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第15章 聖女の代筆 第二幕

ヴァンクロフトは、この塾の経営を支える最大のパトロンの一人であり、成金特有の強引さと広範な人脈を持つ男だ。 普段は現場に口を出さない彼が、直接面談を求めてくるなど異例だった。


「……お通しして」


部屋に入ってきたのは、過剰なほど高価な時計を覗かせ、仕立ての良さだけは一流のスーツを纏った初老の男だった。


ヴァンクロフトは、レオナの挨拶を待たずにソファへどかりと腰を下ろすと、品性の欠片もない苛立ちを隠そうともせずに口を開いた。


「レオナ先生。今日は折り入って、頼み……いや、これは『商談』だと思って聞きなさい」


「出資者であるヴァンクロフト様のご相談であれば、可能な限りお応えいたしますが」


ヴァンクロフトは鼻で笑い、机の上に二枚の成績表を放り出した。


「私の二人の息子のことだ。知っての通り、あいつらには学問の才も、志の欠片もありゃせん。このまま『水晶の判定』に突っ込めば、良くてC、下手をすれば兄弟揃ってランクダウンだ。私の顔に泥を塗るわけにはいかんのだよ」


「当塾のカリキュラムであれば、まだ挽回の余地はございます。補習の時間を増やせば……」


「時間の無駄だ!」


ヴァンクロフトはレオナの言葉を遮り、身を乗り出した。 その瞳には教育への情熱など微塵もなく、ただ損得勘定だけがギラついている。


「あいつらの足りない頭を動かすより、あんたの指先を動かした方が早い。私の息子の志を……あんたが『代筆』しろ。確実にBランク以上を維持し、私の資産を継ぐのに相応しい『完璧な回答』を用意するんだ」


レオナの心臓が、嫌な音を立てて跳ねた。


「……聞き捨てなりませんわ。代筆などという不正を、水晶が見逃すとお思いですか? 仮に、通ったとしても発覚すれば私の塾だけでなく、あなたの立場も危うくなります。何より、それは私のプライドが許しません」


「プライド? そんなものでこの贅沢な事務所が維持できるのか?」


ヴァンクロフトは冷笑し、部屋を見渡した。


「レオナ先生。あんたが『ランクアップの聖女』なんて持て囃されて、この白亜の塔に似せた優雅な建物で商売ができているのは、誰の金のおかげだ? 来期の新規出店に向けた出資の契約書、まだ私の手元にあることを忘れたわけじゃないだろうな」


レオナの喉が、引きつったように鳴った。 ヴァンクロフトは、怯える彼女を楽しむように声を低くする。


「志を、金で買えるのなら、それが一番効率がいい。もしこの話が流れるようなら……ああ、他の出資者連中にも声をかけなきゃならん。この塾の将来に不安を感じている、とな」


「それは……脅しですか」


「脅しではない、誠実条項だよ。あんたはこれまで通り『正義の教育者』を続け、私は息子の安泰を手に入れる。悪い話じゃないだろう?」


「だが、ここで最大の出資者である私が出資をやめるとなれば、それがどういう噂になるかを考えられんあなたでもあるまい」


レオナは絶句した。


金で地位を築いた成金からの、逃げ場のない圧力。 自分の誇りを守るためにすべてを失うか。 あるいは、自分が最も軽蔑していた「代筆」という禁忌に手を染めて、自分の力で築き上げたこの居場所を維持するか。


「……少し、お時間をいただけますか」


レオナの声は、自分でも驚くほど乾いていた。


ヴァンクロフトは満足げに立ち上がり、最後にレオナの肩を軽く叩くと、重厚な足音を立てて部屋を去っていった。


静まり返った代表室。


レオナは、震える手でデスクの端を強く握りしめた。 窓の外には、白亜の塔が輝いている。


(断ることは、簡単だわ……)


「代筆などという不正は受け入れられない」と、一言突き放せばいい。 そうすれば、自分の教育者としての誇りは守られる。 ヴァンクロフト一人の出資が途絶えたところで、この塾が明日明後日につぶれるような脆弱な経営はしていない。


だが、その先に待つ景色は、決して「正義の勝利」などという甘いものではない。


彼が他の出資者に根回しをすれば、確実に生徒数は減る。 白亜の塔の麓という一等地の家賃、最新の教材、そして何より――。


(私が『選抜した』スタッフたちは、どうなるの……?)


レオナの脳裏に、受付で完璧な笑顔を見せる職員や、彼女の掲げる「九十五パーセントの奇跡」を信じて心血を注いでいる講師たちの顔が浮かぶ。


彼らは皆、レオナが自ら面接し、その能力と志を見込んで、好条件を提示して他から引き抜いてきた精鋭たちだ。 彼らには守るべき生活があり、レオナという「成功の象徴」を信じてついてきている。


もし、自分のプライド一点を守るためにヴァンクロフトと決別すれば、遠からずリストラという名の「切り捨て」を行わなければならなくなる。


(私の個人的な判断で、彼らの職場を、彼らの居場所を奪うことになりかねない)


自分が最も軽蔑していた「代筆」という禁忌に手を染めて、すべてを維持するか。 それとも、自分の魂を清らかに保つ代わりに、自分を信じた者たちを路頭に迷わせるか。


窓の外に輝く白亜の塔。 その眩しさが、今のレオナには、選択を迫る冷酷な刃のように見えた。


彼女は、まるで何かに祈るように、あるいは自分を呪うように、深く顔を伏せた。 ただ……一言。


「いったい誰が……代筆なんてうわさを流したの!」


その眩しさが、今のレオナには、これ以上ないほど残酷な皮肉に見えた。

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