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第三章 施療院 2

 箱の中から目の細かい薄い亜麻布を取り出し、数種類の薬種をあいだに挟んで左右を縫い留める。同じものを三枚作り上げ、一枚で顔の下半分を覆ったところで、馬車が石壁の真ん中に開いたアーチ門の前で停まった。

 アーチの要石の部分に、《匙と五弁花》を鋳出した黄金のプレートが嵌まっている。


「着いたよアマーリエ。聖ニーファ神殿だ」

 後ろから騎馬で従ってきていたフレデリカが馬を降りながら言う。


「隊長殿、中にお入りになるなら、念のため口と鼻を覆っておいてください」

「承りました治癒薬師どの」

 馬車を降りて門をくぐると、修練士と思しき青みがかった灰色のローブ姿の男が二人待ち受けていた。アマーリエと同じく顔の下半分を布で覆っている。

「フォン・ヴェルンの姫君ですね? ようこそいらっしゃいました。罹患者たちは施療院の隔離棟に集めてあります。よろしければどうぞご診断を」

 そう告げる修練士の声音は丁重ながらも冷ややかだった。

 アマーリエはひしひしと敵意を感じた。


 

 ――そういえば、わたくしを呼んだのはゼントファーレンの小市参事会だったわね……



 つまり、このゼントファーレン聖ニーファ神殿の祭司や修練士たちにとっては、全くもって招かざる客というわけだ。


「姫君の宿坊はどちらに? お荷物をお運びしたいのだが」

 フレデリカが苛立ちも露わに訊ねると、もう一人の修練士が目だけで薄く嗤った。

「疫病患者のお世話をなさりたいという情熱にかられていらせられた姫君が御宿りになる場所は、当然隔離病棟です。おいでください。手前までご案内いたします」

 慇懃無礼な冷ややかさで告げて踵を返す。

 フレデリカの色白の頬が怒りに紅潮している。



 案内の修練士が、うっすらと雪の積もった中庭をよぎって、右手の壁に開いたアーチ門へと向かってゆく。

 そちらの門をくぐった途端、ツンと鋭い臭いが鼻を突いた。

 左手の壁際に雪よりもさらに白い何かが振りまかれている。


 消毒用の消石灰だ。


 そちらに木戸がひとつあった。

 取手に重々しい錠が架かり、真っ白な顔料で《匙と五弁花》の模様が描かれている。


「わたくしはここまでです。下僕もこれ以上は入れません。申し訳ないが、お荷物はご自分で運び入れてください」


「――私が運ぶよ」と、後ろからフレデリカが唸るように言う。

「いけません隊長殿(シェフィン)!」と、アマーリエは慌てて止めた。「一度入ってしまったら、原因が究明されるまで出られないのですから」

「だけど、あんたは入るんだろう?」

「当然です。わたくしは治癒薬師ですもの」

 アマーリエが誇りと微かな苛立ちを籠めて告げると、フレデリカは薄い灰色の眸を見開き、ちょっと極まりが悪そうに笑った。

「ああ、そうだった。――よろしくお願いいたします、治癒薬師どの。御身の守護たる聖ニーファのお慈悲が限りなく注がれますように」

 フレデリカが恭しく頭を低めると、荷運びに付いてきていた下僕たちもそれに倣った。

 修練士だけが不機嫌顔を晒している。


「では開きますよ」

 修練士が刺々しい声で言い、帯に吊るした鍵を取り出して錠を外すと、顔を背けながら扉を開いた。

 途端、中から苛立ちきった女の声がとびかかってきた。

「ねえ修練士さま、わたくしどもはいつまでこうして閉じ込められているのです!? 子供たちを診てくださるお方は誰もいらっしゃらないのですか!」



「……え?」

 その声にアマーリエは唖然とした。

 明らかによく知る女性の声だったのだ。


「アーデルハイトどの?」

 呆然としたまま門を入る。

 すると、目の前に思った通りの姿があった。


 褐色の髪を無造作にひっつめた大柄な女だ。

 灰色地に深緑の格子縞のドレスに茶色いショールを重ねている。

 記憶のなかではいつも陽気にキラキラと輝いていたとび色の眸に怒りと恐怖と、閉じ込められた動物みたいな苛立ちが宿っていた。

 アーデルハイトはその目を幾度か瞬かせたあとで、不意に悪夢から引き戻されたみたいな口調で呟いた。


「……アマーリエさま?」

「ええ」

「来てくださったの? 子供たちを診に?」

「ええ」

「ゼントファーレン小市参事会が招聘したんだよ」と、背後からフレデリカが言い添える。一応ぎりぎり荷物と一緒に門の外には立っている。

 アーデルハイトが目を瞠った。

「フレデリカ、あんたまで! どうしてこんなところにまで来ちまったのさ、せっかく市の外にいるって聞いていたのに」

「部下の半分が市内にいるんだよ? 自分だけ外でのうのうとなんかしていられないよ」

 フレデリカはアマーリエの初めて聞く姉か母親に甘えるような口調で言い、唐突に表情を引き締めて訊ねた。

「四人の罹患者のなかにヨーゼフが?」

 途端、アーデルハイトの顔がさっと曇る。

「――ああ。あの子が一番悪い」

 アーデルハイトは掠れた声で呟くと、アマーリエの両手を握り、肩を震わせてむせび泣き始めた。

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