第3話:囚人のジレンマ、あるいは悪魔の契約
第3話:囚人のジレンマ、あるいは悪魔の契約
1
第一次試験を通過した僕たちが通されたのは、無機質な会議室だった。
生き残ったのは五十名ほど。
さっきまで隣で笑っていた同僚を「切り捨てた」者たちだ。彼らの顔に罪悪感はない。あるのは、正解を選んだという安堵と、選民意識だけだ。
「やれやれ、空気の悪い部屋だこと」
土門がわざとらしく鼻をつまむ。「エリート様の集まりってのは、どうしてこうも消毒液と腐った性根の臭いがするのかね」
僕は無視して、中央のモニターを見つめた。
再び、御影玄の映像が現れる。
「おめでとう。君たちは『合理的な判断』ができる優秀なパーツだ。……一名、計算外のバグが混じっているようだが」
御影の視線が、画面越しに僕を射抜いた気がした。
周囲の視線が僕に集まる。侮蔑、憐憫、そして微かな警戒。
「さて、第二段階だ。今回はチーム戦を行ってもらう」
部屋の空気が張り詰める。
「ルールは『囚人のジレンマ・改』。君たちを二人一組のペアにし、隔離された個室に入れる。目の前には二つのボタンがある。『協力』と『裏切り』だ」
古典的なゲーム理論だ。
双方が『協力』を押せば、両者にプラス10ポイント。
片方が『裏切り』、もう片方が『協力』なら、裏切り者にプラス50ポイント、協力者はマイナス50ポイント(即脱落)。
双方が『裏切った』場合、両者ともマイナス10ポイント。
「このゲームを10回繰り返す。最終的なポイントが高いペアのみが、次の階層へ進める。……さあ、パートナーを選びたまえ」
一斉にざわめきが起きる。
これは「信頼」のゲームではない。「いかに相手を出し抜くか」のチキンレースだ。
誰もが、裏切りそうな相手を避け、御しやすそうな相手を探す。
「おい、天城」
太い腕が、僕の首に回された。土門だ。
「俺と組め。俺は頭を使うのは苦手だ。ボタン押し係ならやってやる」
「……いいのか? 僕と組むと、御影に目をつけられるぞ」
「構わん。それに、お前ならこのクソみたいなゲームの『盤面』ごとひっくり返しそうだからな」
土門はニカリと笑った。野獣のような笑顔だが、不思議と嘘の匂いはしなかった。
僕は頷いた。
「わかった。……頼むよ、相棒」
2
個室に入り、ゲームが開始された。
対戦相手は、第一試験で躊躇なく「五千人の切り捨て」を選んだ眼鏡の男と、その取り巻きのような小柄な男のペアだった。
『ラウンド1、スタート』
無機質なアナウンス。
「どうする、天城。相手は確実に『裏切り』で高得点を狙ってくるぞ」
土門がボタンの上に指を置く。
「いや、僕たちは『協力』を押し続ける」
「あ? 正気か? 相手が裏切ったら一発で退場だぞ」
「いいから押すんだ。僕を信じろ」
土門は一瞬だけ僕の目を見て、フンと鼻を鳴らした。
「死なば諸共か。いいぜ、乗ってやる」
結果が表示される。
僕たち:『協力』 対戦相手:『裏切り』
ブブーッ、という不快なブザー音。
僕たちのポイントはマイナス50。
対戦相手の個室から、勝ち誇ったような哄笑が聞こえてきた。
「おい天城、もう後がねえぞ。次も裏切られたら終わりだ」
「わかってる。……土門、あのスピーカー、壊せるか?」
僕は天井の監視カメラとマイクを指差した。
「は? そんなことしたら失格だろ」
「この部屋のルールは『ボタンを押すこと』だけだ。備品の破壊についての規定はない。……それに、御影は言ったはずだ。『合理的な判断』を見せろと」
土門は数秒考え、凶悪な笑みを浮かべた。
「なるほど。そういう『暴力的な合理性』なら、俺の専門分野だ」
ドゴォッ!
土門の剛腕が唸り、壁に埋め込まれたスピーカーとマイクが粉砕された。
監視の目が消える。
完全な密室。
「よし、土門。次は『裏切り』のボタンを……配線ごと引き抜け」
3
5分後。
第10ラウンドが終了した時、会場は静まり返っていた。
スコアボードに表示されたのは、異常な数値だった。
僕たち:プラス200ポイント。
対戦相手:プラス200ポイント。
本来のルールではあり得ない「全員勝者」の数値。
対戦相手の二人は、顔面蒼白で震えていた。
なぜなら、僕たちが物理的に壁を破壊し、彼らの部屋に押し入って「交渉」をしたからだ。
――僕たちは『協力』を押し続ける。君たちも『協力』を押せ。もし一度でも裏切ったら、この土門がその指をへし折る。
それはゲーム理論を超越した、物理的強制力による平和条約。
だが、結果として「両チームが最大の利益を得る」という最適解を叩き出したのだ。
「……反則だ! こんなの、野蛮人のやることだ!」
眼鏡の男が叫ぶ。
その時、モニターの御影が拍手をした。
パチ、パチ、パチ。乾いた音が響く。
「見事だ。天城律、そして土門剛」
「……ルール違反だとおっしゃりたいですか?」
僕はモニターを睨み返した。
「いいや? 私は言ったはずだ。『合理的な判断』とね。システムの中で踊るのではなく、システムの『外』にある力を使って解を導き出す。……それこそが、政治の本質だ」
御影は愉悦に歪んだ笑みを浮かべた。
「ただし、君のやり方は美しくない。恐怖による支配……それは、我々『龍』のやり方と同じだぞ?」
心臓が跳ねた。
そうだ。僕は今、力で相手を屈服させた。
あの空に浮かぶ龍と同じ論理で、平和を作った。
「……違う」
僕は拳を握りしめた。
「僕は、彼らを殺さないためにやったんだ。誰も切り捨てないために」
「結果は同じだよ。……まあいい。合格だ。第3階層へ進むがいい」
ゲートが開く。
土門が僕の背中を叩いた。
「気にするな。勝てば官軍だ」
だが、僕の手の震えは止まらなかった。
この塔を登れば登るほど、僕の手は汚れていく。
知世。
君を救うためには、僕もまた「怪物」にならなきゃいけないのか?
上の階から、冷たい風が吹き下ろしてくる。
そこには、鉄錆と、微かな血の匂いが混じっていた。
(第3話 完)
お読みいただきありがとうございます!
「囚人のジレンマ」を物理(筋肉)で解決する回でした。
主人公の律は「誰も切り捨てない」という理想を持っていますが、そのためには強引な手段も選ばなければならない。
その矛盾に苦しみながらも、相棒の土門と共にバベルを登っていきます。
この「綺麗事だけでは進めない」という展開を楽しんでいただけたら、ぜひブックマークや評価をお願いします!
次話、いよいよヒロイン・知世の「声」が届きます。




