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第16章 アーヴェルの真意 第三幕

アーヴェルがSランク筆頭に就任してから、二週間が経った。


この短期間、街にはかつてないほどの憶測と、それに伴う「静かな絶望」が蔓延していた。


通りに人はいる。市場も開いている。 だが、誰一人として声を荒げず、誰一人として未来の話をしなかった。


希望が潰えたのではない。 希望を口にすること自体が、どこか場違いになってしまったのだ。


「代筆で水晶を突破できる」という噂は、苦しい生活を送る民衆にとって、毒でありながら抗いがたい甘い蜜だった。 しかし、潔癖で知られる若き天才アーヴェルが改革を掲げた以上、その「抜け道」が塞がれるのは火を見るより明らかだったからだ。


「どうすれば制度の穴をつける?」 「これからは金もコネも通用しなくなるのか?」


CランクやDランクの居住区では、連日そんな議論が飛び交っていた。 だが、その喧騒から最も遠い場所にいるEランクの人々の反応は、さらに冷淡なものだった。


彼らは噂を否定もしなければ、肯定もしなかった。 どうせ自分たちは、数にすら含まれていない。 そう思い込むことだけが、心を守る最後の手段だった。


自分たちが「全市民」という言葉に含まれているかどうかなど、彼らには関係がなかった。 何より、彼らには志を「書く」ための言葉も、ペンを握る指の自由も、最初から与えられていなかったからだ。


それでも、一部の若者たちは、かすかな希望に縋るようにランク申告の詰め所へ詰めかけていた。


「俺たちだって上げたいんだ!」

「どうすればいいか教えてくれ!」


という怒号にも似た叫びが、虚しく石壁に跳ね返る。


係員は何も答えなかった。 答えがないのではない。 答えを出す権限が、まだ与えられていなかったのだ。


そして、約束の時間は訪れた。


街中のラジオ、広場の大型モニター、そして各家庭の受信機が一斉に同じ周波数を捉える。 ノイズの向こうから、アーヴェルの涼やかで、一点の曇りもない声が響き渡った。


『本日、アイギス連邦は新たな一歩を踏み出す。志制度の抜本的改革――その全容を公表する』


提示されたのは、合計十項目に及ぶ、建国以来の激震とも言える内容だった。


一、Eランクを含む十五歳以下の全市民に「教育の機会」を無償で提供する。

一、志の提出を、旧制度の「十五歳の一度切り」から、「年齢を問わず、何度でも再提出可能」とする。

一、新制度への移行に伴い、全市民の現状ランクを維持した状態でスタートする。

 なお、志未提出の子供たちのランクは保護者と同等とする。

一、評価基準を刷新し、書式を変更する。   

  また、識字困難者に対しては「音声入力による水晶判定」を導入する。

一、代筆を含む不正対策として、水晶判定時に「心音測定」を導入する。   

 志の申告過程における心理的動揺を数値化し、判定の補助指標とする。

一、………

……


すべての告知を聞いた街が、一瞬、静まり返った。


それは反発ではなかった。 歓声でもなかった。 あまりに整いすぎた理想を前に、人々が言葉を失った沈黙だった。


それはあまりに理想的で、あまりに破壊的な「平等」の宣言だった。


「……十五歳で一度しか機会がない旧制度がおかしかったのだ」


ラジオの中のアーヴェルは、まるで当然の真理を述べるように続けた。


「これからは全市民が自らの経験を胸に、望むランクへ何度でも臨めるようになった。誰にも、可能性を閉ざす権利はない。皆、各々の志をどうか研磨してほしい」


その言葉は、誰かを責めていない。 誰かを選別してもいない。 ただ、逃げ道を一つ残らず塞ぐほどに、正しかった。


地下街R-7。 事務所の隅で、ミラは教材を抱えたまま、モニターから流れるその声を呆然と聞いていた。


「何度でも」

「音声でも」。


ミラが必死に掴もうとしていた「言葉」の重みが、この瞬間、国の制度として軽やかに全市民へ解放されたのだ。


だが、その放送を聴きながら、ユージンは冷めた茶を喉に流し込み、ただ一点を凝視していた。 彼は歓喜に沸く外の気配を感じながら、低く、独り言のようにつぶやいた。


「アーヴェル……お前は『人』を知らなさすぎる……」


ユージンの指先が、机に置かれた古いペンをなぞる。


「何度でもやり直せるということは、何度でも『自分の無能』を証明し続けられるということだ。教育を与えられ、音声入力まで用意されて、それでも上がれなかった奴は……次に何を言い訳にする?」


アーヴェルの言葉は、あまりに眩しかった。 だがその眩しさは、救いようのない現実を抱える者たちにとって、逃げ場を奪う「絶対的な光」という名の残酷な影を、確かに落とし始めていた。


光が強ければ強いほど、影は濃くなる。 そしてその影に、次に立たされるのは―― 声を失った民衆そのものだった。

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