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LUMINESCENCE:PHANTOM ECHO  作者: ハナサワリキ
プロローグ
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プロローグ

 潮の香りが、風に混じる。

 龍之介は橋の欄干にもたれ、ぼんやりと町を見下ろしていた。


 川の向こうには、漁港が広がる。

 小舟が波に揺られ、桟橋では漁を終えた男たちがたばこをくゆらせている。

 笑い声が、潮風に紛れて小さく響いた。


 空は高い。

 夏の陽射しは鋭く、肌を焼くように照りつける。


 視線を町へ向ける。

 並ぶのは、古い木造の家々。

 商店街の一角は、シャッターが下りたままの店が目立つ。

 にぎやかだった通りは、今や開いている店のほうが少なかった。


 それでも。

 まだ、この町には確かに息づくものがあった。


 コンビニの前。

 自転車を停めた中学生たちが、ジュースを片手に笑い合う。


 その向かいの雑貨屋では、小学生がガチャガチャの前で立ち止まっていた。

 「どれを回す?」

 「こっちなら当たるかも」

 真剣な声が、夏の空気に混じる。


 昼下がりの陽射しが、町を照らしていた。

 穏やかで、どこか懐かしい風景。


 けれど。


 その向こうに。


 無機質な巨影がそびえ立つ。


 青波(あおなみ)原発。


 白い壁と、空を裂くような巨大な冷却塔。

 どっしりと町を見下ろし、影を落としている。


 龍之介の瞳が、それをとらえた。

 いつもなら、視界の隅にあっても気にも留めない。

 この町には「当たり前」の風景だったから。


 ——なのに。


 今日は、なぜか目が離せなかった。

 冷たい白が、瞼の裏に焼き付く。


「ねえ、ちゃんと聞いてる?」


 袖を引かれた。

 ハッと顔を上げる。


 綾が、少し頬を膨らませて見上げていた。


「……え?」


「もう、ちゃんと聞いてよ!」

「今日も洞窟集合ね!」


「ああ、分かったよ」


「ほんとに?」

「龍ちゃん、すぐゲームに夢中になっちゃうからなぁ」


「今日は大丈夫だよ!」


「なんで?」


「母ちゃんに取り上げられた……」


「ぷっ」


 吹き出す声が、夏の匂いに混ざる。


「もー、またやりすぎたの?」


「ちょっとだけだって……」


「どれくらい?」


「……六時間くらい」


「それ、ちょっとじゃないよ!」


 綾は呆れ顔になりながらも、目尻がほころんでいた。

 口元には、楽しそうな笑みがにじんでいた。


「じゃあ、待ってるからね!」


「うん、後でな!」


 龍之介は、もう一度だけ原発を見た。

 白い巨影は、相変わらず無言のまま空を切り取っている。


 それから、綾の方へ視線を戻した。

 夏の空の下、いつもの町が広がっていた。


 ***


「ただいまー!」


 玄関を開けると、いつもの声が返ってきた。


「おかえりー!」


「おかえり、龍ちゃん」


 祖母は居間のソファに腰を下ろし、テレビを眺めていた。

 いつも通りの景色。

 龍之介はランドセルを玄関に放り投げ、そのまま踵を返す。


「行ってきまーす!」


「ちょっと待ちなさい!」


 母の声が飛ぶ。

 龍之介の足が止まった。


「帰ってきたばっかでしょ?」

「宿題は?」


「後でやるって!」

「綾と約束してんだ!」


「はぁ……」


 母の声に、かすかにため息が混じった。


「しょうがないわねぇ」

「でも、ちゃんとやるのよ?」


「分かってるって!」


「ほんとにー?」


 じとっとした視線が刺さる。

 龍之介は視線をそらした。


「まあまあ」


 ふっと割り込んだ声。

 祖母が、穏やかな口調で笑うように言った。


「遊ぶときは遊ぶ」

「宿題は……夜になったら焦ってやるさ」


「ばあちゃんまで!」


「実際、そうなるんだろう?」


「……まあ、そうだけど」


 母は小さくため息をついた。

 手にしていたタオルを、軽く龍之介に投げる。


「どうせ泥だらけで帰ってくるんだから」

「汗くらい拭きなさい」


「へーき!」

「行ってきまーす!」


 タオルは放置されたまま。

 龍之介は笑い、玄関を飛び出した。


 バタン。


 ドアが閉まる音だけが残る。


「はぁ……」


 母は、もう一度小さく息をついた。

 祖母は笑って首を振る。


「元気なこった」


 ふと。


 母の視線が、テレビへと移った。


『続いてのニュースです』


『再生可能エネルギーの研究を進める企業・アルカディアが、本日、新たなプロジェクトを発表しました』


 壇上で話す男。

 背後に映る、白い研究所の建物。


 その端に、一瞬だけ。

 青波原発が映った。


「またやってるよ」


 祖母の声が、低く落ちる。

 手元のリモコンが、わずかに動いた。


「隣の太田さん」

「反原発運動に参加してるって」


「ふーん……」


 祖母の目が、細まる。

 画面に映る原発は、静かに立っていた。


「原発がなくなったら」


 そのつぶやきは、重かった。


「この町は、どうなるんだかねぇ」


 母は、何も言わなかった。

 ただ。


「あっ」


 はっと声をあげる。


「いけない!」

「晩御飯の途中だった!」


 急いで立ち上がり、足早にキッチンへ向かう。


 祖母は残る。

 リモコンを手に、ゆっくりとボタンを押す。


 パチ。


 ニュースが切り替わる。

 無意味なバラエティ番組が、明るい音を垂れ流した。


 部屋には、テレビの音だけが響いていた。

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