた顔で頷くのが見えた。


これで少しは、噂の広がりを抑えられるだろう。根本的な解決にはならないが、時間は稼げる。


卒業式まで、あと二週間と少し。


その間に、宰相の企みを暴かなければならない。


王宮に戻ると、ヴェルナーが駆け寄ってきた。


「殿下、アルベルト殿下から伝言です」


「兄上から?」


「『影の目が、新しい動きを掴んだ。今夜、来い』とのことです」


俺は頷いた。


宰相は動いている。こちらも、手を打たなければならない。


だが、頭の片隅には、リリアーナの言葉が残っていた。


『殿下は、変わったのですね』


その言葉を、俺は何度も反芻していた。

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