祝宴の四角、歪む三角
街へ向かう車内。
「綾ちゃんは、子供たちに好かれてるんだね」
翔がフロントガラス越しに景色を眺めながら言う。
綾は少し目を伏せ、柔らかく笑う。
「あの子たち、みんな他の施設から移ってきて……ずっとひとりぼっちだったから」
「綾はあの子たちのお母さんみたいなものよね」
舞がバックミラー越しに綾を見て言う。
「お母さん……」
綾がその言葉を静かに繰り返す。表情に、少しだけ思案が混じる。
山間の道を抜けると、視界が開ける。
遠くに、巨大な研究施設——LUXが無機質な輪郭を空に刻む。
その足元には、小さな街並みが広がっていた。
低層の建物が並び、瓦屋根の家々や、ぽつぽつと立つ商店、煙を上げる小さな食堂の煙突。
舗装されていない細道には人影が行き交い、生活の匂いが微かに漂っていた。
「……あの辺も、随分人が増えたな」
龍之介が窓の外を眺める。
「昔は、集落跡地にLUXがあるだけだったものね」
舞が懐かしさを滲ませる。
「私はあまり街には行ったことないけど……お店もいっぱいあるんでしょ?」
綾が外の景色に目を細める。
「LUXで働く人たちが周りに住みついて、それに合わせて街も広がっていったんだ」
翔が淡々と答える。その声は、少しだけ遠い記憶を含んでいた。
「とはいえ、都会と比べたら小さな田舎街だけどね……」
舞が片手でハンドルを操りながら言う。
「LUX移転の話もあるし、この先どうなるのかしらね」
車は山道を下り、小さな街の入り口へと近づいていった。
***
「さっ、着いたわよ」
舞が車を停め、軽やかに言う。
LUX近くの居酒屋——『熊乃家』。
のれんには太い筆文字でその名が揺れ、店先からはかすかに焼き鳥の香ばしい匂いが漂っていた。
ここはLUX職員や地域住民の憩いの場。
龍之介には馴染みの店であり、翔も数度だけ訪れたことがあった。
「私は車を置いてくるから、先に入ってて」
舞がそう言って車を出すと、
「居酒屋さん……?」
綾が興味深そうに暖簾を見上げる。
「熊さんとこか!良いねぇ〜」
龍之介が笑みを浮かべながら暖簾をくぐり、扉を開いた。
ガラガラッ——扉が引かれると、居酒屋特有のざわめきと、炭火で焼かれる串の香りが外まであふれ出す。
「おっ、龍ちゃん!何人?」
カウンターの奥から響く、熊のような体格の店主の声。
(なるほど、熊乃家……)
綾は店主を見て、店名の由来に合点がいった。
「4人!座敷でいい?」
龍之介が即答する。
「おう!じゃあ、適当に座ってな!」
店主が大らかに笑い、カウンター越しに手を上げた。
店内は夕方だというのにすでに賑わいを見せていた。
小さな店内にはカウンター数席と、いくつかの座敷席がこぢんまりと並んでいる。
視線を巡らせると、客層は実にさまざまだ。
——アルカディアのロゴ入り作業着を着た一団。
——スーツ姿で談笑する男女。
——タオルを頭に巻いた、農作業帰りと思しき初老の夫婦。
そのどれもが自然体で、ここを日常の居場所としているようだった。
小さな空間に混じり合う声と匂い——この店が地域に根付き、愛されている場所であることが、ひと目で伝わってきた。
店の奥から、忙しそうにグラスを持った女性が現れる。
割烹着に包まれた柔和な笑顔。
ふっくらと丸みを帯びた体型は、まさに居酒屋のおかみさんといった風情だった。
「はーい、お待ちどうさん!」
グラスをカウンターに置きつつ、ふと視線が龍之介たちに向く。
「あら、龍ちゃん!今日はAEGISのみんなとじゃないの?」
「……あぁ、まあな」
龍之介が少し照れたように返す。
その時、おかみさんの目が綾に留まる。
「あら!あらあらあら、この子だあれ?可愛い子連れちゃって!」
「えっと……」
龍之介は気恥ずかしそうに視線を逸らす。
綾が少し頬を赤らめつつ、笑顔を見せる。
「初めまして、結代綾といいます。龍ちゃんとは……あの、その……」
2人の様子を見て、おかみさんの目が愉快そうに細まる。
「ふぅ〜ん……綾ちゃん、礼儀正しくていい子じゃないの!」
そして、にやりと笑いながら、勢いよく龍之介の背中を叩いた。
「龍ちゃん、こんな可愛い子大事にしなさいよ!」
そのやり取りを見ていた翔の目が、ふと暗く沈んだ。
ガラガラッ——扉を開け、舞が入ってくる。
「ふぅ〜、お待たせ!」
舞が息をつきながら座敷に上がり、翔の隣に腰を下ろす。
「あら、あなたたち、まだ何も頼んでないの?」
「あら舞さんじゃないの!久しぶりねぇ、全然顔を見せてくれないんだから!」
「おかみさん、ごめんね……最近忙しくてさ」
舞が申し訳なさそうに笑うと、おかみさんは手をひらりと振る。
「冗談よ!じゃ、この子たちは燈の森の……?」
「そうそう、もうみんな卒業生よ」
舞が穏やかに返すと、おかみさんは納得したように頷く。
「なるほどねぇ……。あ、舞さんはいつものよね?」
視線を綾と翔に向け、口元をほころばせる。
「綾ちゃんとそっちのイケメンさんはどうする?」
「おかみさん、俺は!?」
龍之介が割り込むように声を上げると、
「アンタはビールでしょ」
おかみさんが即答し、一同の笑いを誘った。
「じゃあ、私はオレンジジュース」
綾がにこりと答える。
「僕はウーロン茶で」
その声は取り繕うように柔らかい。
けれど、その奥に何かが沈んでいた。
各自のグラスが揃い、舞が音頭をとる。
「じゃあ、綾、卒業おめでとう!カンパーイ!」
カチンッ4人のグラスが心地よい音を立てて重なる。
「っかーー!うめぇ!」
龍之介がジョッキを置き、満足げに唸る。
「龍ちゃん、おじさんみたい……」
綾がからかうように笑う。
「いーの!ビールが美味いのに年齢は関係ない!お子ちゃまには分からんだろうな」
龍之介がニヤリと返す。
「ふんっ!オレンジジュースだって美味しいし!」
綾が頬をふくらませて言い返す。
「君たちは本当に仲が良いね」
翔がグラスを傾けながら、わずかに柔らかい口調で言う。
「そうねぇ」
舞が目を細める。
「あなたたち、初めて会ったときからずっと一緒だものね」
ふっと、舞の脳裏にあの日の光景がよぎる。荒野となった青波——そこで寄り添う2人の姿。
そして、それは2人にも同じように蘇っていた。
舞が空気を変えるように声を弾ませる。
「まっ!そんな2人もすっかり成長してくれて……私はほんっとうに嬉しいわよ!」
「舞先生……」
綾が目を潤ませ、言葉をそっとこぼす。
龍之介が、ふと思い出したように翔を見やる。
「そういえば翔、お前今LUXにいるんだよな?何の研究してるんだ?」
一瞬の間。
そして、翔が静かに答える。
「僕は今、舞先生の元でルミナセンスの研究をしている」
「私も、たまに手伝ってるよ」
綾が笑顔を添える。
「あぁ、そうだったな」
龍之介が頷く。
「そういう君は——」
翔が視線を向ける。
「AEGIS解体後、ARCに編入されるんだって?適合者を用いた防衛部隊……AEGISでの君の活躍も耳にしていたよ」
「あぁ、まぁな……」
龍之介の視線がわずかに落ちる。
けれど次の瞬間、顔を上げて言い切った。
「ま、ARCになったところでやる事は変わんねぇさ。守るべきものを守る——それだけだ」
「龍ちゃん……」
綾がそっと口を開く。
「そういえば、あなた達、来週から一緒に暮らすんでしょ?」
運ばれてきた料理を受け取りながら、舞が問いかける。
「ちゃんと新生活の準備はしてるの?」
「っ!?」
——ガシャンッ
翔が持っていたグラスを取り落とす。
ウーロン茶が飛び散り、龍之介の膝を濡らした。
「うわっ!」
「大丈夫、翔くん!?」
綾がすぐに声を上げる。
「あらっ!」
おかみさんも慌てて布巾を持って駆け寄る。
綾がその布巾を受け取り、素早くテーブルと龍之介の膝を拭く。
「準備は……龍ちゃんに任せてるんだけど……」
舞の視線が、自然と龍之介へと移る。
「あ〜…………まぁ、部屋と布団はある!」
龍之介が照れ臭そうに言い訳がましく答える。
「はぁ……」
綾があきれたようにため息をつく。
舞も呆れた視線を龍之介に送る。
その横で——翔は、感情の抜けた瞳で、ただ虚空を見つめていた。




