幸せのタネ
舞の部屋を出て、研究棟の出口へと向かう3人。
通路の窓は割れたまま。
そこから入り込む風が、焦げた匂いを微かに運んでくる。
床には黒い焼け跡が点々と残り、壁のひび割れが、数日前の事件の爪痕を生々しく物語っていた。
静かすぎる空間に、足音だけが響く。
そんな中——
ジェイクが気楽な調子で口を開く。
「おい龍之介、そう神妙な顔すんなよ」
ナディアも横目で龍之介を見ながら、軽く肩をすくめる。
「そうよ、暗い顔してると本当に悪いことが起きちゃうわよ?」
龍之介は少し間を置き、息を吐いた。
「……ああ、そうだな」
無理にでも気持ちを切り替えようとする。
だが、心の奥にわだかまる違和感は、そう簡単に消えてくれなかった。
そんな中——
ナディアがふと思い出したように問いかけた。
「ところで、綾ちゃんは大丈夫そうなの?」
ジェイクも頷く。
「あの時、相当ショック受けてたみたいだしな」
事件以来、お互い後片付けに追われてて、あまり綾と話せていない。
龍之介は少し視線を落としながら答えた。
「本人は大丈夫とは言ってるけど……あんまり眠れてないみたいだな…」
それを聞いて、ジェイクとナディアの表情が少し曇る。
ナディアが小さく息を吐きながら、苦笑する。
「まぁ、そうよね……あんなことがあったばかりだもの」
ジェイクも腕を組みながら、ゆっくりと頷いた。
「そういえば、今日病院に行くって言ってたな」
ジェイクが眉をひそめる。
「病院? やっぱどこか悪いのか?」
龍之介は少し視線を落としながら答えた。
「いや、簡単な検査だって言ってたけど……」
ナディアが腕を組み、じとっと龍之介を見つめる。
「まったく……龍之介ちゃん、心配じゃないの?」
その言葉に、龍之介は思わず声を荒げる。
「そりゃ! 心配に……決まってんだろ……!」
言った瞬間、息を詰まらせる。
自分でも驚くほど強く、声が出ていた。
ジェイクとナディアが、一瞬だけ目を見開く。
「……けど」
龍之介は視線を落とし、拳を握りしめる。
けど、俺には何もしてやれないから——。
その言葉は、胸の中だけにしまい込んだ。
ジェイクとナディアは、そんな龍之介の様子を見て、あからさまにため息をつく。
「お前さ、今日もう帰れ。上にゃうまく言っとくからよ」
ジェイクが肩をすくめながら言う。
龍之介は驚いたように顔を上げた。
ナディアも微笑みながら続けた。
「そうね、たまには龍之介ちゃんがご飯でも作ってあげて、綾ちゃん元気づけてあげなさいよ」
軽く言っているようで、その目には優しさが滲んでいた。
龍之介は一瞬、言葉を詰まらせた。
「でも……」
龍之介が迷うように口を開くが、ジェイクが軽く手を振って遮る。
「いいからいいから、早く行け」
ナディアも微笑みながら続けた。
「ちゃんと美味しいもの作ってあげるのよ?」
龍之介は一瞬、言葉に詰まる。
行きたい。綾のそばにいたい。でも——。
ほんのわずかに足が止まりかけたその瞬間。
「行けって言ってんだろ?」
ジェイクがわざとらしくため息をつきながら、背中を軽く押した。
龍之介は一瞬、驚いたように振り向く。
そして——。
「……悪い……二人とも、ありがとう!」
短くそう言うと、二人の気遣いに込み上げてくるものを隠すように、背を向けて走り出した。
ジェイクとナディアはその背中を見送りながら、互いに小さく笑った。
ナディアがふっと肩をすくめる。
「素直じゃないんだから、もう」
ジェイクも小さく鼻で笑う。
「ま、それが龍之介らしいってことだろ」
ナディアは小さく頷きながら、歩き出す。
ジェイクも、それに続いた。
***
買い物袋をテーブルに置きながら、龍之介は軽く息をついた。
「……ハンバーグ、だったよな」
そう呟きながら、エプロンを手に取る。
綾が前に美味しいと言ってくれたから、また作ろうと思った。
料理は得意じゃないが、あの時は意外と上手くいった気がする。
だから今回も、きっと——。
そう思いながら、ひき肉のパックを開ける。
ボウルに入れ、卵を割り、パン粉と玉ねぎのみじん切りを加えた。
ここまでは順調。
龍之介は軽く息を吸い込み、手を動かし始める。
「……意外と、冷てぇな」
ひき肉の感触に少し驚きながらも、指を動かしてこねていく。
ぐっと力を入れ、押しつぶすように混ぜる。
けれど、何かが違う気がする。
前回はどうやってやったんだったか。
綾が「よく練ると美味しくなるよ」って言ってたような……。
少し迷いながらも、手を止めずに混ぜ続ける。
「こんなもんか?」
一度手を止め、ボウルの中を覗き込む。
とりあえずまとまってはいる。
次は、形を作る工程——。
「……あれ、どのくらいの大きさにしたっけな」
適当に手のひらで丸めるが、なんとなく大きすぎる気がする。
けど、やり直すのも面倒だし、このままでいいか。
そう思いながら、なんとか成形し終えた。
次は焼きだ。
フライパンを火にかけ、油を敷く。
ジュワッと音を立てて、ハンバーグが焼かれ始める。
ふと、龍之介の顔が少し真剣になる。
「……ちゃんと中まで火が通るよな」
不安になりながら、じっとハンバーグの焼き加減を見つめる。
目の前でじゅうじゅうと焼かれていく肉。
香ばしい匂いがキッチンに広がり始める。
——この匂いを嗅いだら、綾はどんな顔をするだろうか。
「え、龍ちゃんが作ったの?」
驚いたように目を丸くして、
でも、すぐにふっと柔らかく微笑んで——。
「すごい、おいしそう」
そう言って、嬉しそうに食卓に座る姿が脳裏に浮かぶ。
思わず、龍之介の口元がわずかに緩んだ。
「……ま、ちゃんと焼けたらの話だけどな」
小さく息をつき、フライ返しを手に取る。
ジュッと弾ける油の音が、静かな部屋に響いた。




