表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
断罪した王太子は六年越しに彼女を守ると誓う  作者: 秋月 もみじ


この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

10/10

第10話 六年分の答え


朝の光が、王宮の廊下を照らしていた。


俺は厨房の前で、壁に背を預けて待っていた。


扉の向こうから、微かに物音が聞こえる。鍋が触れ合う音。何かを混ぜる音。そして、時折聞こえる小さな鼻歌。


リリアーナが、料理を作っている。


俺のために。


六年前のことを、思い出していた。


記憶が覚醒したあの朝。俺は十五年分の自分の行いを、全て思い出した。


婚約者であるリリアーナを冷遇し続けた日々。彼女の想いを踏みにじり、存在すら無視してきた日々。


そして、十四歳の誕生日。


彼女が緊張した面持ちで差し出した、小さな包み。中には手作りの焼き菓子が入っていた。


婚約者として、少しでも距離を縮めたいという彼女の想い。それを俺は──原作のユリウスは、見向きもせずに突き返した。


「毒見もしていないものを食べられるか」


あの言葉が、彼女をどれほど傷つけたか。


記憶が戻った瞬間、俺は理解した。そして、取り返しのつかないことをしたと悟った。


それから六年。


俺は変わろうとした。彼女に償おうとした。


だが、彼女は俺を信じなかった。当然だ。十五年間傷つけ続けた相手が、突然優しくなったところで、信じろという方が無理がある。


俺にできることは、待つことだけだった。


彼女が俺を見てくれる日を。俺の言葉を受け入れてくれる日を。


何年かかっても、何十年かかっても。


そう覚悟していた。


「お待たせいたしました」


扉が開き、リリアーナが姿を現した。


エプロン姿。髪は後ろで一つに結ばれ、頬には僅かに小麦粉がついている。


その手には、小さな皿が載せられていた。


「これは……」


「焼き菓子です」


リリアーナが、微笑んだ。


「八年前と、同じものを作りました」


皿の上には、小さな焼き菓子が並んでいた。形は少し不揃いで、焼き色にもムラがある。だが、丁寧に作られているのが一目でわかった。


「あの時は、受け取っていただけませんでしたから」


彼女の声が、僅かに震えていた。


「今度こそ、召し上がっていただけますか」


俺は、皿を受け取った。


手が震えそうになるのを、必死で抑えた。


焼き菓子を一つ、手に取った。


小さな、素朴な菓子。王宮の菓子職人が作るものとは比べ物にならない。


だが、これは彼女が作ったものだ。


俺のために、彼女が作ってくれたものだ。


口に運んだ。


サクリと崩れる生地。ほんのりとした甘さ。バターの香り。素朴だが、どこか懐かしい味がした。


「……美味い」


言葉が、自然と口をついて出た。


「本当に?」


「ああ。美味い」


俺は、もう一口食べた。


「こんなに美味いものを、俺は突き返したのか」


「殿下……」


「馬鹿だな、昔の俺は」


リリアーナの目に、涙が浮かんでいた。


「八年間、ずっと……」


「ああ」


「あの時、受け取ってもらえなくて……私、もう二度と作らないと決めたのです」


涙が、彼女の頬を伝った。


「でも、殿下が……ユリウス様が、待っていると言ってくださったから」


「リリアーナ」


「もう一度、作ってみようと思えたのです」


俺は、皿をテーブルに置いた。


そして、彼女を抱きしめた。


「ありがとう」


「私こそ……」


「美味かった。本当に、美味かった」


リリアーナが、俺の胸に顔を埋めた。


小さな嗚咽が漏れる。だが、それは悲しみの涙ではなかった。


「これからも、作ってくれるか」


「はい」


「毎日でも」


リリアーナが、顔を上げた。


涙で濡れた顔で、それでも笑っていた。


「毎日は、大変ですよ」


「構わない。君の料理なら、毎日でも食べたい」


「……では、努力いたします」


俺たちは、互いに微笑んだ。


八年越しの約束が、ようやく果たされた瞬間だった。


その日の午後。


俺は父王に呼び出された。


謁見の間には、母后も同席していた。二人の表情は穏やかだったが、どこか改まった雰囲気があった。


「ユリウス」


父王が、玉座から俺を見下ろした。


「宰相の件、見事だった」


「ありがとうございます」


「アルベルトからも報告を受けた。お前が六年間、リリアーナ嬢を守り続けてきたことも」


俺は、黙って頷いた。


「正直に言おう。私は、お前の婚約について考え直すべきかと思ったこともあった」


「……父上」


「リリアーナ嬢との関係が、あまりにも冷え切っていたからだ。婚約を解消し、別の相手を探した方がよいのではないかと」


母后が、小さく頷いた。


「私も同じ考えでした。あなたたちが不幸になるくらいなら、別の道を探した方がいいと」


「だが」


父王が続けた。


「お前は変わった。六年前から、明らかに変わった。リリアーナ嬢への態度も、政務への姿勢も」


「……はい」


「そして今回の件で、私は確信した」


父王が立ち上がった。


「お前は、リリアーナ嬢を心から愛している。そしてリリアーナ嬢も、お前を受け入れた」


俺は、深く頭を下げた。


「リリアーナ・ベルモンドは、この国の未来の王妃にふさわしい」


父王の声が、謁見の間に響いた。


「婚約の継続を、正式に承認する。そして、半年後に婚礼を執り行うこととする」


俺は顔を上げた。


父王が、珍しく微笑んでいた。


「幸せにしろ、ユリウス」


「……はい。必ず」


母后が、そっと涙を拭っていた。


その知らせは、すぐに王国中に広まった。


王太子ユリウスと、ベルモンド公爵令嬢リリアーナの婚礼。半年後に挙行。


宰相の陰謀が暴かれた直後だけに、民衆の関心は高かった。そして、その反応は概ね好意的だった。


「王太子殿下が、婚約者様を守られたそうよ」


「宰相の企みを暴いて、リリアーナ様の無実を証明なさったんですって」


「素敵……本当の愛ね」


街では、そんな噂が飛び交っていた。


かつてリリアーナを「冷遇されている哀れな婚約者」と囁いていた者たちが、今では「運命の恋人」と称えている。


人の噂など、そんなものだ。


だが、俺は気にしなかった。


リリアーナが傍にいる。それだけで、十分だった。


半年後。


王都グランツェルの大聖堂は、人で溢れていた。


王族、貴族、そして民衆の代表たち。この国の全ての階層から、祝福の声が集まっていた。


俺は、祭壇の前に立っていた。


白い礼装に、王家の紋章が刻まれたマント。胸には、母から受け継いだ紫水晶の勲章が輝いている。


大聖堂の扉が開いた。


光が差し込み、一人の女性のシルエットが浮かび上がる。


リリアーナだった。


純白のウェディングドレス。長いベールが、彼女の後ろに流れている。その手には、白いカモミールの花束が握られていた。


彼女が、一歩一歩、俺の元へ歩いてくる。


その姿は、まるで女神のようだった。


「リリアーナ・エルトリア・ベルモンド」


大司教が、厳かな声で問うた。


「汝は、ユリウス・レオンハルト・ヴァイゼンを夫として迎え、生涯を共にすることを誓うか」


「誓います」


リリアーナの声は、澄んでいた。


「ユリウス・レオンハルト・ヴァイゼン」


大司教が、俺に向き直った。


「汝は、リリアーナ・エルトリア・ベルモンドを妻として迎え、生涯を共にすることを誓うか」


「誓う」


俺の声が、大聖堂に響いた。


「ここに、二人の婚姻を宣言する。女神ルミナの祝福が、永遠に二人の上にあらんことを」


大聖堂に、歓声が沸き起こった。


俺は、リリアーナの手を取った。


そして、そっとベールを上げた。


彼女の顔が現れる。翡翠の瞳に、涙が光っていた。だが、その口元には微笑みが浮かんでいた。


「綺麗だ」


「ありがとうございます」


「これからは、毎日君の料理を食べられるな」


リリアーナが、小さく笑った。


「毎日は大変ですよ」


「構わない。君の料理なら、毎日でも食べたい」


「……では、努力いたします。旦那様」


俺は、彼女の唇に口づけた。


大聖堂に、再び歓声が響いた。


婚礼の宴は、夜まで続いた。


貴族たちが次々と祝辞を述べ、民衆からも祝福の声が届いた。


アルベルト兄上は、酔った勢いで俺の肩を何度も叩いた。


「よくやった、ユリウス! お前の嫁さんは最高だ!」


「兄上、声が大きいです」


「いいじゃないか! 今日くらいは騒いでも!」


エミリアは、リリアーナの傍で涙を流していた。


「リリアーナ様……本当に、おめでとうございます……」


「ありがとう、エミリア。あなたがいなければ、今日はなかったわ」


父王と母后も、珍しく笑顔を見せていた。


「よい式だった」


「リリアーナ様は、本当に美しかったわ」


全てが、祝福に満ちていた。


宴が終わり、俺たちは新居となる離宮へ向かった。


馬車の中で、リリアーナは俺の肩に頭を預けていた。


「疲れたか?」


「少し。でも、幸せです」


「俺もだ」


窓の外を、星空が流れていく。


「ユリウス様」


「何だ?」


「六年間、待っていてくださって、ありがとうございます」


俺は、彼女の髪をそっと撫でた。


「俺こそ。俺を信じてくれて、ありがとう」


「最初は、信じられませんでした」


「わかっている」


「でも、今は違います」


リリアーナが、顔を上げた。


「私は、あなたを信じています。これからも、ずっと」


「ああ。俺も、君を愛している。これからも、ずっと」


馬車が、離宮の門をくぐった。


新しい生活が、始まろうとしていた。


離宮の寝室で、リリアーナが俺の手を取った。


「ユリウス様」


「何だ?」


「実は、もう一つお伝えしたいことがあるのです」


俺は、彼女を見た。


リリアーナの頬が、僅かに赤く染まっていた。


「何だ? 言ってみろ」


彼女が、そっとお腹に手を当てた。


「まだ確かではないのですが……」


俺の心臓が、大きく跳ねた。


「リリアーナ、まさか……」


「はい」


彼女が、微笑んだ。


「お医者様に診ていただいたところ、おそらく……と」


俺は、言葉を失った。


そして、彼女を抱きしめた。


「リリアーナ……」


「驚かせてしまいましたか?」


「ああ。でも、嬉しい。本当に、嬉しい」


彼女の温もりが、俺の胸に染み渡る。


六年間、待ち続けた。彼女が俺を見てくれる日を。俺の想いを受け入れてくれる日を。


そして今、俺たちは新しい命を授かろうとしている。


「ありがとう」


俺は、彼女の耳元で囁いた。


「俺を、幸せにしてくれて」


「私こそ」


リリアーナが、俺の胸に顔を埋めた。


「私を、幸せにしてくれて」


窓の外で、星が輝いていた。


新しい夜明けが、すぐそこまで来ていた。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ