第9章 変わらないこと、変わりたいこと(後編)
この後編は、
誰かが救われる話ではありません。
納得できないまま、
飲み込めないまま、
それでも「選んでしまう」話です。
言葉にしてしまえば簡単なことを、
人は、そんなに簡単には引き受けられません。
正しさを理解することと、
それを自分のものとして書くことは、
まったく別の行為だからです。
後編は、
答えを書く話ではなく、
書くことを選んだミラのお話です。
石造りの大きな屋敷が並ぶ、見知らぬ通り。
ミラは、自分がどこにいるのか分からなくなっていた。 感情に任せて走り出し、入り組んだ裏路地を抜けた結果、目に入るのは見覚えのない豪華な鉄柵と、手入れの行き届いた庭園ばかり。
「……どこ、ここ」
夕暮れの静寂が、ミラの不安を煽る。リーネに言われた「恵まれている」という言葉が、冷たい風と一緒に耳元で鳴り続けていた。 足の疲れと心細さに耐えかね、ミラが大きな屋敷の門の隅でうずくまった、その時だった。
「おや。そんなところでどうしたんだい? 道に迷ったのかな」
頭上から降ってきたのは、穏やかで快活な声だった。 顔を上げると、そこには一人の青年が立っていた。作業着の汚れを払いながら、手には大きな剪定バサミを抱えている。
「あ……すみません。すぐに、どきますから……」
怯えたように立ち上がろうとするミラを見て、青年は慌てて手を振った。
「いや、追い払うつもりじゃないんだ。ただ、夕暮れ時に女の子が一人で泣いてうずくまっててびっくりしたんだ。……迷子なの?」
「いえ・・・ち、違います。私はただ…代筆屋さんの…えっと…」
ミラはどう答えたらいいかわからない。代筆屋を飛び出してしまった。本来Eランクの時間は日没と同時に城門の外に出なければいけない・・また、その生活に戻るのだろうか?どうしたらいい?
そんな不安が一気に押し寄せてきて、どう答えたらいいのかわからないミラはそれ以上の言葉が出てこなかった。
「『代筆屋』って、もしかしてR-7の裏通りの?」
「え……? どうして、それを」
「やっぱり! あれ?でもまって、ユージンさんが、助手を雇ってること?」
「あなたは誰なんですか?」
ミラも驚いて問い返す。
「僕はテオ。ここの庭師だよ」
「ちょうど仕事が終わったところだ。事務所まで送っていくよ」
並んで歩く道すがら、テオは懐かしそうに話し始めた。
「俺は以前、Dランクでね。植物が好きなだけで、才能なんてないって周りからは笑われてばかりだった。でも、ユージンさんは違ったんだ。あの人は、俺の話を最後まで聞いて、初めて言ってくれた。『お前が植物を好きなら、それでいい』って。ランクがどうとかじゃなく、俺が何を大切にしているかを、あの人は最初から見てくれていたんだよ」
ミラは息を呑んだ。
「肯定……してくれたんですか?」
「あの、ユージンさんが?」
「ああ。それが今、俺がここで頑張れる最大の励みなんだ。ユージンさんは冷たく見えるけど、依頼人の未来までちゃんと見てくれている。だから……」
テオは前方を指差した。見覚えのある事務所のビルが見えてきた。
「君の未来だって、きっと見てくれていると思うよ。一度くらい、褒められたこと、あるだろ?」
褒められたこと。 脳裏に、あの日、ぶっきらぼうに放たれた声が蘇る。
『助手じゃない。まだ助手見習いだ。ただ――根性は認めている』
自分を、あの人は「根性がある」と、その姿勢だけを認めてくれていた。
「……そうなんでしょうか?、テオさん」
事務所の前で、ミラは深く頭を下げた。迷子だった足元も、心の霧も、少しだけ晴れた気がした。
*
事務所の扉を開けると、ユージンは椅子に座り、書類を眺めていた。
「……遅かったな」
「すみませんでした」
ミラは真っ直ぐにユージンを見た。
「ユージンさん。さっきは、リーネさんに酷いことを言いました。でも、私はやっぱり、リーネさんの考えは……」
「別に構わない」
「え?」
「……住む場所が変われば、考え方は多種多様になる」
ユージンが静かに遮った。
「リーネにはリーネの考えがあり、守るべき日常がある。ミラ、お前が感じた違和感は否定しない。だが、お前の感情で依頼人の選択を否定したのは良くないことだ」
ユージンの言葉は厳しい。でも、ミラは厳しい言葉よりも、ユージンが自分の考えを否定しないと言ってくれたことに驚いていた…
「……私の感じたことは、間違ってないですか?」
「ああ。だが、出す場所を間違えるな。感情をコントロールできないのは、まだ子供だということだ。それでは上位ランクを目指せる志には届かん」
ユージンは少しだけ口角を上げた。柄にもない「大人」の格好をつけたような表情だ。
「大人になるということは、感情を殺すことじゃない。コントロールすることさ」
ミラは、その言葉の意味を完全には理解できなかった。けれど、少しだけ笑みがこぼれた。
「……わかりました。ユージンさん」
「でも、さっきの笑い方はあまり似合ってないと思いました」
「やれやれ…たくさん歩いて疲れただろう。今日はもう休め」
*
数日後。リーネから無事依頼達成の報告を聞く。
「……無事、受理されたわ。さすがね。ありがとう」
リーネは今までの依頼人のように結果に喜んでいるようには見えない。ただ、少し
安堵したようには見える。ミラはリーネとどう接したらいいかわからないまま、そのやり取りを見つめている。
帰り際、リーネはミラに告げた。
「聞いたわ。あなたEランクなんだってね…だとしたら、あの時は言い過ぎたわね。でも、間違ったことは言っていない。現に、代筆屋にいるあなたは、Eランクとしては破格に恵まれているもの」
ミラははっきりと答えた。リーネの目を、真っ直ぐに見据えて。
「確かに、そう思います。私には、リーネさんの言ってることを違うといえない。だからこそ――」
ミラは、机の教材を強く握りしめた。
「私はEランクからでも上がっていけることを証明したい。だから、私の志は、代筆じゃなく――自筆で出そうと思います」
「自筆で?Eランクのあなたが?」
リーネも驚いて聞き返す…そしてミラの顔見つめたまま…
「そう、頑張ってね」
ユージンはそのやり取りを黙って見届けていた。
けれど彼は何も言わず、次の書類に目を落としながら、ミラに言った
「やはり、お前は根性がある」
「はい!」
ここまで読んでくださり、ありがとうございます。
この後編で描きたかったのは、
成長でも、覚悟でも、勝利でもありません。
ミラは、
理解したわけではありません。
許したわけでも、納得したわけでもありません。
ただ、
「代筆ではなく、自分で書く」と決めただけです。
それは理想でも反抗でもなく、
小さくて、未完成で、
たぶん、とても危うい選択です。
Eランクからでも上を目指す――
そんな言葉は、綺麗すぎるし、傲慢でもあります。
それでもミラは、
誰かの言葉ではなく、
自分の言葉で、志を書こうとしました。
正しいからではなく、
そうしないと、ここにいる意味が壊れるから。
この物語は、
誰かの成功譚ではありません。
まだ、途中にいる人の話です。
もしあなたが、
「納得できないまま何かを選んだことがある」なら、
この後編は、あなたのそばに置いてもらえるかもしれません。
最後まで、ありがとうございました。




