第16章 アーヴェルの真意 第四幕
新制度の発表から、アイギス連邦は激流のような変化の中にあった。
アーヴェルがまず着手したのは、徹底した「機会の平等」の創出――すなわち教育機関の設立だった。
「無償っていうのは、お前を縛る金がどこにも発生しないということだ。行ってこい、いい機会だ」
ユージンのその言葉に背中を押され、ミラは初めて「学校」と呼ばれる場所へ足を踏み入れた。
まだ本校舎は建設中であり、街の大きな公園を利用した「青空教室」ではあったが、そこにはミラがこれまで見てきた地下街の景色とは正反対の光景が広がっていた。
芝生の上に広げられた円卓。 そこには、かつてなら口を利くことさえ許されなかったであろうBランクやCランクの子供たちが、Eランク出身のミラと肩を並べて座っている。
「ここの構文、わかった?」
「あ、うん。……ここを、こうすればいいんだよね」
習熟度別に分けられた合理的な授業。 ランクによる無意識の差別が頭をもたげれば、即座に教導官による厳しい指導が入る。
子供たちは最初こそ互いの身分に戸惑っていたが、共通の「知識」を学ぶうちに、その垣根は少しずつ、けれど確実に溶け始めていた。
頭上に広がる青空、響く笑い声、そして未知の言葉を吸収していく喜び。 そこには間違いなく、アーヴェルが描いた「救い」の萌芽があった。
しかし、公園を一歩外へ出れば、街を覆う空気の温度は劇的に異なっていた。
十五歳以上、すでに自らのランクを背負って生きる大人たちにとって、改革は「一瞬の希望」と、それに続く「永劫の絶望」をもたらした。
発表直後、街は沸き立った。
「何度でも挑戦できる!」
「これで俺も上に行けるんだ!」
DランクやCランクの居住区では、再挑戦を願う者たちが詰め所に列をなし、一時は狂騒とも呼べる熱気が渦巻いた。 人々は、アーヴェルの慈悲深さを称え、自らの可能性を信じて志を叩きつけた。
新たな提出様式。 刷新された書式。
読み上げられる注意事項の中には、「音声入力時の測定精度について」「身体反応の記録は判定補助として扱われる」という一文も含まれていたが、その意味を深く考える者はほとんどいなかった。
だが、その熱気は瞬く間に冷え、重苦しい沈黙へと変わった。
再提出された「志」の判定結果。 そこに並んだのは、ランクアップの通知ではなく、非情なまでの「ランクダウン」の宣告だった。
「……何が、間違っていたんだ」
広場の掲示板の前で、一人の男が膝をついた。 彼はCランクからBランクへの昇格を望み、全霊を込めて志を綴ったはずだった。
読み上げも淀みなく、言葉にも迷いはなかった。 それでも、帰ってきた判定は「Dランクへの降格」。
アーヴェルの刷新した評価基準は、旧制度よりも遥かに緻密で、そして残酷なまでに「真の志」を要求するものだった。
「音声入力」も「教育」も、用意はされた。 だが、それは言い訳を奪うための装置でもあった。
なぜ下がったのか。 どの言葉が足りなかったのか。 何が偽りと判断されたのか。
判定書には理由は記されていない。 ただ、数値とランクだけが、静かに、確定事項として印字されている。
逃げ場を失った人々は気づき始めた。 この制度は、可能性を広げたのではない。 誰が「真に無能であるか」を、より正確に炙り出すためのフィルターなのだと。
一ヶ月が経つ頃には、再提出の列は消え失せていた。 街には、「志を出さないことこそが、現状を維持する唯一の自衛策である」という、冷えた世論が蔓延していた。
挑戦しなければ、下がることもない。 語らなければ、測られることもない。
公園から聞こえてくる子供たちの明るい歌声が、石畳の街路を歩く大人たちの背中に、鋭いナイフのように突き刺さる。
未来を語る子供たちの輝きと、二度と「志」を語るまいと口を噤む大人たちの影。
アイギス連邦は、最も美しく、そして最も残酷な形で、二つの世界に引き裂かれようとしていた。




