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LUMINESCENCE:PHANTOM ECHO  作者: ハナサワリキ
ニ・黎明
8/48

燈る灯り、拭えぬ不安

 夢ではなかった。


 目を覚ました瞬間、龍之介は昨日の光景を思い出した。


 ヘリの窓から見下ろした、青波の町。

 いや、そこに町はなかった。


 焦げた大地。

 灰に覆われた影。

 見慣れたはずの道路も、家々も、すべてが跡形もなく消えていた。


「……夢じゃなかったんだ」


 乾いた喉を潤すように、ゆっくりと息を吐いた。

 胸の奥にこびりついた違和感が、目覚めとともにじわじわと広がっていく。


 ここは、燈の森。


 元は小学校だった場所。

 今は、アルカディアが設営した孤児院になっている。


 龍之介が泊まったのは、旧校長室だった。

 本来はゲスト用の部屋として使われているらしいが、昨夜は遅い時間に到着したため、一時的な個室としてそこをあてがわれた。


 木製の机が隅に寄せられ、簡易ベッドが置かれているだけの簡素な部屋。

 壁には、古びた掲示板や、誰が使っていたのか分からない本棚が残されていた。

 他の子供たちとは、まだ会っていない。


 ──明日には、相部屋に移ることになるらしい。


 龍之介は布団を抜け出し、窓際へと歩み寄った。

 木製の窓枠に手をかけ、外を見つめる。


 窓の向こうには、森が広がっていた。

 深い緑が濃淡を作り、朝の光を受けてわずかに揺れている。

 まだ薄く霧がかかっていて、奥のほうは霞んで見えた。


 ──燈の森。


 青波とは、まるで違う場所。

 耳を澄ませば、梢を渡る風の音と、小鳥のさえずりがかすかに聞こえる。


 ……そして、あの時、もう一つ見たものがある。


 LUX(ルクス)


 山々に囲まれた森の中に、不自然にそびえ立つ巨大な建造物群。

 高くそびえる無機質な壁、整然と区画された施設。

 森の中に埋め込まれた異物のように、そこだけが周囲の自然から浮いていた。


 何をする場所なのかは分からない。

 けれど、あれほど大きな施設があるということは、それだけの理由があるのだろう。


「LUX……アルカディア……」


 ぽつりと呟いた。


 俺たちはアルカディアに助けられた。

 舞も、悪い人間には見えない。


 けど……不安が拭えない。


「おはよ、龍之介くん」


 不意に、背後から穏やかな声がかかった。


 振り向くと、そこには舞が立っていた。


 白衣の袖を軽くまくり上げ、片手にはマグカップを持っている。

 昨夜の疲れが抜けきらないのか、目元にはうっすらとしたくまが浮かんでいた。


「朝から難しい顔してるね」


 そう言って、舞はわずかに微笑んだ。


「朝ごはんの時間よ。お腹減ってるでしょ?」


 舞はそう言うと、手に持っていたマグカップを軽く傾けた。

 白い湯気がふわりと立ち上る。


「……別に、そんなに」


 龍之介はそう答えたが、胃の奥が小さく鳴るのを感じた。

 昨日の昼から、何も食べていない。


 舞は肩をすくめ、軽く笑う。


「素直じゃないなぁ。でも、いいの。どうせ食べるんだから」


 そう言って、彼女は踵を返した。


「さ、行きましょ」


 龍之介は、ゆっくりと彼女の後についていった。


 廊下を歩きながら、龍之介はぽつりと尋ねる。


「……綾は?」


 舞の足が、一瞬だけ止まった。


「容態は安定してる。でも、まだ目は覚ましてないわ」


 舞の言葉に、龍之介は小さく息を飲んだ。

 静かすぎる沈黙が、流れる。


「後で会わせてあげる。ちゃんと休んでるから、心配しすぎないでね」


 舞の声は、いつも通りの穏やかさを保っていた。

 けれど、その裏側に何かを隠しているようにも感じられた。


 ***


「さ、ここが食堂よ」


 舞が扉を押し開くと、温かい空気と、ほのかに漂うパンの香りが広がった。


 広い空間。

 元は体育館だったのだろう。

 白く塗られた壁に、いくつかの長机が並び、その周りには子供たちの姿があった。


 ざわ……


 龍之介が足を踏み入れると、いくつもの視線が向けられた。

 子供たちは小声で囁き合いながら、ちらちらとこちらを窺っている。


 この場所に馴染んでいないことを、一瞬で悟った。

 まるで知らない街に迷い込んだ旅人のような、居場所のなさ。


「おはようございます、舞先生」


 柔らかく、それでいてどこか落ち着いた響きを持った声だった。


 龍之介が視線を向けると、一人の少年が立っていた。

 端正な顔立ちに、落ち着いた眼差し。

 そして、首元で銀のネックレスが、淡く光を反射していた。


「その子は……新入りですか?」


 舞は軽く頷き、龍之介の肩を叩く。


「ええ、昨日の夜に来たばかりなの。羽瀬龍之介くんよ、よろしくしてあげてね」


 少年は一瞬、龍之介を見つめ、それから少し笑んだ。


「そっか。じゃあ、羽瀬くん、一緒に食べようよ」


 少年はそう言って、軽く手を差し出した。


「僕は伏見翔(ふしみしょう)。よろしくね」


 龍之介は、その自然な誘いに少し戸惑いながらも、手を握り返した。


「……ああ、よろしく」


 翔は微笑んだまま、長机のほうへと手を向ける。


「こっちの席、空いてるよ」


「じゃ、翔くん。龍之介くんをよろしくね」


 舞はそう言うと、マグカップを持ち直し、ゆっくりと立ち去ろうとした。

 しかし、ふと思い出したように足を止め、振り返る。


「あ、そうそう。ご飯が終わったら、軽く燈の森を案内してあげて」


「……燈の森を?」


「ええ。まだどこにも行ってないでしょう?」


 そう言いながら、舞は軽く指をさした。


「それと、その後は私のところに連れてきてくれる?」


 翔は少し頷き、穏やかに微笑む。


「わかりました」


「頼んだわよ」


 そう言い残し、舞は食堂を後にした。


「じゃあ、行こうか」


 翔に促され、龍之介は食事を取るためにカウンターへと向かった。


 長いステンレス製のカウンターには、いくつかの料理が並んでいる。

 スープ、パン、スクランブルエッグ、サラダ、ハム……

 決まった食事が配られるのではなく、好きなものを選べるビュッフェ形式だった。


 龍之介は適当に皿を手に取り、パンとスクランブルエッグ、それにハムを乗せる。

 翔はサラダを多めに取り、スープとパンを選んでいた。


「朝はあんまり食べないのか?」


「ん? ああ、そういうわけじゃないけど、なんとなくね」


「ふーん……」


 翔はトレーを持ちながら、ふっと笑う。


「それに、食べすぎると動くのが面倒になるし」


「……?」


 なんとなく意味がわからなかったが、龍之介は特に気にせず、二人で適当な席に座った。


「ねえ、羽瀬くんはどこから来たの?」


 翔がパンを千切りながら、何気なく問いかける。


「……青波」


 その一言に、翔の手が一瞬だけ止まった。


「ああ、そうなんだ……」


 それ以上、何も聞いてこないのが、逆に気になった。

 だが、翔は無理に話を続けようとはしなかった。


「じゃあさ、好きな食べ物は?」


「……」


「……」


「……別に、特にない」


「そっか」


「お前は?」


「うーん……強いて言えば、焼きたてのパンかな」


「パン?」


「うん。温かくて、ちょっと甘いやつ」


(意外と普通だな……)


 なんとなく、それを聞いて少しだけ気が楽になった。


 何気ない会話を交わしていると、ふと龍之介の視線が翔の首元に留まる。

 銀のペンダント。


 その中央には、どこか見覚えのある鉱石が嵌め込まれていた。


「……その石」


 龍之介がそう呟くと、翔は少し驚いたように自分のペンダントを触る。


「ああ、これ?」


 指で軽く弾くと、淡く光る鉱石がわずかに揺れた。

 小さな音はしなかったが、揺れた光だけが、どこか響くようだった。


「ルミナイトだよ」


 ルミナイト。

 その言葉を聞いた瞬間、龍之介の脳裏にあの時の記憶がよみがえった。


 ──洞窟の奥で見つけた、あの鉱石。

 ──崩壊した青波の中で、綾とともに触れた光。


(あれが……ルミナイト……)


「父さんと母さんがアルカディアでルミナイトの研究をしててね。これ、貰ったんだ」


「……父さんと母さん?」


「うん」


 その言葉とともに、翔の表情が少しだけ翳る。


 ──ここは、孤児院だった。


 龍之介は、翔の両親もまた、事故か何かでいなくなったのだと察した。


 翔はそれ以上何も言わず、ルミナイトのペンダントを指でなぞる。

 その仕草は、愛おしむようで、同時にどこか切なかった。


「……まあ、大事なものなんだ」


 それだけ言うと、翔はまた何事もなかったかのように微笑んだ。


 ***


 食事を終えると、翔はトレーを片付けながら軽く手を振った。


「じゃあ、行こうか」


 龍之介は何も言わずに立ち上がり、翔の後をついていった。

 食堂を出ると、朝の冷たい空気がかすかに肌を撫でる。


「ここはもともと小学校だったんだ」


 翔はそう言いながら、広い廊下を歩き出した。


 窓の外には、まだ霧が薄く残る中庭が広がっている。

 並ぶベンチ、遊具のあったと思われるスペース──。

 だが、その端の方にはブルーシートがかけられた資材や、足場が組まれた場所がいくつも見えた。


「工事中?」


 龍之介が何気なく問いかけると、翔は頷いた。


「うん。アルカディアが改築してるんだ。まだ全部は終わってないみたいだけどね」


 よく見ると、校舎も部分的に新しい建材と古い部分が混在している。

 廊下や教室は年季が入っており、鉄筋コンクリート造りだがどこか古めかしい。

 一方で、新しく増設されたエリアは、無機質な灰色の壁や大きなガラス窓が目立っていた。


「なんだか……ちぐはぐだな」


 龍之介がぽつりと呟くと、翔はクスッと笑う。


「まあ、そうかも。でもそのうち馴染んでいくんじゃない?」


「ここが教室。基本的に、普通の学校と同じように授業を受けるよ」


 翔は足を止め、開け放たれた教室の扉を指差した。


 中では数人の子供たちが机を並べ、何かのプリントを広げている。

 彼らの年齢層はバラバラだが、明らかに同じ年代の子ばかりが固まっていた。


「授業はね、低学年、高学年、中学生って感じで分かれてるんだ」


「ふーん……」


「国語、算数、理科、社会……普通の学校とほとんど同じだよ。教えるのは、アルカディアの職員だけどね」


 龍之介は軽く眉をひそめる。


「外から先生を呼んだりはしないのか?」


「うん。アルカディアが管理してるからね」


 それ以上、翔は特に気にせず話を続けた。


「あと、出入りは自由だけど──」


 翔はふと立ち止まり、廊下の窓の外を指差す。


「見ての通り、燈の森は周りを森に囲まれてる。むやみに外に出ると、迷うことになるかもね」


 龍之介は窓の外を見た。

 濃い緑の木々が遠くまで広がり、地面には朝霧がまだ薄く漂っている。


「……森の外には、何があるんだ?」


「うーん……特に何もないよ」


「特に何も?」


「本当に森しかないんだ。道もないし、地図にも載ってないような場所だしね」


 そう言いながら、翔は軽く肩をすくめた。


「だから、外には出ない方がいいと思うよ」


 龍之介は無言で森を見つめた。

 昨日、ヘリの中から見たLUXの建物群が脳裏をよぎる。


(本当に、何もないのか……?)


 けれど、翔の言葉を否定するだけの材料はなかった。


「……わかった」


 龍之介がそう答えると、翔は満足そうに微笑んだ。


 ひと通り、燈の森の案内は終わった。


 校舎の中を歩き回り、教室や職員室、倉庫、図書室などを一通り見て回ったが──

 特におかしな点はなかった。


 確かに、あちこち工事が進められてはいるが、

 それも単なる改築の範囲内に収まる。


(……考え過ぎなのか?)


 アルカディアへの漠然とした不信感は、あの事故の記憶とともにこびりついていた。

 けれど、この施設を見た限りでは、何か裏があるようには思えない。


 結局、ここはただの小学校を改築した孤児院なのだろうか。


 ふと、校庭の端に視線を向ける。


 校舎から少し離れた位置に、小さな建物があった。

 学校の他の施設とは異なり、無機質な灰色の外壁で囲まれている。

 周囲には簡易的なフェンスが設置され、入り口には「関係者以外立入禁止」のプレートが掲げられていた。


「……あれは?」


 龍之介が問いかけると、翔は一瞥してから答えた。


「あれは療養施設だね。保健室じゃ手に負えない場合、あそこで治療を受けるんだ」


(……じゃあ、綾もあそこに)


 龍之介は無意識のうちに拳を握りしめた。


「基本的に、職員しか入れないようになってるよ」


 翔は特に気にする様子もなく、そう付け加えた。


「……そうか」


 龍之介は、もう一度その建物を見つめる。


 静かに佇むそれは、どこか校舎とは異なる、閉ざされた空間のように感じられた。

 

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