第二十二章 晦ましの娘 1
……――鉛色の空の下でいつも夢を見ていた。
晴やかに澄んだ青空の下で生きるもう一人の自分の夢を――
――不死なる私の半身。
愛され、望まれた娘。
お前の幸福は私の悲惨さと鏡写しにあった。
冷たい暗い空の下で私はお前を憎んだ――……
★
「……――ジュニーヴル、さま?」
壇上で生き残っていた唯一の《白鳥の戦士》―-一人はアマーリエを護る軍団兵が、二人はフレデリカと彼女の護衛とに殺されている――が、老婆を見つめながら呆然と呟く。
老婆自身も呆然としていた。
瞼の肉が落ちたために異様なまでに丸く大きく見える目を瞬かせ、水晶球を抱える自分自身の手に視線を落としたあとで、皴のあいだの切れ目のような唇を戦慄かせた。
「違う」
しわがれ切った声が漏れる。
「違う、私は」
そのときだった。
「――その老婆を捕らえよ! すべてはその魔女の謀だ!!」
南西の下方からシグルーンのよく徹る声が響いた。
「了解!」
軍団兵たちが一斉に答える。
一拍置いて群衆からも雄たけびのような声が返った。
「おおう!」
「殺せ! 殺せ! 老いぼれ女を殺せ!」
「薬師どの、動きなさるな」
アマーリエの前で軍団兵が槍を構え直す。
「え、ええ」
アマーリエは答えながら愕然としていた。
ついさっきまで美貌の巫女を湛えて歓呼の声をあげ、フレデリカを生贄に捧げろと叫んでいた群衆が、今はその巫女を殺せと叫んでいる!
――彼女の姿が変わったから? ただそれだけの理由で?
そうと思い至るなり背筋が寒くなった。
老女は――おそらくはジュニーヴルは、腕に水晶球をしかと抱いたまま呆然と立ち尽くしていたが、やおらアマーリエたちのほうに足を進めてきたかと思うと、軍団兵がさっき突き殺した戦士の躯の傍らに跪き、胸の傷に指を突っ込んで血を救い出すなり、水晶球に擦り付けながら叫んだ。
「……――わが主よ! 助け賜え! 汝の造りし不出来な被造物らをことごとく滅ぼし賜え……!」
「無駄よ、方陣聖域が――」
アマーリエはそこまで口にしたところで絶句した。
シグルーンが軍団兵たちを率いてこちらへ走ってきている!
「シグルーン様!」
アマーリエは声を限りに叫んだ。「戻って! 戻ってください!」
アマーリエの叫びとほぼ同時に水晶球が黒い光を発した。
否、光――ではない。
眩すぎる閃光さながらにすべてを飲みこむ闇だ。
放射状の闇が一瞬アマーリエの視界を奪った。
同時に脳裏に声が響いた。
低く深く悍ましく、そのくせ蠱惑的な声――
――名の無き者よ、汝の望み聞き届けた……
アマーリエは全身から血の気が引くような恐怖を覚えた。
巨大な肉食獣の視線に射すくめられた矮小な獲物のような恐怖だ。
足が竦んで体温が下がる。
がくがくと膝が震える。
自分の心臓の音だけが異様に大きくゆっくりと聞こえた。
ひとつ。
ふたつ。
みっつ。
動けないまま脈拍を三つ数えたとき、不意に足元が揺らいだ。
「――アマーリエ!」
斜め前からフレデリカが叫ぶ。「跳びこめ! 川の中に!」
声と前後して水しぶきがあがる。
フレデリカが軍団兵の腕を掴んで水面に飛び込んでいる。
混乱するアマーリエの腕をこちらの軍団兵が掴んだ。「失礼薬師どの、跳びこみますぞ!」 一声叫んで水面へと跳ぶ。
ほぼ同時に祭壇の板の真ん中が下から盛り上がり、メリメリメリっと音を立てて裂けたかと思うと、黒光りのする長大な触手のようなものが踊りだしてきた。




