舞い降りる黒き翼
講堂の大扉が静かに開く。
高い天井を支える鋼鉄のアーチ、壁面を彩る巨大なスクリーンにはARCの紋章が誇らしげに映し出されている。
厳かな調べを奏でるオーケストラの音色が、広い空間に深く響き渡る。
壇上ではスーツ姿の高官たちが並び、観客席にはARC隊員、研究員、そしてアルカディア関連の重役たちが静かに着席していた。
龍之介はジェイク、ナディアとともに隊員席へと歩を進めた。
視線の先、研究員席の列には見覚えのある姿——綾がいた。
彼女もまた、舞と並んで壇上を見つめている。
「…随分と気取った舞台を用意してくれたもんだな」
龍之介がぼそりと漏らすと、ジェイクが肩をすくめる。
「これが“始まり”だからな、見せつけておきたいんだろ。アルカディアの力をよ」
ナディアはわずかに目を細め、口元に柔らかな笑みを浮かべる。
「さあ、幕が上がるわよ、龍之介ちゃん」
その瞬間、場内の照明が落ち、静寂が訪れる。
式典開始を告げる厳かなアナウンスと共に、一筋のスポットライトが壇上を照らし、一人の男が歩み出る。
アルカディアCOO(最高執行責任者)、エドワード・グレイヴス。
端正なスーツに包まれたその姿は、鋭い威圧感をまとっていた。
「諸君、本日ここに、ARC——Arcadian Regulation Corpsの設立を正式に宣言する」
穏やかさの奥に力を秘めた声が、講堂全体に響く。
「ARCは、適合者がその力を社会の秩序と未来のために発揮する場だ。我々アルカディアは、この組織が新たな防衛の象徴となることを信じている」
龍之介は無言で壇上を見つめ、ジェイクが小声で漏らす。
「立派な“理想”を語るもんだな…」
ナディアが唇の端を持ち上げる。
「言うのはタダだからねぇ」
エドワードの声が続く。
「そして、このARCを支えるのは、ここに集う隊員諸君だ。君たちこそが、人類の未来を照らす光となる」
その言葉に呼応するように、壇上背後のスクリーンが創設隊員の名を映し出す。
そこに——"羽瀬龍之介"の名があった。
「…光、ね」
龍之介は胸の奥にかすかな熱を覚える。
場内が拍手の渦に包まれた、その刹那——。
スピーカーが不気味なノイズを発する。
「——…聞こえるか、アルカディアの“犬”ども——」
緊張が走る。
ジェイクの視線が鋭くなる。
「…何だ?」
スピーカーから響く不気味な声に、前列近くに座っていたARC隊員たちが即座に壇上へ駆け上がり、エドワードを囲んで陣を組む。
空気は一瞬にして張り詰めた。
「警戒態勢、維持しろ!」
鋭い指示が飛ぶ。
ジェイクが低く唸る。
「穏やかじゃねえな…」
観客席では、綾と舞が固唾を呑んで壇上を見つめていた。
再び、スピーカーが静寂を裂く。
「聞け、アルカディアよ——この欺瞞に満ちた舞台を、今、終わらせてやる」
言葉が響いた刹那、場内の照明が一斉に落ち、深い闇が講堂を呑み込む。
「上よ!」
ナディアの声が、闇を裂くように響いた。
龍之介は反射的に視線を上げる。
視界のサーモグラフィーが、天井付近に不自然な熱源を映し出していた。
次の瞬間——人影が無音の獣のように空を裂き、観客席へと降り立つ。
「侵入者確認!迎撃する!」
ARC隊員が即座に動いた。
しかし、影は流れるような動きで攻撃を躱し、反撃に出ることすら許さず隊員を弾き飛ばす。
「観客および要人の避難を優先しろ!」
「本部へ報告!至急、電源復旧を急がせろ!」
混乱の中で、無線が次々と交錯する。
観客を誘導する声、隊員の足音、緊迫の息遣い。
そして、侵入者の気配が、場内を支配する静寂の中に研ぎ澄まされていく。
「龍之介、行くぞ!」
ジェイクの声が闇を裂く。
「おう!」
龍之介が即座に応じる。
ナディアがATDで敵の動きを捉え、胸元からナイフを引き抜く。
銀光が鋭く走り、侵入者を狙うが、わずかな体捌きで跳躍し回避する。
「今だ!」
着地の刹那、龍之介とジェイクが一体となって襲いかかる。
呼吸の合った連携が侵入者を追い詰めるが、研ぎ澄まされた動きで受け止められた。
「ほう…少しはできる奴らもいるか」
闇の中で、侵入者の瞳が藍碧に煌めく。
「……適合者!?」
龍之介の声が、張り詰めた空気に鋭く響いた。
瞬間、電源が復旧し、講堂が光に包まれる。
侵入者の姿が露わになる——黒い戦闘服をまとい、藍碧の瞳が冷ややかに光る。
紫がかった黒髪が額をかすめ、血の気の薄い顔には深いクマが刻まれていた。
「貴様…何者だ」
龍之介が低く問う。
「俺は——クロウ」
言葉と同時、クロウと名乗った男は凄まじい速さで踏み込み、龍之介に鋭い蹴りを繰り出す。
衝撃音が響き、龍之介の体が吹き飛んだ。
「龍ちゃん!」
綾の叫びが講堂内に響く。
クロウは龍之介を蹴り飛ばした勢いのまま、壇上へ舞い上がる。
エドワードを守るARC隊員たちが立ちはだかるが、クロウはその間を鋭い動きで切り裂き、たやすく彼らを退ける。
そして、エドワードの背後に立つと、その動きを封じるように腕を掴んだ。
「聞け!アルカディア!偽善と欺瞞に塗れた枢軸よ!」
「我々はNocta——解放せし者だ!」
クロウの声が堂内に鋭く響く。
「ルミナイトは全人類の資産だ!お前たちのような企業が独占するなど許されない!まして、適合者を軍事利用するなど言語道断!」
静寂の中、舞がかすかに呟く——
「……Nocta…」
「ルミナイトとその技術、そして全ての適合者達を解放するのだ——!」
クロウの声が講堂に響き渡る。
ARC隊員たちはわずかな動きすら封じられたように息を潜める。
その視線はただ一点、壇上を射抜いていた。
「……そろそろ時間か」
一瞥するように時計を見て、かすかに唇を動かした。
「アルカディア、我々は見ているぞ。——八年前の惨劇を、忘れるな」
言い終わると同時に、エドワードを無造作に放り投げ、窓を突き破り外へと跳んだ。
「追え!」
隊員たちが鋭い号令と共にクロウの後を追う。
「龍ちゃん!」
弾かれるように綾が駆け寄る。
「くそっ…油断した……」
龍之介は胸の痛みを堪え、苦悶の表情を浮かべながらゆっくりと立ち上がった。
講堂には、割れたガラス片と、重い余韻だけが取り残されていた。
***
クロウと名乗る男の襲撃から数時間後。
混乱の中、事後処理を終えた龍之介、ジェイク、ナディアの3人は、研究棟の一室へと呼び出された。
扉の前で一度姿勢を正し、龍之介がノックする。
「羽瀬龍之介、入ります」
室内からの応答を待ち、慎重に扉を開ける。
舞がデスクの向こうに腰掛け、静かに彼らを迎えた。
「そんなに畏まらなくていいわよ」
柔らかく微笑みながら、舞が手を軽く振る。
「事後処理、お疲れ様」
その言葉に龍之介の緊張がわずかに解ける。
一方、ジェイクとナディアは遠慮なく部屋のソファに腰を下ろした。
「で?」
ジェイクが腕を組みながら口を開く。
「俺たちに何の用なんだ、柊博士?」
ナディアが悪戯っぽく笑う。
「頑張ったご褒美にボーナス?」
舞は小さく笑いながら、しかしすぐに真剣な表情に戻る。
「そうしてあげたいけど、残念ながら違うわ」
彼女の声が少し低くなる。
「まず、これから話すことは——オフレコでお願い」
室内の空気がわずかに張り詰める。
舞がデスクの端末をタップすると、部屋のスクリーンに映像が映し出される。
そこには、講堂でARC隊員を圧倒し、龍之介たちと戦ったクロウの姿が映し出されていた。
「先程あなたたちが戦った相手——クロウと名乗っていたわね」
画面を見つめながら、舞がゆっくりと言葉を紡ぐ。
「彼の目は適合者と同じく、藍碧色に光っていた」
ジェイクが腕を組み、低く呟く。
「実際にやり合ってみて、確かにあいつは龍之介と似たような能力を持ってそうだったな」
「そうね」
ナディアも頷く。
「とても普通の人間の動きとは思えなかったわ」
舞は静かに息をつき、スクリーンのクロウを見つめる。その瞳の奥にわずかな影が宿る。
「ええ…彼は間違いなく適合者だわ」
ひと呼吸置き、重々しく言葉を続ける。
「しかも——彼の適合率は、通常の適合者の基準を大きく逸脱している」
室内の空気が一層、冷たく張り詰めた。
ナディアが顎に指を当て、スクリーンのクロウを見つめる。
「龍之介ちゃんや綾ちゃんみたいに?」
舞はゆっくりと首を振る。
「いいえ、流石にそこまでではないわ」
そう言いながら、龍之介に視線を向ける。
「あなたたちは特異な例だから…でも、私が知っている範囲では、あなたたち二人に次ぐレベルの適合者ね」
龍之介が微かに眉を寄せる。
舞はスクリーンの映像に視線を戻し、静かに言葉を続けた。
「ここで一つ疑問が浮かんだの。なぜ、こんなレベルの適合者が私たちアルカディアの目を掻い潜っていられたのか」
舞が続ける。
「そもそもルミナセンスの発現は極めて稀で、燈の森の入所者の中でも数人しか存在していない」
彼女の声には確信があった。
「まして、彼ほど力のある適合者なら、間違いなくアルカディアのリストに載っているはず」
龍之介が眉をひそめる。
「あんな奴、燈の森では見たことがない…」
舞は静かに頷く。
「そう。彼のデータは、アルカディア内のどこにも存在しないのよ」
ジェイクが腕を組みながら、低く呟いた。
「ってことは…外で生まれた適合者ってことか?」
舞がわずかに目を伏せる。
「それも考えられるけど…ルミナセンスの発現プロセスを考えると、可能性は低いわね」
室内に沈黙が流れる。
スクリーンに映るクロウの姿が、より一層謎めいた影を落としていた。
舞はデスクの上に手を組み、静かに視線を上げる。
「恐らく……次に彼が現れる時、対峙するのはあなたたち」
彼女の言葉に、龍之介が目を細める。
「だからもしその中で何か気付いた事があったら——私に直接教えてほしくて来てもらったの」
ジェイクが腕を組みながら、少し疑わしげに眉を上げる。
「なんであんた個人になんだ?」
舞は一瞬だけ視線を落とし、軽く息をついた後、口元にわずかな微笑を浮かべる。
「ちょっと…気になる事があってね」
少し考えた後、龍之介がゆっくりと頷く。
「分かったよ、そうする。けど、俺からも聞いておきたい事がある」
舞が視線を向けると、龍之介は真剣な表情で言葉を続けた。
「Noctaって何なんだ?舞先生なら何か知ってるんだろ?それに……あいつが最後に言い残した言葉……八年前の惨劇を忘れるな……これって、あの青波の……!」
舞の表情がわずかに陰る。
「…………Noctaに関してはいずれ共有されると思うけど、そうね…」
少し間を置き、静かに口を開く。
「龍之介、二年前のルミナイト研究所での暴動事件を覚えてる?」
その言葉を聞いた龍之介の瞳がわずかに揺れ、視線を落とした。
沈黙する龍之介の代わりに、ナディアが答えた。
「AEGIS発足直後に起きた暴動事件ね。鎮圧時に死傷者が出た…」
ジェイクが静かに続ける。
「俺らもいたな」
舞は小さく頷いた。
「ええ、そう。その時、暴動を起こした反アルカディア団体のメンバーが、最近になって動きを強めているという情報があるわ……そして彼らが今、名乗っているのが——Nocta」
そう言ってから、舞は一瞬、言葉を切る。そして慎重に言葉を選ぶように続けた。
「そして、八年前。あの青波の原発事故にも、彼らが関与していたという噂がある」
「なんだって!?」
龍之介が顔を上げ、驚愕の色を浮かべる。
「でも、あれは事故だったって…!」
ジェイクとナディアも意外そうに舞を見つめる。
しかし、舞は静かに首を振った。
「そもそも…あの事故、周囲全てが完全に吹き飛んでしまっていて、原因が分かっていないのよ」
ジェイクが腕を組み、低く唸るように言った。
「報道では『施設の老朽化によるシステムエラー』って言ってたよな?」
ナディアも眉を寄せ、静かに言葉を継ぐ。
「……それを検証する手段はないってことよね?」
龍之介の拳がわずかに震えた。
「そんな…嘘だろ……誰かがあの事故を引き起こして………そのせいで俺も綾も全てを…………」
舞が静かに息をつき、龍之介を鎮めるように口を開く。
「まだ、そうと決まったわけではないわ。あくまで噂よ」
しかし、その瞳の奥には、確かな動揺の色が揺らめいていた。




