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エピローグ 世界の志

白亜の塔、最上階。


かつてアイギス連邦の希望の象徴であった「志源の間」は、今や凍りついた墓標のように静まり返っていた。


「説明しろ、アーヴェル!」


大賢者の怒号が、冷徹な大理石の壁に反響する。その顔は屈辱と焦燥に歪んでいた。


「改革を断行してから半年。この一か月、水晶に触れた者は一人もいない! 国中の思考が止まっている。これは静寂ではない、死だ! なぜ誰も志を出さない!」


対するアーヴェルは、微塵も揺らがなかった。 窓の外に見える、沈黙した街を見つめたまま、聖者のような微笑を浮かべて答える。


「今は『産みの苦しみ』ですよ、大賢者様。不純な言葉、借り物の言葉を削ぎ落とした結果、人々は自分の無知に気づいた。この空白を乗り越え、新しい教育を受けた次代が育てば、国は真の意味で最適化されます」


「その前に国が滅ぶと言っているのだ!」


大賢者がさらなる激情を爆発させようとしたその時、重厚な扉の外から、戸惑ったような声が通信機越しに響いた。


『――失礼いたします。大賢者様、来訪者が』


「こんな時に誰だ! 警備は何をしている!」


『そ、それが……システムが、この方の通行を拒否しません。セキュリティが全て、この方を通せと……』


大賢者が息を呑むと同時に、扉が静かに開いた。


現れたのは、場違いなほど着古された、しかし皺一つない外套を羽織った男だった。


「……ユージン?」


アーヴェルの瞳が初めて驚きに揺れた。 かつてこの塔を去り、地下の泥に潜ったはずの「聖省の良心」。彼が今、この最上階に立っている。


なぜ彼がここに来られたのか。正規の手続きか、あるいはシステムすら欺く何かを使ったのか。 その理由は誰にも分からなかったが、ただ一つ確かなことは、彼が纏う空気が、この場の誰よりも「言葉」の重みを知っているということだけだった。


「御大層な妄想を語っているようだが……外の静寂を、まだ理解していないようだな」


ユージンの声は低く、そしてどこまでも平熱だった。警備兵を視線だけで制し、大賢者の前に歩み寄る。


「志なんてものはな、本来、誰かに差し出すもんじゃない。ましてや、機械に色をつけさせるもんでもないんだ」


「貴様、何を……!」


「愛する誰かと静かにパンを食べたいという小さな幸せも。国を導き、民を救いたいという大きな野心も。あるいは、ただ誰かの記憶に残りたいという身勝手な理想も。そこに優劣なんてあるはずがない。それをランクで縛り、優劣をつけた時点で、この制度は言葉としての命を失っていたんだ」


ユージンは一歩、踏み込む。


「個人が心から望む、バラバラで、不揃いで、不格好な志の多様性。それを認め合うことこそが、世界が望む、本来の『世界の志』だ。……大賢者、あんたが求めていたのは志じゃない。自分を映す鏡としての、ただのエゴだ」


大賢者は喉を鳴らし、言い返そうと顔を真っ赤にする。 だが、ユージンの隣にいた少女が、一歩前に進み出た。


ミラだった。


彼女は、新制度が始まってほどなく学校を離れ、ユージンのもとで、そこで見た光景や言葉を含め、自分だけの志を独自に仕上げる練習を続けていた。


大賢者は「なんだ、この小娘は」と一瞥すらくれようとしなかったが、アーヴェルの表情が劇的に変わった。


彼女の手に握られた、一枚の判定用紙。 それは、この一か月間、誰一人として手にすることができなかった「水晶の沈黙」を破った証だった。


「私が……一か月ぶりの提出者だったそうです」


ミラの声は震えていた。けれど、その瞳には地下街の夜よりも深い輝きがあった。 彼女は、大賢者とアーヴェルの前に、その用紙を広げて見せた。


「私の志は、ここにある『ランク』だと評価されました。……Eランク生まれの私は、ランクさえ上がれば、私でも『人間』になれると思っていました。でも、ようやく分かりました。私は、私のままです。ランクで中身が決まるわけじゃない」


用紙に記された文字は、拙いながらも力強かった。 そこには、かつての依頼人たち――デニムやリーネ、エマたちが教えてくれた「生きる体温」が宿っていた。


「ユージンさんの言ったとおりです。志をランクで分けるなんて、おかしい。……この紙に書かれたランクは私の想いをほんの少しも示してくれていない!」


大賢者は、ミラの用紙を見つめたまま絶句した。 水晶が弾き出した「正解」のはずの記号が、それを与えられた彼女自身の否定によって、ただの無機質なインクの汚れに成り下がっていた。


アーヴェルは、目を見開いたまま立ち尽くしていた。 彼が信じた「完璧なシステム」の外側で、少女は、自分すら想像できなかった「自分の言葉」に辿り着いていた。


長い、長い沈黙が流れた。


やがて、アーヴェルの肩からふっと力が抜けた。


「……そうか。そうだね。……君の言う通りだ、ミラさん」


アーヴェルは、いつもの計算された微笑ではなく、憑き物が落ちたような、穏やかな顔でユージンを見た。


「ランク制を、やめようか。……言葉を、人々の手に返そう」


ユージンは、鼻で短く笑った。


「ま、今更だがな」


二人の男が、わずかに視線を交わし、笑い合う。 かつて同じ塔で言葉を紡ぎ、別々の道を選んだ二人が、ようやく同じ地平に立った瞬間だった。


窓の外、白亜の塔の影がゆっくりと街から引いていく。 明日からはもう、誰もランクに怯える必要はない。 人々は、自分の拙い言葉で、自分だけの明日を語り始めるだろう。


ミラは、ユージンの大きな手を感じながら、初めて本当の意味で、澄み渡る空を見上げた。


それから数年、アイギス連邦の表通りに「天職が見つかる職業相談所」があると評判が後を絶たなかった。 ただ、その相談所にはいつも面倒くさそうな店主とてきぱき働く助手がいるらしい・・・

最後までお付き合いいただき、本当にありがとうございました。

実は本作は、私にとっての「処女作(デビュー作)」となります。

右も左もわからない中で書き始めたこの物語でしたが、ユージンやミラと一緒に歩んできたこの時間は、私自身にとっても「自分だけの志」を探す大切な旅となりました。

不慣れな筆致ゆえ、至らぬ点も多々あったかと思います。それでも、更新のたびに温かく見守ってくださった読者の皆様のおかげで、無事に白亜の塔の物語を完結させることができました。


本当にありがとうございました。


次はまた少しなろう系のはやりとは違う視点の、ハイファンタジーや、ノンフィクションとフィクションを織り混ぜた恋愛コメディなんかにもチャレンジしてみたいと思っています。


また皆様とお会いできる日を楽しみにしています

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― 新着の感想 ―
志を否定するのかと思ったら世界の志って良いなって思いました。 これからも応援します
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