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LUMINESCENCE:PHANTOM ECHO  作者: ハナサワリキ
一・崩壊
7/48

ようこそ、燈の森へ

「……は? 綾をどこに連れて行くって?」


龍之介の声が、避難所の一角に響いた。

その場にいた医療班の大人たちが、一瞬だけ動きを止める。


「綾さんの容態が、思ったよりも回復しない。このままだと危険だから、大きな病院に移送することになった」


淡々と告げられた言葉に、龍之介は食い気味に返す。


「じゃあ、俺も行く!」


即答だった。

当然のように言った。

それなのに、大人たちは、当然のように首を横に振った。


「……すまない。病院も今は手一杯なんだ」


「は?」


「この状況じゃ、入院できる人数にも限りがある。搬送できるのも、本当に必要な患者だけだ」


「だから綾は連れて行くんだろ!?」


「そうだ。だからこそ、余分な同行者を乗せる余裕がない」


 喉の奥が熱くなった。

 沸騰するような感情が、胸を突き上げる。


「ふざけんなよ! 俺が綾を看るんだ! 俺も行く!」


 その声に、大人たちの顔色がわずかに曇る。

 だが、返ってきたのは、申し訳なさそうな拒絶だった。


「分かるよ、君の気持ちは。でも、本当にギリギリなんだ」


 ギリギリ?

 そんなの知るかよ。


 奥歯を噛み締め、拳を握る。

 体の奥から湧き上がる焦燥感。

 怒りと、恐怖と、どうしようもない無力感。


 ──どうすればいい?

 何か、何か手はないのか……?


「俺だって……!」


 叫びかけたその時、ポケットの中で、指が何かに触れた。


 ──そうだ……!


 取り出したのは、舞の名刺だった。


 一瞬、龍之介は息を呑む。

 けれど、すぐに顔を上げ、勢いよくそれを突き出した。


「これを見ろよ!」


 ほぼ怒鳴るように。


 医療班の大人たちは、名刺を受け取ると、ピクリと動きを止めた。

 空気が変わった。


「……アルカディア?」


 誰かが小さく呟く。

 周囲のスタッフが、目配せしながら小声で言葉を交わす。

 龍之介には、その内容は聞こえなかった。

 けれど──

 何かが変わったのは、はっきりと分かった。


 ──なんなんだ?


 一人のスタッフが、名刺を持ったままどこかへ走り去る。

 龍之介は、その背中を睨むように見つめた。


「なんだよ……」


 ただ待たされる時間が、無性に長く感じる。

 隣では、綾の荒い息遣いが耳に刺さる。


 ──時間がないのに、なんで待たなきゃいけないんだよ……!


 イライラが募る。

 名刺を渡したことで、確かに流れは変わった。

 でも、まだ何も分からない。


 数分後。

 戻ってきたスタッフが、息を整えながら言った。


「先方と連絡が取れた」


 龍之介は、思わず息を詰めた。


「綾さんと君を、アルカディアの施設で受け入れるそうだ」


 その言葉は、やけに遠くで響いた。


 二時間後。


 遠くから、ヘリのローター音が聞こえた。

 空気を震わせる低い響きが、ゆっくりと近づいてくる。


 龍之介は、待ちくたびれたように立ち上がった。

 すぐ隣で座り込んでいた綾も、薄く目を開け、かすかに顔を上げる。


 その時、舞が乗るヘリが視界に入った。


 機体の側面には、英字のロゴがある。

「Arcadia Industries」──アルカディア。


 その名を目にした医療スタッフの一人が、ぽつりと呟いた。


「アルカディア……」


 ヘリが着地すると、舞がすぐに降り立った。

 以前会った時と変わらない軽やかな足取りで、龍之介の前まで歩いてくる。


「役に立てたみたいね」


 そう言って、舞は微笑んだ。

 けれど、その笑顔はどこか気まずそうで、ほんの少しだけ、無理をしているように見えた。


「綾ちゃんの容態はどう?」


「いいから……早く乗せてくれ!」


 龍之介の言葉に、舞はひとつ頷いた。


「分かったわ。すぐに運ぶから、待ってて」


 舞が医療スタッフに指示を出すと、二人のもとへ数人が駆け寄る。


「綾ちゃん、ゆっくり横になれる?」


 龍之介が支えようとするが、綾はほとんど力が入らないようだった。

 医療スタッフが優しく声をかけながら、慎重にストレッチャーへと移す。


 綾のまぶたがかすかに動き、薄く開いた。


「……りゅう…ちゃん……」


 その手を、龍之介は強く握り返した。


「大丈夫だ、すぐに行く」


 綾は小さく頷くと、再び静かに目を閉じた。


 ヘリの中へと運ばれていくストレッチャーを、龍之介はじっと見つめる。

 迷うことなく、その後を追い、機内へと乗り込んだ。


 ヘリがゆっくりと上昇していく。

 窓の外に広がる風景が、少しずつ遠ざかっていった。


 龍之介は、綾の側に座ったまま、ふと窓の外に目を向ける。

 その瞬間、視線が、ある一点に釘付けになった。


 遠く、霞の向こうに広がる広大な荒野。


「……あれ……?」


 思わず、言葉が漏れた。


 そこには、何もなかった。


 ──青波だけじゃない。


 かつて青波の隣町だった場所も、さらにその隣町も。

 原発を中心に、広範囲にわたってまるごと消えていた。


 家も、店も、学校も、道路も。

 ただ、焼け焦げた大地が広がるばかりだった。


「……嘘、だろ……」


 消滅している。


 焦げた地面。

 黒く爛れた土地。

 わずかに残る瓦礫。

 ねじ曲がった鉄骨や、建物の基礎部分すら、そのほとんどが跡形もなく消えている。


 ──まるで、何もかもを根こそぎ飲み込むような破壊。


 原発事故で、こんなことが起こり得るのか?

 ただの爆発や火災の跡とは、まるで違う。

 何か異質なものが、すべてを消し去ったかのような光景だった。


 これが、青波だった場所?


 龍之介は、無意識に隣に座る舞を見た。


 舞は、窓の外を見つめたまま、何も言わなかった。

 ただ、拳をぎゅっと握りしめていた。


 龍之介は、もう一度窓の外を見た。


 何もない。


 それが、すべての答えだった。


 舞は知っていたのか?


 ──いや、知っていたんだろう。


 最初から、この景色が広がっていることを。


 なのに、あの時、真実を伝えなかった。


「分からない」と言った。


 本当に、分からなかったのか?

 それとも──言えなかったのか?


 龍之介の胸の奥に、じわりと熱がこもる。

 怒りとは違う、もっと重く、鈍いもの。


 彼女を責めるべきなのか、それとも──。


 ただ、やりきれなさだけが残った。


 視線が、舞へと向かう。

 舞も気づいたのか、龍之介と目が合った。


 けれど、彼女は何も言わなかった。

 わずかに眉を寄せ、唇を噛み、そして静かに視線を逸らした。


 ***

 

 青波の残骸が遠くなり始めた頃、龍之介はもう一度窓の外を見た。


 ──異様なものが見える。


 山々に囲まれた緑の中、突如として現れる巨大な建造物群。

 無機質な壁、高くそびえるアンテナ、整然と並ぶ区画。

 まるで森の中に埋め込まれた異物のようだった。


「……あれは?」


 龍之介がぽつりと呟く。


 舞が淡々と答えた。


「『Arcadian Luminite Research & Development Institute』──通称、ALRDI(アルディ)


 そして、付け加えるように口を開く。


「私たちはLUX(ルクス)と呼んでいるわ」


「……LUX?」


 舞は軽く頷く。


「アルカディアの研究施設よ」


 龍之介の眉が、わずかに動いた。


「もともと、この辺りには村があった。でも、高齢化が進んでいて、ほとんどの家が空き家だったようね」


「……村?」


「限界集落ってやつよ。研究施設の建設が終わる頃には、もう誰も残っていなかったみたい」


 言われてみれば、施設の周りにぽつぽつと古い木造家屋のようなものが見える。

 人の気配は、なかった。


 ヘリはLUXを迂回し、さらに奥へと進んでいく。


 しばらくして、機体の下に現れたのは、森に囲まれた校舎だった。

 山間にひっそりと佇む、古びた建物。

 けれど、窓の隙間からはわずかに灯りが漏れている。


 舞が、ふっと息をつくように呟いた。


「……あれが、燈の森」


 機体がゆっくりと高度を下げ、旋回しながら着陸体勢に入る。

 プロペラの振動が、地面へと近づく鼓動のように響いた。


「着いたわ」


 舞の言葉と同時に、ドアが開け放たれる。

 冷たい森の空気が、肌を撫でた。


「ようこそ、燈の森へ」


一・崩壊・完

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