第16章 アーヴェルの真意 第2幕
地下街R-7。
事務所の古びたモニターからは、聖省の新たな指針を読み上げるキャスターの声が絶えず流れ、届けられたばかりの新聞には、新任Sランク・アーヴェルの整った顔が大きく映し出されていた。
事務所の空気に温度を感じない。 時間の流れも止まったかのような静寂のなか、ミラは勇気をもって、今まで見たこともない複雑そうなユージンの表情に戸惑っていた。
「……平等、ですか」
ミラが、不安そうに紙面を見つめる。 そこには『志制度の抜本的改革:全市民への平等な評価機会の付与』という大見出しが躍っていた。
「ユージンさん。アーヴェルさんの言う全市民に、Eランクは含まれているんでしょうか…私たちにもかかわりがあると考えていいんですよね?」
ふと、ミラは数日前に路地裏で再会したアーヴェルの姿を思い出した。
あの時、彼は確かに優しく微笑んでいた。 けれど、思い返せばその瞳には、自分たちのような人間を「個々の人間」としてではなく、何か別の大きなものの「数値」や「部品」として見ているような、透き通った冷たさがあった気がする。
「私……アーヴェルさんのこと、優しい人だと思っていました。でも、新聞のこの顔を見ていると、なんだか初めて……『怖い』って思ってしまって」
ユージンは万年筆を置き、カップの冷めた茶を啜った。
「……アイツは怖いわけじゃない。ただ、誰よりも『迷いがない』だけだ」
「迷いがない?」
「ああ。普通、人間は言葉の裏に情や私欲を混ぜる。だがアーヴェルにはそれがない。アイツにとっての正義は、この国という巨大な機械をいかに効率よく回すか、それだけだ。効率に回る国は、最も多くの国民の幸せにつながる。そう本気で信じていて、『迷いがない』だけさ。少なくともお前にとって、その効率主義はマイナスにはならないはずだ…」
「そうですか……。なら、よかったです」
ミラは少しだけ安心したように、再び単語帳に目を落とした。 しかし、すぐにまた顔を上げる。
「 その『新制度』で、具体的に何が変わるんでしょうか。志が、今より良くなるってことですか?」
ユージンは独り言のように、視線を天井の染みへと向けた。
「……アーヴェルはたぶん、志制度を『今より』はマシな方向に変えるだろうさ。水晶の判定ロジックを透明化…いや、それより先に教育改革?…いや…ダメだな…情報が少し足りないな…」
「ずっと独り言ですよ…何を言いたいのかわかりません…」
「ん? ああ、すまない。ただ、間違いなく個々の人間の純粋な能力値を抽出する方向で改革をするはずだ。……だがな、それが『民衆に受け入れられるかどうか』は、また別の話だ」
「どういうことですか? 正しく評価されるなら、みんな喜ぶんじゃ……」
「お前はそう思うだろう。だが、奴は言った『平等に評価される』制度だとな。つまり、全員のスタートラインをそろえるつもりなのさ。今のこの国は生まれたランクで15歳までにできることに差がありすぎる。そうだろ?」
「そうですね…それはわかります…」
そんなことはEランクであるミラには残酷なまでにその眼で見てきたことだ。
「だが、平等になるために『スタートをそろう』ということは、高位ランクの連中は今までの『特権ともいえる環境』がなくなるということさ。だから、平等を目指せば、必ず反発が起きる…それが分からないアーヴェルではないはずだ…」
「確かに…」
ユージンの言葉は、暗い事務所の空気に重く沈殿した。
「あまり、深入りするな。今の話は、今のお前が考えると頭から煙が出るレベルの話だぞ」
ユージンはそう言って、集中するよう、ミラの手元の教材を指さした。
「余計な情勢に振り回される暇があるなら、半年後に迫った自分の提出に備えて勉強を詰めていけ。お前が自分の力で『言葉』を掴み取らなきゃ、制度がどう変わろうが結果は同じだ」
「……そう、ですね。分かりました」
ミラは小さく頷き、震える指先でペンを握り直した。 だが、ユージンの胸中は穏やかではなかった。
(中途半端にすれば、誰にも受け入れられず、制度そのものが死ぬ。だが、本気でやれば、この国そのものが壊れる……。お前はどっちを選ぶ、アーヴェル)
窓のない事務所。
ユージンの問いかけに答える者はなく、ただミラのペンが紙をなぞる音だけが、不気味なほど静かに、そして刻一刻と迫る審判の時のように響いていた。




