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鉱山町の夜明け  作者: たかのふ


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2/3

 漸く落ち着いてきた心臓を胸の上から押さえながら、ランプを取りにそろそろと近づく。 男の後頭部を見ないように、地面に目を伏せ身を屈めると、さっき手にした石が目に入った。

 咄嗟とはいえ、少女が片手で持つには大きすぎる石だった。

 ノアの口が引きつるように三日月を描き、やがて堪えきれない笑いに変わる。

 壊れたように涙を流し腹を抱え、少女はほとばしる笑いに身を任せた。

 ランプの明かりが震えながら消え、辺りが闇に包まれても――ずっと。

 耳障りな鐘の音が、遠く響く。 ノアと現世を繋ぐ糸が。

 坑道の出口で待つ仏頂面の監督官が古びた分厚い帳面を開き、ノアの名前に大きく斜線を引いて……それでおしまい。

 魔石の鉱山に、古くから伝わる言い伝え。

 夜に山に入ってはいけない。 魔物に魂を取られてしまうから。

 それは坑道の中も同じ。 坑道で夜を明かし戻ってきた者はいない。

 行方不明者はおろか、死体すら坑道の闇に消えてしまう。


(それでも……もう良いや)


 この街で最下層の人間の言い分など、誰にも聞かれる筈がない。

 たとえ運良くこの坑道を無事に抜けたとしても、今度は男を殺した罪で裁かれる運命だ。

 万が一赦されても、その先は娼婦になるか死ぬまで奴隷か――今とさして変わらない道が待っているだけ。

 笑い過ぎて痛む喉を押さえ、ノアは闇を見渡した。

 狭く暗い洞穴の中に、ちらちらと瞬く魔石の光。 赤みを帯びたその美しさに、ほぅとため息が漏れる。


(知らなかった)


 真の闇の中では、魔石はこんなふうに光るのか――

 ランプ一つの乏しい光源でも、明かりの元では魔石の鉱脈は黙したままだ。

 大人の目にはただの石くれ。 子どもには魔石を感じ取れるものの、やはりそれは少し特別な石でしかない。


(宝石のように研磨された魔輝石も、こんな光を放つのかな……)


 惚けて見入っていたノアの傍に、一際強い光があった。 それは男の傍に転がっている、大きな石の隙間から漏れていた。

 乾いた血がこびり付いた表面に、僅かな亀裂が走っていた。 そこから漏れ出す光は、辺りの色味とは違う血のような赤だった。 まるで、男の血の色を吸い取ったかのように。

 気づいたノアが、恐る恐る石に手を伸ばした。 こびり付いて固まった血をぬぐい、掌でこする。

 表面に固まった土を掻き落とすと、石は益々光輝いた。

 長いこと魔石の鉱脈を見続けきたノアだが、こんなに大きく美しい魔石は見たことがない。

 ノアはすっかり汚れを落とした魔石をとっくりと眺め、おもむろに頬を寄せた。

 やつれ汚れた頬を涙が滑り、魔石の上に滴る。


「良い味だ」


 腹の底に響く低い声音が、ノアの耳に届いた。

 びくりと震えた少女の手から魔石が転げ落ち、男の体に当たる。 途端男の体が崩れて、人の形をした一山の土に変わった。


「これは不味い上に、寝起きの一口には物足りぬが」


 魔石が光を伸ばし、硬直するノアの膝に触れた。 光が触れたそばから擦り傷に滲んだ血が消え、新たな肌が現れた。 少女の肌に残る傷を辿る度に、光が質量と実体を増す。

 体一面を覆い尽くした光がノアの口端を拭い終わった頃には、光はぬめりとした半透明の塊へと変貌していた。

 塊は、奴隷の宿舎で出される粥に似ていたが、粥よりも弾力があり表面がつるりと乾いていた。

 薄黒く曇った塊の中央に、さっきまでノアが握っていた魔石が見え隠れしている。

 塊はノアの体を包んだまま体の一部を触手のように伸ばすと、壁に埋もれた魔石の欠片をせっせと取り込み始めた。

 取り込みながら美味いやらこれは今ひとつなどと独りごちる声が、肌を通して伝わってくる。


「……あの……」

「……なんだ」


 慄きのあまりに固まっていたノアが、恐る恐る声を出すと、塊がもの憂げに答えた。

 顔や目のありかは分からないが、不思議なことに存在の意識が少女に向かっているのは感じられる。


「あなたは、誰?」

「吾輩か?」


 塊は首をひねるように意識を傾け、岩壁の一つを砕いた。


「己が何者か、吾輩はとんと知らぬ。 その昔、人間どもには魔王とも呼ばれておったが」

「魔王……」

「吾輩を討伐に来た勇者が、吾輩を指さしてそう叫んでおったのだ」


 幼い頃に孤児院で読み聞かされた物語を、ノアはぼんやりと思い出す。

 その昔魔の山をねぐらに大暴れしていた悪い竜と、それを退治しお姫様と結婚した勇者の話を。


「奴に体を滅ぼされ、吾輩は長い眠りについていたのだが、今さっき漸く目覚めることができた」


 かかかと笑いながらも、魔王は次々と壁を崩し魔石を取り込んでいる。


「目覚めのきっかけは、清らかな乙女の絶望。 お前の血と涙と慟哭が、吾輩を呼び覚ましたのだ」

「……」

「なにを震えておる? もしやお前を吾輩が害するとでも?」

「いえ……まさか」

「吾輩を目覚めさせたお前は、もはや吾輩のともと言えように」


 その台詞を最後に見えない口を閉じ、魔王は再び精力的に食事に取りかかった。

 隧道がどんどん崩れ広がり、魔王の体に取り込まれる。 魔石が魔王の体内で星のように煌めきを放ち、淡く溶けていく。

 魔王が進んだ後には残土がうず高く積まれ、そしてまた隧道の壁が崩されて――


(凄い……こんなにどんどん掘り進められるなんて……ああ、大きな魔石が出てきて、じゅわっと溶けて……なんて綺麗)

「そうだな。 綺麗な命ほど美味い」

(うまい……?)

「左様。 美味い命には中々出会えぬ。

 獣の命は淡白でさらりと喉を滑るものが多いな。 無垢な赤子の命は小粒だが甘くてほろりと溶ける。

 老練な騎士や戦士の命は噛みしめると深いコクがある。 悪徳を尽くした者の命も口に合えば中々の味わいだな」

(はぁ……)


 美食の記憶を辿る魔王の弁舌は止まらないが、食の楽しみを感じたことのないノラは、ただ生返事を返すことしかできなかった。

 魔王は反応の薄いともに鼻白んだようだったが、得たりと頷いた――次の瞬間、


(うわぁ……っ)


 ノアの口いっぱいに、じわりと甘さが広がった。 魔王の触手が見せつけるように一つの魔石を持ち上げ、おもむろにそれを取り込む。 今度は炒った豆のような苦み交じりの香ばしさが感じられた。


「お前の舌を吾輩の舌と繋げてみた。 どうだ?」


 得意げな声に全力で首を振るノアだったが、次に送られた生臭い渋みにはたまらず咽せた。


「命の味は千差万別。 今は力を取り戻す為に、選り好みせず食べずにはおれぬが、いずれは美々しい命だけを食する日が来よう」


 優しげな声の端から容赦なく送られてくる様々な味を、涙目になりながらノアは咀嚼し続けた。


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