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第14章 ミラの志 第二幕

地下街R-7から、いくつもの検問を越えた先にある、DランクとCランクの境界に位置する居住区。


そこは、ミラが知る世界とは何もかもが違っていた。 道行く人々の服には泥の跳ねた跡がなく、空気には微かに花の香料が混じっている。


ミラは、色鮮やかな看板が並ぶ通りを歩いていた。


いろいろ悩んだが、自分の言葉を見つけるためにも、ユージンと一緒に係わった過去の依頼人が今どんな生活をしているのかを知りたいと思った。


(……ここ、だよね)


足を止めたのは、淡いパステルカラーで彩られた子供向けアパレルショップの前だった。 ショーウィンドウには、フリルや刺繍が施された可愛らしい子供服が並んでいる。


その店の入り口に、不釣り合いなほど巨大な「山」がそびえ立っていた。


「……あ、デニムさん!」


ミラは思わず声を上げた。


そこにいたのは、かつてユージンの事務所を訪れた男、デニムだった。


今の彼は、仕立ての良い――けれど彼の体格にはあまりに窮屈そうな――制服に身を包んでいる。 胸元には、子供が喜びそうなクマの刺繍が入った名札が揺れていた。


「……おや? ああ、あんたは……あの時の、ユージンさんのところの!」


デニムの顔が、くしゃりと歪んだ。 それは、かつての「威圧感」を微塵も感じさせない、心からの笑顔だった。


「わあ、大きい手!」 「おじさん、くまさん付いてる!」


デニムの足元では、小さな子供たちが彼の太い脚を柱に見立てて、きゃあきゃあと笑いながら追いかけっこをしている。


デニムは巨大な体を器用に縮め、子供たちがぶつからないよう、壊れ物を扱うような手つきで周囲をガードしていた。


その光景を、子供の母親たちが安心した様子で見守っている。 地下街では「怪物」のように扱われていたその巨体が、ここでは「優しくて頼もしい番人」として受け入れられていた。


「デニムさん、本当にここで働いているんですね」


ミラが近寄ると、デニムは照れくさそうに、けれど誇らしげに胸を張った。


「ああ。あの時、ユージンさんが俺の『わがまま』を形にしてくれたおかげだ。……覚えてるか? 俺が、最初からDランクを望んだこと」


デニムは、店内のカラフルな棚を愛おしそうに見渡した。


「俺の親父はCランクでな。上の方々の無理難題に振り回されて、いつも何かに怯えていた。結局、心も体もすり減らしながら生きてたんだ」


「それを見てた俺は思った。こんなランクは嫌だ、もっと責任のないランクがいいってな。高い場所に行けば行くほど、自分じゃない誰かに振り回されるからな」


デニムはデスクの隅に置かれた、山積みの伝票に目を落とした。


「今の俺はDランクだ。給料も安いし、大きな責任のある仕事じゃない」 「でもな、ミラちゃん。俺はこの店で、子供たちが笑うのを見てる時、生まれて初めて自分のこの体が『誰かの役に立ってる』って思えるんだ」


ミラは、デニムの言葉を反芻した。


彼女は今まで、ランクを上げることだけが「人間になる」ための唯一の道だと信じていた。 Eランクから這い上がり、一つでも高い場所へ行くことが、不幸から遠ざかる方法なのだと。


けれど、目の前のデニムはどうだ。


彼は自分の意思で「下位」を選んだ。 BランクやAランクを目指す競争から降り、自分が自分でいられる場所として、この小さな受付の椅子を選び取ったのだ。


「……ランクが低くても、幸せになれるんでしょうか」


ミラの問いに、デニムは短く、けれど力強く頷いた。


「少なくとも、俺は今が一番幸せだ。……ユージンさんは言ってたぜ。『志は、誰かに評価されるための飾りじゃない。あんたがどう生きたいかの、自分への約束だ』ってな」


デニムは大きな手で、ミラの頭をそっと撫でようとして、途中で止めた。 自分の手が彼女を怖がらせるかもしれない、という繊細な配慮がそこにはあった。


「ミラちゃん。あんたもいつか『志』を書くんだろ? その時は、あんたにとっていいのが書けるといいな」


帰り道。


ミラは何度も振り返りながら、その店を後にした。


ランクは、この国では絶対だ。 高いことが正義で、低いことは無能の証明。


(……でも)


デニムは、Dランクのまま、確かに生きていた。 胸を張って、「ここが自分の居場所だ」と言える顔をしていた。


――それでも。


ミラは、自分の足元を見つめる。


(私は、書かないと生きられない)


ランクを上げなければ、ここに立つ資格すら得られない。 けれど、ランクのためだけに書く志なら、きっと意味がない。


地下街へ続く階段は薄暗かったが、ミラの胸の奥では、はっきりとした感情が芽生えていた。


上に行くためじゃない。 人になるためでもない。


――自分が、自分でいるために。 そのための「言葉」を、私は書く。


まだ形にはならない。 でも、その輪郭だけは、確かに見え始めていた。

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