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第6章 代筆屋の過去

この章で語られるのは、

成功の物語ではありません。


「正しかったはずのこと」が、

どのように人を壊し、

どのように制度に回収されていくのか。


善意と合理性が、

最も静かに、最も確実に失敗する過程です。


教えること。

助けること。

場を救うこと。


それらはすべて、間違いではありません。

むしろ、必要だった。


それでも――

誰かが“答えを渡し続けた世界”が、

どんな結末を迎えるのか。


この章は、

ユージンが「教えない」と決めた理由の説明ではありません。


それを、

説明できなくなった理由を語る章です。

「……昔の話だ」


 俺はそう前置きしたきり、しばらく黙っていた。

 万年筆の先で、机の傷をなぞっている。言葉を探しているというより、思い出すべきかどうかを量っているように見えた。


「聖省と呼ばれる白亜の塔にいた頃、俺は書記官だった。仕事は単純だ。上の連中――Sランクが決めた方針を、言葉にする。それを、下まで届く形に直す」


 俺は淡々と説明する。

 書記官はただの事務官じゃない。法律、行政、市民への答弁、あらゆる「公式の言葉」を形にする、制度の喉だ。


「特別なことじゃない。だが……俺は少し、向いていた」

「ま、それまでの書記官の翻訳はわかりにくく、結局どうなる?というクレームがよく出たものだが、俺が書記官を務めるようになってからはなくなったな。」

「いつの間にか、『聖省の良心』なんて言われるようになってた」


「良心ですか…?」

「見えないと言いたげだな」


 ミラの単純な疑問に乾いた笑いを浮かべながら、どことなく恥ずかしそうな気持ちを自覚しつつ俺は答える。

 かつて「聖省の良心」とまで呼ばれた男が、今は代筆として制度を利用している。その落差にミラはユージンに何があったのかいっそうの疑問を持つ。


「全部のランクに通じる言葉を作るのが得意だった。難しい話ほど、身近な例にたとえることで、多くの人が納得し物事が円滑に進む」


 彼はそこで、ふっと鼻で笑った。


「今思えば、それがまずかった」

「何がまずかったのですか?」


 ミラにはわからない。円滑という言葉の意味も分からないが、話から何となく想像できる。問題がなかったという意味のはずだ。では、それは良いことのはずだ…


「そうだ。ミラ…疑問を持つことが大切なんだ」

「疑問…」

「簡単なことさ。Sランクにとって必要なのは『理解した市民』じゃない…『理解したつもり』の市民なのさ」

「それってどういう意味ですか?」


 ユージンは答えない。


「その答えはお前が自分でたどり着かないと意味がない」


 まただ…また、ユージンは肝心の部分で答えを言わない


「続けるぞ」

 書記官での功績が認められざるを得なくなったのか、俺は異例の速さで筆頭書記官になった。それと同時に聖省の新人研修を任された。そこには多くの新人がいたが、ひときわ目立つ人間が2人いた。

 一人は、穏やかな笑みを浮かべた男だった。ほとんど口を開かず、質問もしない。ただ、誰よりも長く机に向かい、他人の議論を聞いていた。――アーヴェル。

 もう一人は、周囲の期待を一身に集める新人だった。

受け答えがうまく、質問の仕方も的確で、何より人に頼るのが上手だった。


「……どちらも優秀だったよ」


 ユージンはそう言った。

 だが、その声色は、称賛とも後悔とも取れない曖昧なものだった。


「分からないことを、そのままにしない。誰に聞けば答えが返ってくるか、よく分かっていた。

 ただ、俺のところにはさほど来なかったな」

「嫌われていたんですか?」

「いや、鼻が良かったのさ。仕事はできるが、それが「上の望む形じゃない」ことをしっかり理解していたのだろう。俺のところには最低限のことしか聞きに来なかったな。」


 ミラが怪訝な顔をしている。

 俺はミラの様子を見る。

 さっき、アーヴェルから教えて「もらう」喜びを「与えられる」甘さを知った彼女からしたら、「答えを持っている人間にあまり聞きにいかない」という点は理解しがたいのだろう…。


「それでも、質問に来れば、俺は解答を与えた…。例の作り方・話し方・市民に対する説明のスケジュールの立て方など、『全て』教えた」


 そしてその新人は…『彼女』は、答えを持って帰った。

 俺が噛み砕いた説明を、そのまま使い、正確に再現した。


「覚えが早かった。…いや、正確に言うなら、再現が上手かった。異様なレベルでな…」

「だからか、一度だけ彼女に言われたよ」

『自分一人でやると3日かかっても終わらないことを、ユージンさんの指示通りにしたら、たったの5時間で終わるんですから、びっくりしました』ってな」


 周囲はそれを才能と呼んだ。そもそも、俺のスケジュールを再現できること自体が聖省でも異質に属する部類だった

 だからこそ、彼女は周囲から『若き天才。次代の中核』と呼ばれ、

 俺自身も、その評価を疑わなかった。


「教えることに、疑問はなかった。むしろ、俺と同じようにできる新人に俺も期待するようになっていた」

 

 その言葉には、微かな疲労が混じっていた。

 二年目の終わり、彼女は抜擢された。

 市民対応を専門に扱う部署――市民折衝課の責任者。このポジションを成功させれば、やがては筆頭書記官も目指せる。


「表に立つ仕事で登竜門だ。制度を説明し、納得させ、時には怒りを受け止め、納得させる…Sランクの壁となれるかを試される試練の部署だ」


 引き継ぎ資料は整っていた。想定問答も、過去の事例も、すべて揃っていた。

 最初は、問題なく回った。


「だが、現実は資料通りに動かない」

 

 俺は、そこで言葉を切った。


 「怒ってる市民は、筋道を立ててくれない。予想外の質問を投げてくる。感情をぶつけてくる」


 想定外。

 そのたびに、彼女は言葉に詰まった。


「……彼女は、悪くなかった。彼女なりの言葉で説明を尽くそうとした。俺のやってたたとえを真似ようとしてもいたらしい」

「らしい?…ユージンさんは知らなかったんですか?」

「いったろ?彼女は俺を敬遠していた。ただ、俺のスキルだけは認めていたのか、それを真似ようとしていたというのは同僚から聞いたんだよ」


 それは、私が思っていたよりも静かな断言だった。


「真面目だった。逃げなかった。だが、ことごとく失敗した」


 市民からの不満は、徐々に大きくなった。


「もっと話せるや呼べ」

「あんたの説明は、あの人のように分かりやすくない」

「結局、何が言いたいんだ!」

「あんたじゃ話にならない、責任者を、あの人を呼んでくれ!」


その名前が、何度も出た。


――ユージン。

「俺は……出た」


ユージンは短く言った。


「越権だと分かっていた。だが、あのままでは現場が壊れる」

「すでに、苦情は市民折衝課では処理できず、俺に直接届くところまで来ていた」


 俺が口を開くと、空気は変わった。

 怒りは整理され、疑問は分解され、言葉は届いた。

 市民は帰っていった。

 納得した顔で。


「それで終わりだと思った」


 そして俺は彼女に「最も言ってはいけないこと」を言ってしまった。


「今回の件、経験にしろ。俺のやりかたをよく見ておけ。次に活かせ」


 その言葉に彼女は絶望の色を濃くした。

 今ならわかる。あれは言ってはいけない言葉なのだ


 「翌日以降、彼女の席には、もう誰も質問しなくなった。すべての質問が俺に直接請願されるようになった」

「彼女は活かす機会すら奪われた」


 静かな一言だった。それが何を意味するか、ミラにも分かったようだ。…やはり、賢い子だ…


「俺がやったのは、場を救うことだ。……同時に、彼女の居場所を奪った」

 数日後、彼女は上に呼ばれた。

 Sランクの重鎮たちの前で、彼女が何を話したかは知らない。

 だが、その翌日には今度が俺がSランクに呼び出されて、言われたよ


「越権行為による、担当者への心理的圧力」

「担当部署に適応できる教育ができていない。指導不適格」

「聖省の秩序を乱した罪は重い、筆頭書記官の任を解き、Cランクへの降格を言い渡す」


 俺には弁明の機会はなかった。

すべてが「俺のやりすぎ」になっていた。


「……俺は、否定しなかったし、それを受け入れた」

「なぜですか!おかしいじゃないですか?」


 ミラは納得できない感情をコントロールできないまま大きな声を上げる。


「できなかった」

「組織が『立場上の弱者』を守れなかったら、崩壊することを俺は知っている」

「そしてSランクにとっても都合がよかったのさ」

「さっき、言っただろう?」


「理解する市民は、制御が難しい」

「理解した『つもり』で納得してしまう市民こそ御しやすい」


それが、Sランクの論理であり、この国を維持するのに必要な『前提』なのだ。

俺は、聖省である白亜の塔を降りた。

話が終わっても、しばらく二人とも口を開かなかった。

私は、胸の奥が重くなるのを感じていた。


「……それで、アーヴェルさんは?」


恐る恐る尋ねると、ユージンは目を伏せたまま答えた。


「あいつは、俺に『やりすぎましたね。でも、ここで終わる人じゃない』とだけ言って連絡先を渡してきたよ。」

「やっぱり、アーヴェルさんは優しい人なんじゃないですか?」

「あいつは、お前が思うほどお人よしじゃない」

「…え?」


 ユージンは、かすかに笑った。


「だがな、ミラ。結局俺の過去をどう見るか、今日のアーヴェルをどう判断するかはお前次第だ」


 彼は、万年筆を机に置いた。


「信じるかどうかは、お前が決めろ。俺はもう、誰かに答えを渡す気はない」


 それ以上、彼は何も言わなかった。

 私は、教えてもらえれば何でもできるようになると思っていた…でも…それが違うかもしれない…

 失敗したら終わりというのなら…どうしたらいいのだろう…

 そう思うと、抱えている本がとても重く重く感じた



ユージンが失ったのは、

地位だけではありません。


「正しさを渡せば、人は救われる」

という信念そのものです。


彼がやったことは、

間違いではなかった。

現場は救われ、市民は納得し、混乱は収束した。


けれどその瞬間、

一人の人間の「考える場所」は、静かに奪われました。


答えを持つ者が前に出るほど、

他の誰かは「答えを探さなくていい存在」になる。


それが制度にとって都合がよく、

Sランクにとって望ましい形だったとしても。


ミラがこの話を聞いて感じた重さは、

同情でも怒りでもありません。


「もし失敗したら終わりなら、

私はどうすればいいのか」


それは、

教えられる側が必ず一度はぶつかる問いです。


だからユージンは、

もう答えを渡さない。


優しさではなく、

責任として。


この章で語られた過去は、

終わった出来事ではありません。


ミラがこれから進む道の、

すぐ足元にある落とし穴です。


次の章で問われるのは、

「何が正しいか」ではなく、


それでも、どう進むのか。


――ここから先、

ミラはもう「教えてもらうだけの存在」ではいられなくなるかもしれません。



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