夜風に手を重ねて
「ふぅ…これで最後の荷物だな」
「お疲れ様!」
部屋の中で段ボールを開けながら、綾が笑顔で声をかける。
荷物も少ないし、自分たちで引っ越しをしようと言い出したのは龍之介だった。
自分の肩を揉みながらボヤく。
「綾…荷物多すぎじゃないか?」
「龍ちゃんが少なすぎなんでしょ?」
LUX近くの1DKのマンション。
10畳のダイニングを見渡すと、その8割は綾の荷物が占めていた。
「ったく…こんなに沢山、何持ってきたんだ?」
おもむろに近くの段ボールを開ける。
「あっ!龍ちゃん、それは!!」
「ん?」
段ボールの中には、鮮やかな色柄の布地やレース、小物が小さく畳まれてぎっしりと詰まっていた。
「あ………」
慌てて蓋を閉める龍之介。
「わりぃ…」
綾は顔を赤らめ、頬をふくらませながら視線を逸らす。
「良いけどさ……」
「さっ!片付けるよ!!」
恥ずかしさを打ち消すように、綾が声を張る。
綾が立ち上がろうとした拍子に、段ボールに足を取られ、バランスを崩した。
「あっ——」
咄嗟に龍之介の腕が伸びる。
「大丈夫か?」
支えられた綾は、龍之介の腕の中で胸の鼓動を感じた。
「ありがとう…」
龍之介の手が、自然と綾を抱きしめるように強くなる。
「綾——」
目をまっすぐに見据え、深く、確かに言葉を紡ぐ。
「…やっとだな」
「色々あったけど、こうしてお前と同じ屋根の下にいられる」
「この時間が、これからもずっと続くように——俺が、お前を守る」
「龍ちゃん…」
綾の瞳が潤む。
「うん……」
二人はそっと唇を重ね、互いの温もりを確かめるように強く抱き合った。
***
荷解きが思ったより進まず、とりあえず夕食を外で済ませることにした2人。
向かう先は、馴染みの居酒屋——熊乃家。
ガラガラッ——扉を開けると、いつもの調子で熊さんの声が響く。
「龍ちゃん、いらっしゃい!」
その声に反応するように、カウンターの二つの影がこちらを振り向いた。
ジェイクとナディア。
「やべっ」
龍之介は瞬時に踵を返し、店を出ようとする。
「いたっ…どうしたの龍ちゃん?」
後ろからついてきた綾と不意にぶつかる。
「いや…今日は別の店に……」
「よーーう龍之介ぇ!」
豪快な笑い声が響き渡る。
その声に、龍之介の肩が思わずビクリと跳ねる。
「よ…ようジェイク…ナディア」
引き攣った笑顔を浮かべ、ぎこちなく返す龍之介。
ジェイクはにやりと笑い、『ここに座れ』とばかりに隣の椅子を引いてみせた。
「はぁ…」
深いため息をつきつつ、観念したようにカウンターへと進む龍之介。
その背を、首を傾げながら見つめる綾。
「?」
「そうかそうか、お嬢ちゃんが綾ちゃんか!」
ジェイクが豪快な笑い声を響かせ、龍之介越しに綾を見つめる。
ジェイク——綺麗な金髪をオールバックにまとめ、無精髭は整っており、無骨さの中に清潔感が漂う。
椅子が小さく見えるほどの巨躯に、パリッとした黒いスーツが映える。
その厚みある胸板の下には、隠しきれない筋肉の隆起が覗く。
青い瞳は澄んでいるが、その奥には獣のような鋭さを潜ませていた。
ナディア——ジェイクの隣に座るのは、まるでスクリーンから抜け出してきたかのような美貌の女性。
クセのある赤毛を無造作に後ろで束ね、深い緑の瞳は同性ですら目を奪われるほどの魅力を放つ。
彼女もまた、黒いスーツに包まれた引き締まった肢体から、隠しきれない強さを滲ませていた。
居酒屋の温かな喧騒に、二人の存在だけが異質なコントラストを描いていた。
「は…はじめまして」
綾が戸惑いながらも、少し緊張を滲ませて挨拶をする。
「いや、龍之介から話は聞いてるよ」
ナディアが口元を上げ、ジェイクの言葉にいたずらっぽく続ける。
「だーい好きな彼女ちゃんがいるんだーって、よく自慢してるわよねぇ」
「なっ!」「えっ?」
龍之介と綾が同時に声を上げる。
「そんな風にゃ言ってねぇし!余計なこと言うな!」
ジェイクとナディアは、ニヤニヤと楽しそうに二人を値踏みするように見つめる。
「あ…あの…お二人と龍ちゃんって……」
綾が思い切って問いかけると、ジェイクが軽く手を挙げた。
「あー、悪い悪い!俺たちは龍之介と同じAEGISの——先輩だ!」
「同期だろ」
ボソッと食い気味で龍之介が否定する。
「俺はジェイク」「私はナディア」
「よろしくな!」「よろしくねっ!」
二人そろって、軽快にウィンクを飛ばしてくる。
龍之介は再び、深いため息をついた。
「ところで龍之介、お前今日から綾ちゃんと外で暮らしてんだろ?なんでここで飯なんだ?」
ジェイクが問いかける。
「荷解きが終わんなかったんだよ」
龍之介がぼやくと、ジェイクとナディアが目を合わせる。
「あぁ〜………イチャイチャしてて作業が進まなかったワケね」
ナディアがニヤニヤとからかう視線を送る。
『!』
「ちげーよ!」「違います!」
綾と龍之介が顔を赤らめ、声をそろえて否定する。
「まぁまぁ、2人とも若いんだし良いじゃねぇか!なぁ?」
ジェイクが笑う。
「そうそう!恥ずかしがることないわよねぇ?」
ナディアも軽口を叩く。
「お前らなぁ…」
龍之介が肩を震わせ、眉を寄せる。
綾は俯き、恥ずかしさに顔を上げられない。
「冗談よ、そんな怒らないのっ」
ナディアが軽く肩をすくめる。
「ほんとだぜ、イライラすんのは体に毒だぞ?」
ジェイクも笑い混じりに言う。
2人は豪快に笑いだし、からかいの余韻が店内に心地よく響いた。
***
ガラガラッ——扉が開き、龍之介と綾が店を後にする。
「じゃあな龍之介!気ぃ付けて帰れよ!」
「またねぇ綾ちゃん!」
後ろから、ジェイクとナディアの明るい声が響いた。
「あ、おやすみなさい、お二人とも」
綾がペコリと頭を下げる。
「はぁーーーー、疲れた!!」
龍之介が大きく伸びをする。
「悪かったな、綾」
「ううん!ちょっとビックリしたけど、良い人たちだね!」
「そうかぁ?鬱陶しいだけだけどな…」
「そんなことないよ。二人とも明るくて楽しかった!」
「それに…」
「?」
「龍ちゃんがどんな人とお仕事してるのか分かって、なんか嬉しかった」
「綾…」
「龍ちゃん、あんまりお仕事の話してくれないからさ。良かったよ!」
「…ごめん」
「あ、ううん!そうじゃないの!」
綾が微笑んで首を振る。
「私が知らない龍ちゃんの顔…見れた気がしてね、嬉しかったんだ」
「そうか…」
龍之介はそっと綾の手を握る。
その温もりに、綾は龍之介を見上げて嬉しそうに微笑んだ。
二人は手を繋いだまま、夜風の中、新居へとゆっくり歩いていった。




