第4話:天使の悲鳴、ガラスの箱庭
1
第3階層は、それまでの無機質な空間とは異なっていた。
そこは、熱帯雨林のような植物園だった。
人工太陽が照りつけ、極彩色の鳥が飛び交う。湿度が高く、まとわりつくような空気が肌に重い。
「なんだこりゃ。ピラミッドの中にジャングルかよ」
土門が上着を脱ぎながら呆れた声を出す。
ここ『楽園区画』は、龍の環境制御技術のショーケースらしい。
だが、僕にはそこが、巨大な実験用のフラスコに見えた。
植物も、鳥も、どこか作り物めいている。色が鮮やかすぎるのだ。命の揺らぎがない。
「休憩時間だ。次の試験まで自由行動とする」
アナウンスが流れ、他の合格者たちはカフェスペースへと散っていった。
彼らはもう、僕たちを軽蔑の目では見ない。代わりに「関わってはいけない猛獣」を見るような目で遠巻きにしている。
「俺は少し寝る。起こすなよ」
土門は木陰のベンチに寝転がり、すぐにいびきをかき始めた。
豪胆というより、この異常な環境に適応しすぎている。彼もまた、どこか壊れているのかもしれない。
僕は一人、ガラス張りの展望デッキへと歩いた。
ここからは、第2階層の実験場が見下ろせるはずだ。
しかし、ガラスの向こうに広がっていたのは、虚無だった。
真っ暗な闇。
その奥で、無数の赤い光が明滅している。
「……データサーバー?」
この塔の動力源。それは電気ではないのかもしれない。
あの赤い光の一つ一つが、下層で暮らす人々の「思考」や「感情」のデータだとしたら?
ズキリ、とこめかみが痛んだ。
耳鳴りがする。
高い、高い、鈴のような音。
『……つ、……りつ』
声が聞こえた。
空耳じゃない。脳に直接響くような、懐かしくて、そして悲痛な声。
2
視界が歪む。
ジャングルの緑が消え、真っ白な部屋の映像が脳内にフラッシュバックする。
そこには、無数のチューブに繋がれた少女がいた。
銀色の髪。透き通るような肌。
神凪知世。
彼女は、まるで磔にされた聖女のように、空中に浮いていた。
『熱い……重いよ、リツ……』
彼女の悲鳴が、僕の神経を逆撫でする。
彼女の身体には、太いケーブルが何本も突き刺さっていた。
そこから流れ込んでいるのは、膨大なデジタルデータだ。
天候制御、交通管理、物流予測、そして1億人の国民の監視データ。
それら全てが、彼女の小さな脳を経由して処理されている。
「やめろ……!」
僕は思わずガラスを叩いた。
彼女は神様じゃない。
ただの、高性能な生体パーツだ。
人間が作り出した「龍」というシステムは、あまりにも複雑になりすぎた。だから、それを統合するために、人間の脳を――「感情」という高度な処理機能を持つ彼女を、CPUとして組み込んだのだ。
彼女の苦痛が、伝播してくる。
1億人の欲望。悪意。無関心。
それらが生ゴミのように彼女の心に流れ込み、彼女を汚染していく。
彼女が流していた「赤い血」は、肉体の傷じゃない。心の決壊だ。
『助けて……ここから出して……』
「知世!」
僕は叫んだ。
その瞬間、視界が弾けた。
元のジャングルに戻る。
息が切れている。心臓が早鐘を打っている。
自分の手を見ると、ガラスを強く叩きすぎたせいで、拳から血が滲んでいた。
「……見えたか」
背後から、冷ややかな声がした。
振り返ると、そこに御影玄が立っていた。ホログラムではない。実体だ。
彼の手には、白いハンカチが握られている。
「君はやはり『適合者』だ。彼女のSOSを受信できる人間は、この30年間で君が初めてだよ」
3
御影は僕にハンカチを差し出した。
僕はそれを無視して、彼を睨みつけた。
「彼女に、何をしている」
「何も? ただ、世界を平和に保つための『お仕事』をしてもらっているだけさ」
御影は薄く笑う。「彼女のおかげで、君たちは飢えることもなく、戦争もなく、安らかに暮らせている。感謝こそすれ、怒る理由はないはずだが?」
「あれが……あんな拷問が、平和なもんか!」
「平和とは、誰かの犠牲の上に成り立つものだ。君もさっきのゲームで理解したはずだ。……違うか?」
御影の言葉が、喉元に突き刺さる。
反論できなかった。
この男の論理は、どこまでも冷徹で、そして完成されている。
「天城律。君には期待しているんだ」
御影は僕の耳元で囁いた。
「彼女はもう限界だ。そろそろ『交換』の時期が来ている。……君なら、彼女の代わりになれるかもしれない」
御影は楽しそうに笑い、踵を返した。
「次の試験は『塔』の最上階だ。そこまで登っておいで。彼女の最期を看取る権利くらいは、あげよう」
遠ざかる背中。
殺意が湧いた。
だが、それ以上に、恐怖があった。
彼女が「限界」だという言葉。
時間がない。
僕は血の滲んだ拳を握りしめた。
痛みのおかげで、意識が冴え渡る。
「……待っててくれ、知世」
僕は誓う。
この塔を登りきる。
そして、あの男の完璧な論理を、僕というバグが食い荒らしてやる。
例え世界が壊れても、君だけは、僕が取り戻す。
人工の空の下、僕は再び歩き出した。
もう迷いはない。
これは「反逆」ではない。「奪還」の物語だ。
(第4話 完)
お読みいただきありがとうございます。
律と知世、二人の精神がリンクする重要な回でした。
「世界平和のために一人の少女が犠牲になる」という古典的なテーマですが、律にとっては「世界なんてどうでもいい、君が大事だ」というエゴイズムこそが原動力になります。
御影の言う「君が代わりになれ」という言葉。
この残酷な提案に、律はどう立ち向かうのか。
物語はいよいよ後半戦へ向かいます。
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