第16章 アーヴェルの真意 第五幕
改革の火は、灯った瞬間に最も明るく、そして最も速く燃え尽きようとしていた。
アイギス連邦の各所に設立された「学校」の光景は、わずか数ヶ月で劇的な変貌を遂げた。 学校が始まって、まだ二ヶ月も経っていない頃のことだった。
当初、青空教室に溢れかえっていた子供たちの姿は、日を追うごとに疎らになっていった。 芝生の上に並べられた椅子は、主を失って虚しく陽光を浴び、風に揺れる教科書のページだけが、かつての喧騒を記憶している。
「……ミラ、またあの子が来ていないな」
教導官の乾いた声が響く。ミラの隣に座っていた商家の少年も、今日はいない。 その理由は、子供たちの側ではなく、彼らの親――大人たちの側にあった。
街の至る所、仕事帰りの酒場や夕暮れの市場で交わされる言葉は、呪詛に似た「保身」の響きを帯びていた。
「聞いたか? 隣の棟の息子、学校に通って『高度な志』を学んだつもりで再提出したら、CからDに落とされたってよ。理由は『自分の器を理解していない傲慢な文章』だそうだ」
「恐ろしい話だ。教育を受けさせれば上がると思っていたが、実際は、今のランクを維持する権利さえ剥奪されるための罠じゃないのか?」
大人たちは震えていた。
かつての旧制度は、不透明ではあったが、一度決まったランクがそう簡単に覆ることはなかった。 停滞はしていたが、そこには「予測可能な安寧」があったのだ。
しかし、アーヴェルの改革は違う。 何度でも挑戦できるという「希望」の裏側には、何度でも篩にかけられ、今持っているわずかな生活基盤すらも奪い去られるという「絶対的なリスク」が隠されていた。
「これなら、何も知らないまま、何も期待せずに生きていた『旧制度』の方が、まだマシだった」
聖省の門前には、かつての熱狂的な支持者ではなく、困惑と怒りに満ちた民衆が詰めかけるようになった。
彼らは叫ぶ。
「学校を閉鎖しろ」
「これ以上の判定の厳格化はやめろ」
「我々を放っておいてくれ」
その声は、変化を拒む連邦の「古い肺」が吐き出す、最後のため息のようでもあった。
だが、その喧騒を「白亜 の塔」の頂上から見下ろすアーヴェルの瞳に、揺らぎは微塵もなかった。
制度発表から五ヶ月。アーヴェルは民衆の前に再び姿を現した。 抗議の声を上げる群衆を前に、彼は聖者の微笑みさえ見せず、ただ冷徹な「管理者の論理」を突きつけた。
「諸君。私は『旧制度』に戻すつもりはない。だが、ランク制度の運用については、今後さらなる『改善』を約束しよう」
その言葉に一瞬、期待のさざなみが広がる。 しかし、続く言葉は氷のように鋭かった。
「ただし、理解していただきたい。ランクアップとは、国からの施しではない。それは、君たちの人生とを賭けた『命の輝き』だ。力量のない者の戯言に高い地位を約束するほど、この国は裕福ではない。自らの魂を賭け、リスクを背負い、それでもなお『自分はこれだけの価値がある』と証明できる者だけが、次の扉を開くことができる」
アーヴェルの演説は、人々の心に宿っていた「努力すればいつか報われる」という甘い幻想を、無惨に切り裂いた。
この日を境に、街からは「志」という言葉が消えた。
人々は口を噤んだ。志を出すことは、自らの無能を証明し、現在の生活を破壊する「自殺行為」と同義になったからだ。 「志を出さない」という選択こそが、この国で最も賢明な処世術として定着した。
かつて活気に満ちていた再申告の窓口は閑古鳥が鳴き、書類の山は消え失せた。 五ヶ月前には「改革の星」と讃えられたアーヴェルの名は、今や「冷酷なシステム」として、畏怖と忌避の対象へと変わっていた。
アーヴェルにとって、志を出さなくなった九割の民衆など、最初から「計算外」のいてもいなくてもいい人間に過ぎない。 彼の真の目的は、この過酷な選別を潜り抜け、恐怖に屈せず、なおも自らの言葉を紡ごうとする「本物の志を持つ者」を見つけ出すことだった。
かつて子供たちの希望の学び舎になることを期待された青空教室の視察に来たアーヴェルの視線は、ミラの座っていたはずの空席に固定されていた。
そこは、三ヶ月前までは、確かに彼女の場所だった。
「……見込み違いだったか」
彼女さえも、この「停滞」の波に飲まれて消えてしまったのか。
「だが、まあいい。ここにいる子供たちこそが次代を担う価値のある子たちなのだから。まずは、この子供たちを大切にするとしよう」




