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LUMINESCENCE:PHANTOM ECHO  作者: ハナサワリキ
一・崩壊
2/48

隔絶の光

 ぽつ、ぽつ。


 静寂を切り裂くように、微かな水滴の音が響いた。


 洞窟の壁に埋まる藍碧色の鉱石が、心臓の鼓動のようにかすかに光を瞬かせる。


 ──青波の外れ、林の奥深く。


 草木は鬱蒼と生い茂り、子供が立ち入るにはあまりに険しい道のり。

 けれど、龍之介と綾は小さな隙間を見つけ、獣道のような細い道を抜けてきた。


 ここは、二人だけの秘密の場所だった。


 洞窟の入り口は、草木に覆われている。

 ほんの偶然。

 鬼ごっこをしていたあの日、逃げる途中で見つけたのが始まりだった。


 洞窟の奥を照らすのは、壁一面に埋まった奇妙な鉱石。

 昼でも夜でも変わらず、藍碧色の光を、淡く、ひそやかに湛えている。


 龍之介はしゃがみ込み、その光をじっと見つめた。


 ──光は、かすかに脈打っているように見えた。


 指を伸ばし、そっと触れる。


 冷たい。


 思ったよりも滑らかで、まるでガラスの表面みたいだった。

 それでいて、生き物のような、妙な温度があった。


「なぁ、この石って、なんなんだろうな?」


 ぼそりと呟く。


 その声に、少し離れた壁際で寄りかかっていた綾が肩をすくめた。


 揺れる光が、綾の黒髪を藍碧色に染める。

 大きな瞳は暗がりの光を映し込み、夜空みたいに深く瞬いていた。


「またその話?」

「龍ちゃん、前にも同じこと言ってたよ」


「だって気になるだろ」

「普通の石と違って光るし、叩くと反応するし……なんか変じゃね?」


 綾は短く息を吐くと、壁に背を預けた。


「うーん……」


 ぽつ、ぽつ。


 奥から響く水滴の音が、静寂をより深くする。

 藍碧の光が、わずかにまたたいた。


 龍之介は天井を見上げる。

 岩肌に埋まる無数の鉱石が、まるで星のように輝いていた。


 ──この洞窟を見つけて、もう二年。

 何度も来たけど。

 こうして改めて見ると、やっぱり変な光だ。


 綾がふと、思い出したように言う。


「この間、本で読んだんだけどさ」

「光を当てると光る石って、あるらしいよ。なんて言ったっけ……蛍光石? そういうのの仲間なんじゃない?」


 龍之介は顎に手を当て、考え込む。


「でもさ」

「それだったら日光とかライトが必要だろ?」

「でもこいつは、俺たちが声を出したり、手を叩いたりすると光るんだよ」


 綾は小さく頷いたあと、指で鉱石の表面を軽く弾いた。


 コンッ。


 瞬間、周囲の光が淡く揺れる。


「確かに、普通の石がこんなことするのは変だよね……」


 龍之介は足元に転がる小石を拾い上げた。

 そして、壁に向かって軽く投げる。


 コツン。


 音とともに、無数の鉱石がふっと明るく光った。

 それは、呼吸のような、心臓の鼓動のような光だった。


「実験なら、俺たち散々やったよな」


「そうだね」


 綾は、指を折りながら言う。

 ひとつ、ふたつ、と数を重ねるように。


「大声を出すと、強く光る」

「手拍子みたいなリズムを作ると、それに合わせて光ることがある」

「石を転がしたり、強く踏み鳴らすと、広い範囲で光る」


 龍之介は、ゆらめく光を見つめたまま口を開いた。


「……俺たちの声を、聞いてるみたいじゃないか?」


 その一言に、綾はふっと目を見開いた。


 ぽつ、ぽつ。


 水滴の音だけが響く。

 光の脈動は、かすかに応えるように揺らいでいた。


 二人は、言葉をなくしたまま。


 ただ、淡く揺れる光を見つめ続けた。


 ──その時。


 地面が、かすかに震えた。


 ゴォォォォン──ッ!!


 突如、地鳴りのような振動が洞窟全体を揺さぶった。


「なっ……!?」


 龍之介はとっさに足を踏ん張り、近くの岩に手をついた。

 天井から、砂や小石がパラパラと降り注ぐ。


「龍ちゃん……なに、これ……?」


 綾の声が震える。

 壁に背を預け、怯えた目で周囲を見回していた。


「地震……か?」


 その瞬間だった。


 ドォォォォォン!!


 爆発のような轟音。

 入り口の向こうから、黒煙がうねるように押し寄せる。

 外の光を、跡形もなく塗りつぶしていった。


 続いて──


 藍碧色の光が、洞窟の奥へと静かに流れ込んでくる。


 それは、波紋のように広がり、壁に埋まる鉱石が呼応するように脈動を始めた。

 心臓の鼓動のように、ゆっくりと、しかし確かに。


「うっ……!」


 龍之介は思わず目を細める。

 鮮烈な輝きが、視界を歪ませる。


「龍ちゃん、これ……」


 綾が龍之介の腕を掴んだ。

 その手は、小さく、震えていた。


「わかんねぇ……でも、これ……ただの地震じゃねぇぞ……!」


 次の瞬間。


 洞窟の入り口から、猛烈な風圧が吹き込んだ。


「──っ!?」


 耳をつんざく爆風が、洞窟内を引き裂く。

 重圧が全身を襲い、空気すら奪われる。


「うわああっ!」


 龍之介の体が宙に浮いた。

 そして──


 背中を、岩壁に叩きつけられる。


 激痛。

 視界が、一瞬真っ白に弾けた。


「くそっ……綾!!」


 痛みに顔を歪めながら、必死に目を開く。

 綾の姿を探すと──


 彼女もまた、吹き飛ばされ、地面に転がっていた。


「だ、大丈夫か……っ!」


「う……ん……」


 綾はかすかにうなずいた。

 荒い息が、まだ整わない。


 立ち上がろうとした、その時だった。


 洞窟中の鉱石が、一斉に輝きを放った。


 藍碧色の光。

 けれど、いつもとは違う。


 それは、静かでありながら、圧倒的な存在感を帯びていた。

 空間そのものを支配するような光だった。


「……っ」


 龍之介は、息を呑む。


 その光は、生きているかのようだった。

 壁を這い、床を滑り、洞窟全体に浸透していく。


「龍ちゃん……これ……」


 綾が袖を強く握る。

 小さな手が、かすかに冷たい。


 光は、二人を包み込むように広がり──


 どこか、底知れぬものを孕んでいた。


「……なんだよ、これ……」


 龍之介の指先が、かすかに痺れた。

 体の奥底に、熱が染み込んでいくような感覚。


「……っ」


 綾の呼吸が浅くなる。

 その瞳は深く沈み込み、揺れていた。


 そして──


 光が、弾けた。


 視界が、暗転する。

 耳鳴りが、遠く響く。


 ──静寂。


 気がついた時、すべては元の静けさを取り戻していた。

 光は再び、脈動するだけの、静かな呼吸に戻っていた。


 龍之介は、荒い息を整えながら、周囲を見回す。


 ──そして。


 背筋が凍った。


 道が、消えている。


 崩れ落ちた岩が無造作に積み重なり、完全な壁を作っていた。

 光の筋すら差し込まない。


「……っ」


 土と岩の匂いが、重く、鼻を突く。


「おい……嘘だろ……」


 龍之介は、震える手を瓦礫に触れた。


 押す。

 叩く。

 蹴る。


 ──びくともしない。


「くそっ……おーい!! 誰か!!!」


 叫び声が、虚しく洞窟内に反響する。


「助けて! 誰かいませんか!?」


 綾も、両手で岩を押し、声を張り上げた。


 けれど、返事はない。

 ただ、鉱石の光だけが、静かに呼応するように瞬いた。


「くそっ……!」


 龍之介は拳を握りしめ、岩を殴りつける。


 鈍い衝撃。

 指先に走る痛み。


「いって……くそっ!」


 指の皮が擦り切れ、じんと熱を帯びる。


「おい、綾! こっち手伝え!」


「……うん!」


 二人は瓦礫の隙間に指をかけ、力いっぱい押し上げる。


 けれど──


 微動だにしない。


 岩の壁は、二人の力を拒むように、冷たく沈黙を守っていた。


「嘘だろ……なんで……?」


 龍之介は荒い息を吐いた。

 額から汗が滴る。


 ──このままじゃ、本当に出られない。


 冷たい空気が、肌を撫でる。

 洞窟の奥で、ぽつり、ぽつりと水滴の音が響いていた。


 ──こんなところで、死ぬのか……?


 喉が、かすかに詰まる。

 鼓動が、早まる。


「……っ、考えるな……」


 龍之介は、荒れる呼吸を無理やり整えた。


「……喉、乾いた」


 綾の声が、ぽつりと落ちる。


 その言葉で、龍之介も自分の喉が焼けつくように渇いているのを自覚した。


「……確か、奥に湧き水があったよな」


 二人は言葉少なに、洞窟の奥へ足を向ける。


 光る鉱石が、足元を淡く照らしていた。


 ***

 

 地面に流れる、小さな水の流れ。

 岩の隙間から、冷たく澄んだ水が静かに湧き出していた。


 龍之介は膝をつき、両手ですくう。


 冷たい。


 喉を通る感触が、少しだけ体を落ち着かせる。


 綾も同じように、そっと手を差し出した。

 二人はしばし、無言のまま水を飲み続けた。


 呼吸が、少しだけ静まる。


 だが。


 落ち着いた分だけ、現実が重くのしかかる。


 ──出口は、塞がれたまま。


「……このまま、出られなかったら?」


 心の奥で、誰かが囁いた。

 冷たい水が喉を通るのに、胸の奥がきゅっと詰まる。


「さっきの……地震……だよね?」


 綾が、不安げに言う。


「外は、どうなっているんだろう?」


 龍之介は言葉に詰まった。

 本当に、あれは地震なのか?

 あの光は──?


 藍碧色の波。

 爆風のような衝撃。


 とても、ただの地震とは思えなかった。


 ──でも。


 今、綾を不安にさせるわけにはいかない。


「そうだな……」


「でも、この洞窟が崩れただけなら、外もそんなにひどくないかもしれない」

「すぐに、誰かが探しに来るはずだ」


 口にした言葉が、ひどく苦かった。


 ──本当に、助けは来るのか?


 ここは、二人だけの秘密の場所。

 誰も知らない、この洞窟。


「……大丈夫だ」


 龍之介は、そっと拳を握った。


 洞窟は、ただ静かだった。

 光る鉱石だけが、心臓のように、淡く脈動していた。


 二人はそっと背を寄せ合い、壁にもたれて座り込んだ。


 光は、変わらず優しく、けれど無情に洞窟を照らしていた。

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